第4話 和也の過去を探して

 翌日、美貴は自転車で昔住んでいた辺りに出かけた。

 和也になにがあったのかを知る手がかりを探しに。


 まずは通っていた高校から行ってみることにした。順路上、こちらの方が手前だったから、というだけの理由だが。


 試験休み中だったが、当時の担任が運良く採点のため出勤していた。担任教師は四十代ぐらいの男性だが、美貴からは卒業時と全く変わったようには見えなかった。


 懐かしい職員室でむぎ茶を飲みながら、恩師と他愛もない話をしていると、いつの間にか当時同級生だった和也の話題になっていた。


「あいつはムダに正義感の強いヤツだったからなぁ、不良どもとしょっちゅうもめ事を起こしては、俺が警察に迎えに行ったもんだ」


 と、あいつの武勇伝だか何だか分からない話を楽しそうにすると、担任は急に難しい顔になって、「そういえば――」と言葉を切った。


 担任はむぎ茶をひと口含むと、俺の口から言うことじゃないが、と前置きをして続けた。美貴と付き合っていたのを知っていたから話したのだろう。


 教師は、ひとしきり話し終わると、他言無用だぞ、と彼女に念を押した。


 ――和也の母親が重病にかかり、高校を中退しようとしたこと。



 美貴はひどく陰鬱な気分で学校を出ると、昔住んでいた家に向かった。

 到着してみると家はそのまま残っていて、別の家族が暮らしていた。隣の敷地には、和也の住んでいるアパートがあり、彼の部屋は美貴の部屋から丸見えだった。


 まだ同じ所に住んでいるのかと思い、入り口の郵便受けを見ていると管理人のおばさんに声を掛けられた。


「あら、美貴ちゃんお久しぶり」


「ご無沙汰してます。最近こっちに戻ったので、前の家が気になって来てみたんですよ。管理人さんもお元気そうで」


「あら、そうなの。ああ、和也くんなら今は留守よ。多分仕事ね」

「そうですか。ありがとうございます」


 なんら手がかりらしきものも得られず、美貴はあの場所、氷ノ山神社へ向かった。



 苦労して長い階段を登ると、境内には人の気配がなかった。子供の頃は、虫取り目的の和也に付き合ってよくここに来たものだった。


「ここだったんだ……」


 大きな銀杏の木を見上げて、美貴は呟いた。あの夢の場所は実在した。

 あの時の和也のプロポーズも、本物だった。多分。


『あれ……?』


 美貴はふと、誰かの気配を感じた。手水舎の方に目をやると、輝くような銀髪の神職の少年が佇んでいた。こちらと目を合わそうともせず、水を飲みに来た小鳥と戯れている。


(あの子、どこかで……)


 う~ん、と思い出そうとしているうちに、少年はどこかに消えてしまった。玉砂利の敷き詰められたこの境内で、足音もさせずに。


                  ☆


「今日はおばさんがいないから寂しくなって呼んだんだろ」


 和也は今夜も美貴の家の玄関にいた。同じマンションへの出前の帰りである。

 さすがに連日呼び出されると、もうどうでもよくなってくる。そろそろまともに相手をするのが馬鹿らしくなりはじめていた。


「母親が夜勤でいないところまでは当たってるけど、淋しくて呼び付けるわけないでしょ」


「良く言うよ。一人寝が怖いからって、枕抱えて俺の部屋に来たの誰だよ」

「そ、そそそそんな昔の話持ち出さないでよ!」


「とりあえず俺の顔見て落ち着いたか? ちゃんと戸締まりして寝るんだぞ。じゃあな」


 和也は片手をひらひらさせて、部屋のドアを開けようとしたとき、


「昼間、前の家とか、学校とか、氷ノ山神社とか行ってきた」

「ッ!」

 美貴の思いがけない言葉に、ゆっくりと振り返った。


「いろいろ聞きたいんだけど」

「……悪かった」

「それだけ? 他に言うことないの?」

「今さら、何を言えってんだ。もう済んだ事だろ」

「黙って別れるなんてあんまりだよ……」

「終わったことだ。お前には……済まなかったと思ってる。悪かった」


「アンタのせいで、私がどれだけ苦しんだが分かってるの? 捨てられるのが怖くて、未だに誰とも付き合えないんだよ! 死ぬほど好きな人を憎まなきゃならなかった苦しみが、アンタに分かるの!?」


