第六話 亡魂の 決意は弾丸 破を統べらん
「ただいま、帰ったよ」
玄関から男性の声が聞こえてきた。燃料を補給し、戻ってきたようだ。
男性は階下までやってくると、「待たせて悪かったね。さあ、お茶にしよう」と微笑んだ。
「それじゃあ、降りようか、お姉ちゃん」
頷いて、階段を下りた。リビング・ダイニングにも、慣れ親しんだ家具が並んでいる。
深雪は灰色のチェック柄のソファに腰を下ろした。テーブルを挟んで反対側に、男性が座っている。奈々は深雪の隣に座り、リリィを抱いている。
紅茶を一口、啜った。深雪は目を閉じて、そっと息を吐いた。子供の頃に大好きだった味と、全く同じだった。
深雪は紅茶を飲みながら、奈々たちから色々な話を聞いた。
奈々と時生は色々な話を当たり前のようにするが、深雪にとっては衝撃的な内容ばかりだった。
「それでね、お父さんはお姉ちゃんと同じ、戦闘機のパイロットなんだよ!」
奈々の話を聞いて、深雪の心臓が
「それ、本当?」
「うん! お父さんの機体はね、この家の裏の空き地にあるんだよ」
深雪は、またもや仰天した。
「戦闘機が、家の裏にあるの?」
「ああ。事情があって、一時的に置いているだけだけれどね」
男性がティーカップに唇を付けながら呟いた。
「君に提供した燃料は、本来は、僕の機体で使う予定だったんだ」
(なんてことなの。彼が、敵のパイロットだったなんて・・・・・・)
深雪はティーカップを置き、男性を凝視した。自分は知らぬ間に、男性と戦っていたかもしれない。時生の面影を残す、彼と──。
奈々たちの話を聞いているうちに、深雪は、一つの真実に辿り着いたような気がした。
繭型の巨大艦の正体は不明だが、少なくとも、この星にある物、この星に生きる人々は、かつて地球に存在していたものだ。戦争で亡くなった人間や動物、空爆で破壊された土地や建造物──。
敵は、星喰い星をより大きくし人口を増やすために、たびたび地球に現れて攻撃を仕掛けているのではないのだろうか。
地球上で破壊された建造物や死んでいった人々が、星喰い星の中で、少し違った形で、蘇る。街並みは、よく似た外観で。人間や動植物は、面影を残した状態で。
このまま戦闘が続き、地球が破壊され続け、人々が死に続ければ、いつか地球と星喰い星は逆転してしまうだろう。
星喰い星は戦闘が終わるたびに、少しずつではあるが、確実に大きくなっている。敵の戦闘機やパイロットが戦闘をするたびに増えていく理由は、そういう事情があったのか。
深雪は確信した。この家は、空爆で崩壊した自宅。灰色の肌をした奈々は、空襲で亡くなった深雪の妹。男性は、名前を聞いていないが、恐らく深雪の父親だ。
失われた家族と、破壊された家。どちらにも、深雪は深い愛情を抱いていた。
十数年が経った今でも、大切な存在を失ったときの喪失感を埋めることは、どうしてもできなかった。夢に見ては愛しさと切なさで涙が溢れ、目覚めては、それが現実ではないと悟り、また涙する日々が続いた。
深雪の心の中には、星喰い星から、奈々や男性から離れたくない、という感情が生まれていた。
撃墜されたわけでもなくロストした機体や、パイロットたち。彼らも、もしかしたら深雪と同じように、本来ならば侵入できないはずの星喰い星に呼ばれたのかもしれない。戻りたくない、という気持ちが高まり、戻ってこないのかもしれない。
星喰い星は、ある意味で、深雪たちの過去の世界と呼べるのかもしれない。
失われたもののみで構成された星。星喰い星には、過去を求める人間を惹つける力が存在した。
星喰い人は、どこまで真実を知っているのだろう。地球人は、戦っている相手が何者なのか、全く理解していない。
星喰い星で平和に暮らしている星喰い人たちが、真実を全く知らずに暮らしいるのだとしたら、彼らに何の罪があるというのだろう。
深雪たちが戦っていた敵の正体が、今、はっきりとわかった。
しかし、深雪は、真実をどう受け止め、どう処理していいのか分からなかった。
(地球、星喰い星──。どう受け止めていいのか、全然わからないよ……)
星喰い星には、魅力がたくさん詰まっている。失われた、かけがえのない大切な人々。平和な日常。廃墟になっていない街。
いっその事、このまま星喰い星に住んでしまおうか。何もかも忘れ、星喰い人となって、奈々と男性とリリィの三人で、この家で暮らそうか。
深雪は奈々を見つめた。リリィと男性を見つめた。三人は、じっと静かに深雪を見つめている。深雪は、思わず目を逸らした。瞼を伏せて、じっと考える。
(だめ、戻らなきゃ、駄目なんだ)
そうだ、戻らなければ──。翠が、由香里が待っている。
(でも、ここには、お父さんが、奈々が、リリィがいる!)
