茅ヶ崎の幼馴染みは元カレで~やきたて・おとどけ~《氷ノ山神社奇譚》
東雲飛鶴
第0話 十年前のプロポーズ
――わたしは夢を見ていた。子供の頃の夢。
「美貴! お、俺と結婚してくれ!」
神社の大きな銀杏の木陰で、幼馴染みの和也が言った。
「……あたしたち、まだ十歳なんだけど」
「十歳だと、しちゃいけないのか?」
きょとん、と小首を傾げてこちらを見る和也。
「知らないの? 十八歳にならないと、結婚出来ないんだよ」
「え、」
幼馴染みは、肩から虫カゴをカランと落として、しばらく固まった。
――これって、プロポーズじゃん。
しかも、ヨリによって近所の神社でって、どういう神経? 和也、前髪から汗をダラダラ垂らしてるし、蝉がやたらうるさいし、ムードもへったくれもないじゃん。なんであいつはこんな所で……
「……ってことは、俺ら同い年だから、十八までダメってことジャンか」
彼はしょんぼりとうな垂れ、ヒーローの描かれたビーチサンダルを見た。コイツの無知と無神経さに頭にきた美貴は、ちょっとイジワルしてやりたくなった。
「何でアンタと結婚しなきゃいけないの?」
「えっ? 俺とじゃダメなのか?」
和也は泣きそうな顔で美貴をじっと睨んだ。いつもそう。美貴のことになると、すぐ取り乱す。美貴は、コイツがちょっとかわいそうに思えてきた。
「……ダメ、じゃない……けど」
「じゃ、いいんだよな」
「……いいよ。でも順番間違ってない?」
「なにが?」
「フツーは先に――――」
十年前の甘酸っぱい夢は、自分を呼ぶ母親の声にかき消された。
もう何年も見ることもなく、記憶から消えかけていた子供時代の思い出。
美貴がうっすらと目を開けると、部屋の様子に違和感を覚えた。
「……暑い」
ぼそりと呟き、じっとりと浮かんだ額の汗を手の甲で拭う。美貴は、違和感の理由をぼんやりした頭で思い出してみる……。
――そうか、茅ヶ崎に戻ってきたんだ。だから、アイツの夢なんか……。
引っ越したばかりで、自分の部屋だけエアコンの手配が間に合わず、起きたら汗びっしょりになってた。
タンクトップだけ着替えてキンキンに冷えたリビングに行くと、ムダに元気な母親から、なにやら出前を頼んだと聞かされた。
エアコンの風を直に浴びながらテレビの画面を投げやりに見ると、三分間のお料理番組が流れていた。どうやら結構寝ていたらしい。
「お母さん、クーラーまだぁ?」
「立て込んでるから、あさってになるって」
母親の返事は、寝起きの気分を一層気怠くさせた。七月になって工事を頼めば、すぐには来ないことなど分かりそうなのに――。
彼女の段取りの悪さを恨めしく思っていると、玄関のチャイムが鳴った。多分、さっき言ってた出前の人だろう。
だって引っ越したばかりの家にやって来るのは、新聞の勧誘かNHKくらいのもんだから。
☆
――夢を見ていた。俺が子供の頃の夢だ。以前は毎週のように見ていたが、今となってはせいぜい月一ぐらいに見る夢。正直、もう見たくもない夢――。
「だいたい、何であたしがアンタと結婚しなきゃいけないの?」
美貴は冷ややかに言った。
「えっ? 俺とじゃダメなのか? 俺、お前と結婚できないと困るよ……」
和也のシンプルかつ安直な人生設計は、美貴の全否定でいきなり崩壊した。
自分は、絶対に彼女と両想いだと思ってた。
だってバレンタインにはいつも美貴からチョコをもらってたし、互いの誕生日だっていつも一緒に祝ってたし、しょっちゅう一緒に風呂入ったり、一緒にメシ食ったり、寝たりしていた。
自分にとって、美貴以外の女と結婚するなんて天地がひっくり返ったってあり得ない。絶対あり得ない。生まれてこの方、いつも側にコイツがいて、それが一生続くのが当たり前で――。
和也はそう、思っていた。
「僕が×××してあげるよ」
ふいに後からだれかの声がした。二人同時に振り返ると――
「おい、起きろ! 仕事だぞ。和也」
和也は、同僚に夢から現実へと引き戻された。
最近寝不足だった彼は、バイトの休憩時間に事務所のソファで昼寝をしていた。
和也の仕事はピザのデリバリーだ。かれこれ三年ほどやっている。今じゃ立派な中堅従業員だ。
注文伝票の住所を確認し、彼は品物をバイクのトランクに詰めた。
ご新規のお客さんだ、待たせるわけにはいかない。
海沿いの街道にある『ピザキャット茅ヶ崎店』を出た彼は、近所の新築高級マンションへと急いだ。あくまでも安全運転で――。
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