 和也の瞳孔が開く。あきらかに動揺しているのは誰の目にも明らかだった。


「……お前の気が晴れるなら、好きにしてくれ。今ここで殺してくれてもいい。廊下から飛び降りろというなら、飛び降りてもいい」


 美貴は髪が逆立つのを感じた。今まで和也に抱いていたのとは別の怒りだった。


「なんでそうなっちゃうの? 本当は何も悪いことしてないくせに!」

「……したろ。お前を裏切った」

「だからそれは――」

「お前と押し問答をしてても始まらない。話がそれだけなら、俺は店に帰るぞ」

「待って! これ……こないだ落としてったやつ。返そうと思って電話したの」


 和也は、美貴の差し出したウサギのマスコットを一瞥した。


「俺には無用の長物だ。お前にやるよ。ソイツに『私を幸せにしてくれる男を授けて下さい』って、よくお願いしろ。いいな」

「ふざけないでよ!」

「俺は真面目だ。お前は、幸せにならなきゃいけないんだ。絶対に」

「……もしかして、ほんとは私とヨリ戻したい、の?」


「……ッ、」

 和也の顔が歪んだ。


 …………図星、なんだ。


 和也は無言でドアの方へと振り向いた。

 美貴は咄嗟に彼の腕を掴んで怒鳴った。


「思わせぶりな顔して、さんざん人をイライラさせといて無責任だよ! あの時だってちゃんと理由くらい教えてくれたってよかったのに!」


 和也は腕を掴まれたまま、じっとうな垂れている。

 無言の背中が美貴を拒絶していた。


「じゃないと、あたし先に進めないよ!」


 美貴は思わず、彼の汗ばんだ背中にすがり付いた。

 懐かしい匂い。和也は体を強ばらせ、肩で息をしている。

 ――私を裏切った背中。でも、暖かい――。


 和也は美貴を振り払うように後を向くと、目深にかぶった制帽の鍔から恨めしげに睨んだ。


「美貴……」

 呻くように彼女の名前を呼ぶ。

 いきなり乱暴に彼女の両腕を掴んで、壁にぎゅっと押しつけた。


「痛い、離して」

「なんで……戻って来たんだよ」


 和也は体を密着させ、美貴の唇を乱暴に貪る。制服のシャツ越しに、彼の激しい鼓動が伝染して、美貴の心臓まで暴れだした。


「いた……いんッ……ぐ、やめ……んぁ」


 美貴のささやかな抵抗を無視し、和也は煙草の臭いを苦い唾液に絡ませて、乱暴に彼女の中に注ぎ込む。口の中で暴れる和也の舌。


(やだ……こんなの……ちがう……)


 押し込めていた和也の気持ちを、うかつにも爆発させてしまったのは自分。

 ――だけど。


 ヒゲの伸び始めた肌を強く擦りつけられて、美貴の唇や口の周りがヒリヒリと痛んだ。ぎゅっと抱き締められて、胸だけが苦しくなる。


 ――それは、望んだものとは違う。


 時折、うわごとのように、和也が自分の名前を呼ぶ。こんな形で聞きたくなかった。なのに、どこかで嬉しいと思っている。憎かったのに。どこで間違ってしまったんだろう。和也をもっと追求すればよかった。だけど、子供だった自分には、そこまで考えることは出来なかった。ただ、和也を憎んだだけ――


『ちがう……』

 美貴の目に涙が溢れてきた。彼女の頬を濡らすものに気付くと、和也は我に返った。


「ごめん……、ごめんよ。痛かったよな、ごめんよ美貴。俺にこんなことする資格は……」


 掠れた声で呟くと、美貴を戒めから解いた。彼は苦しそうに、幾度も頭を小さく振っている。

「……勝手だよ」


 美貴の声も震えていた。和也コイツが分からなくて。


「だな。俺、消えるわ」


 ドアを開け、ゆらりと和也は音もなく去っていった。まるで亡者のように――。

 彼の言葉が胸に突き刺さって、美貴はしばらく動けないでいた。追わなくちゃ……。そう思いながら。


                  ☆


 美貴の家を出て、バイクでどこをどう走ったのか、気付けば和也は例の神社の前に来ていた。


「やっちまった……」


 ヘルメットをそこいらに脱ぎ捨て、彼は長い階段の最下段に座り込んだ。


 ――美貴が悪いんだ。必死に抑えてたのに、あいつが、あいつが、あいつがッ…………。


 震える手で煙草に火を点ける。

 だが上手く点かず、何度もライターの着火ボタンを押す。


『落ち着け、和也』

 こないだのガキの声が、聞こえた気がした。


 ――俺は何を責任転嫁してる? 悪いのは全部俺じゃないか。これは予見出来た事なんだ。もっと早く誰かに代わっていれば……。


 和也は、後悔と一緒に煙を吐き出した。


 三本目の煙草に火を点けたとき、涼しげな虫の声をかき消すように携帯が鳴った。

「はい、杉本です――」


 ……戻ったら店長に怒鳴られるな。でもあの人にだけは、不義理は出来ねぇ……。

 重い腰を上げ、俺は草むらに転がり落ちた傷だらけのヘルメットを拾い上げた。


                  ☆


 和也はまた、夢を見た。あの夢だ。

 しかし、それは今まで見たことのない場面。消えた記憶の先の場面だった。


「僕が結婚式を挙げてあげるよ」


 ふいに後から声がした。

 二人同時に振り返ると、すごく若い神主さんが立っていた。

 高校生くらいだろうか。アイスを囓りながら、ニコニコして自分達を眺めている。


「式だけ挙げたって、仕方ないと思いますけど」

 美貴が不機嫌そうに言った。


「さっきキミが彼に言ってたのは、法律的な結婚だよね。でも、神サマの前で誓う結婚もあるでしょ? だから、そっちをしない?」


「そ、それしたら十歳でも結婚出来ますか?」

 彼は銀髪の神主さんに尋ねた。


「出来るよ。僕が証人になってあげる」


「神主さんが証人になっても、仕方ないと思いますけど」

 いちいち美貴が神主さんに食ってかかる。なんなんだこの女。


「お前、俺と結婚したくないから、そんなことばっか言ってるんだろ」


「ち、ちがうよ! この人の言ってることがおかしいから……、あ」

 うっかり口を滑らせた美貴が、顔を真っ赤にしてうつむいた。


「僕が神サマなら、問題ないでしょ?」

「「えッ???」」二人同時に声を挙げた。


 自称神サマは、訝しがる二人にすごい奇跡を見せてくれた。

 真夏の境内に雪を降らせたのだ。

 すっかり信用した子供二人を本殿に上げると、神サマは本格的な式を挙げてくれた。もちろん、雅楽のBGM付きで。


(そうだ……結婚式をやったんだ。なんで思い出せなかったんだろう?)


 今にして思えば、あの奇跡はもしかしたら子供騙しのトリックだったのかもしれない。でも、和也を不憫に思って、わざわざ式をやってくれたあの時の神主さんに感謝している。またあの人に会えたなら。


 ――それと同時に、申し訳なく思っている。何故ならもう、俺たちは――

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