奈々たちは空襲で一度、死に、新たに星喰い星で蘇った存在だ。本当の家族とは呼べないかもしれない。それでも彼らは確かに、深雪の家族なのだ。
懐かしさと愛しさと、悲しみと、色々な感情が混ざり合って、また涙が溢れた。
奈々と男性は、深雪の機体に燃料を補給してくれた。ということは、奈々たちには、深雪を地球に帰してくれる気持ちがあるようだ。本心かどうかは、わからないけれど。
地球に帰ったとき、上層部に真実を伝えなければならない。どう報告すればいいのだろう。
深雪は涙を流しながら、じっと考えた。再びメタモルフォーシスに乗り、星喰い人を攻撃することが、自分にはできるのだろうか。
地球で失われた魂が、星喰い星で蘇るのだとしたら、星喰い人が亡くなったら、彼らの魂はどこへ行き着くのだろう。
「君、大丈夫かい?」
泣いている様子を心配したのか、男性が声を掛けてきた。
深雪は思い切って尋ねた。
「あなたは何故、パイロットをしているのですか?」
男性は逡巡してから、そっと唇を開いた。
「……失ってしまったものを、取り戻したいから、かな」
(そうか、そうなんだ──)
深雪にとっては、時生と奈々とリリィの三人と自宅が、〝失ってしまったもの〟だ。
けれど、男性にしてみれば、逆なのだ。男性から見れば、深雪たちこそが、〝失ってしまったもの〟だった。
奈々は深雪のことを、はっきりと覚えているわけではないようだ。しかし、二階にある空き部屋に、かつてはちゃんと主がいた事実を、心のどこかで覚えている。
空き部屋の分だけ、大切な家族が失われた。その事実が奈々たちには、ちゃんとわかっているのだ。
男性はきっと、空き部屋の主を求めて、パイロットをしている。
(彼は、会うことのできない家族を、過去を取り戻すために、戦っているんだ)
頭の中に、いつの日だったか、翠が語った言葉が浮かんだ。
「たとえ敵機を何機撃ち落とそうと、星喰いを破壊しようと、失った家族は、過去は戻らない」
(お母さん、戻っているんだよ……)
星喰い星は、深雪たちの過去だ。この世界には、亡くなった奈々と時生とリリィが、違う姿をしているけれど、それでも確かに存在している。失われた家で、今も暮らしている。
(──でも、ちゃんと、わかってる)
星喰い星は、深雪たちの犠牲の元に成り立っている、作られた過去の世界。
星喰い星は、この世に存在してはならない世界だ。
時生の、奈々の、リリィの顔が浮かぶ。深雪の目の前で、星喰い人となった家族が、優しく微笑んでいる。
(彼らは、存在してはいけない人々。星喰い星は、存在を許されない世界)
三人の視線が突き刺さる。
(でも、私は、目の前にいる家族を、この場で撃ち殺すことができるの?)
深雪は、きつく目を閉じた。
(彼らは、私の家族じゃない。家族なんかじゃ、ない──)
「お姉ちゃん、とても辛そうだけど、大丈夫?」
奈々が深雪の目を覗きこみ、心配そうに話しかけてきた。
深雪は力なく項垂れた。瞼を伏せ、頭を抱えて奥歯を噛み締めた。
(私には、この子を撃つことは、できない。どうすればいいの、お母さん……)
亡くなった家族三人が生きていた頃の記憶と、空襲があった後の出来事、この星で見て、体験した出来事がぐちゃぐちゃに混ざって、深雪の心は悲鳴を上げた。
ふいに、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。昔、深雪が奈々にプレゼントしたオルゴールの音色だった。木製の、小さなオルゴールだ。
懐かしさがさらに胸の中で渦巻いた。メロディーは、すぐに止んだ。
「このオルゴールね、壊れちゃったみたいなの。とても大切にしてたのに、私がうっかり床に落としちゃって……」
奈々は残念そうに呟いて、左手の人差し指を
亡くなった奈々が、悲しみを表現する時に、よくやっていた癖と同じだった。
「──ねえ、君。ここで一緒に暮らさないかい?」
男性が深雪に向き直って、一言、発した。
彼の表情は真剣だった。優しい眼差しの中に、強い力が込められている。
「そうだよ、お姉ちゃん! 一緒に暮らそうよ!」
奈々が深雪のパイロット・スーツを引っ張りながら、まるで何かをおねだりしているときのような、きらきらと輝く宝石のような目で見つめながら言った。透明感のない紫色の瞳に、光が灯っていた。
「ワン!」
リリィが尻尾を振りながら深雪の足元をくるくると駆け回り、元気よく吠えた。
深雪は沈黙した。時が止まったように、声が喉から出てこない。
星喰い星には、時生が、奈々が、リリィがいる。住み慣れた家がある。思い入れが強い自室がある。
家の匂いが鼻を伝って全身へと流れる。大切にしていた物が、そのままの形で残っている。家と共に燃えた、過去の思い出も。
住み慣れた街に、懐かしい人々。花の香りや、そよぐ風の感触まで、全てが懐かしかった。
(でも、ここは、私が住むべきところじゃない。過去に捕らわれては、駄目)
翠が、由香里が、地球で深雪の帰りを待っている。
(家族が待つ地球に、帰らなきゃ。私は、空き部屋の主には、なれない)
長い沈黙の後、深雪は重い口調で言葉を絞り出した。
「ごめんなさい。母と姉が、私の帰りを待っているんです」
奈々の視線が突き刺さる。男性の顔を見ることができない。
深雪は両目をぎゅっと瞑って、勢いにまかせて言葉を吐き出した。
「ごめんなさい。私は、この家の空き部屋の主には、なれません」
「お姉ちゃん……」
奈々が悲しみの籠った声で小さく呟き、パイロット・スーツを引っ張っていた手を、そっと離した。リリィの頭が項垂れ、尻尾が悲しく垂れた。
「──わかったよ。困らせて、ごめんね」
男性の声が、悲しみに沈んだ部屋に、重く響き渡った。
彼の言葉は、これで終わりだと思った。しかし、想像もしていなかった言葉が、あとに続いた。
「このまま、ここで暮らしたほうが、幸せなのにね」
男性は言い残すと、深雪に背中を向け、裏口を出て家の裏の空き地へと歩いていった。
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