第四話 まぼろしの そは呪われし 灰色の子
気が付くと、深雪は地上を低空飛行していた。
ここは、どこだろう。
空襲の跡が見られない、綺麗な街並みだ。空襲を受けていない場所が、まだあるとは思わなかった。
(何が起こったんだっけ……)
頭が痛い。
深雪は痛む頭の中を整理した。
そうだ、思い出した。戦闘中に突然、何かの強い力に引っ張られ、星喰い星の前で気を失ったのだ。
機体の高度が、徐々に下がっていく。
引っ張られたときに機体が損傷してしまったのだろうか。
いや、違う。燃料メーターを見ると、満タンにして出発したはずなのに、なぜか空に近いほど燃料が減っていた。
いったい、どれほどの長い時間を飛んでいたのだろう。
高度はさらに下がっていく。墜落する前に、どこかに着陸しなければならない。
深雪は、バイパス近くの大きな広場に着陸した。わりと大きな広場だが、遊具は見当たらず、あるのはサッカーゴールだけだ。遊ぶには、少し寂しい場所だった。
でも、以前ここで由香里と奈々と一緒に、ボール遊びをした。とても楽しかったではないか。
はっとして、深雪は頭を振った。
(馬鹿な。私ったら、混乱している場合じゃないのに。しっかりしないと)
深雪が幼少時に暮らしていた街は、グレイ・バードに破壊され、今は人の住めない土地になっている。
今いる街には、破壊の爪痕がない。深雪が暮らしていた街とは違う。
そんな街の広場で、姉妹とボール遊びをするなど、ありえない。
ありえないのだが、広場には、何故だかわからないが、見覚えがあった。また、バイパスにも見覚えがあった。
深雪は、今度は頬を強く叩いた。
(──いま、何時かな)
周囲は、とても静かで、人通りはない。バイパスや下道を走る車も少ない。
車には分厚いガラスが嵌め込まれていて、中の様子を窺うことはできなかった。
視界の隅に、とある建物が入ってきた。
看板には、『インターネット・漫画』と書いてある。インターネット・カフェのようだ。
インターネット・カフェから道路を挟んで反対側には、校舎が見えた。隣には『デルタ』と書かれたショッピング・センターが見える。
ショッピング・センターの隣には、二十四時間営業のスーパー・マーケットが建っていた。さらに隣には、薬局と、ラーメン屋がある。
どの店も、深雪には見覚えがあった。
(疲れているのかな、私)
ふと、広場の端のほうに、ピンク色のパーカーを着た子供の姿を発見した。
子供はパーカーのフードを深々と被り、深雪に背を向けて、しゃがみ込んで何かをしている。
小さな背中だ。年齢は、五、六歳くらいだろうか?
深雪は、ゆっくりと子供に近づいた。子供は深雪の存在に気付いていない。
深雪は子供の背後まで行き、上から覗き込んでみた。
子供は、木の枝で地面に絵を描いていた。なんの絵だろう。飛行機? 戦闘機のようにも見える。
ようやく子供は、深雪の存在に気づいたようだ。子供は立ち上がって、ゆっくりと深雪のほうを向き、パーカーのフードを外した。
灰色の肌に、エメラルド・グリーンの髪。透明感のない紫色の瞳が、深雪の顔をじっと見つめている。
こみ上げてきた悲鳴を、深雪は咄嗟に飲み込んだ。しかし、足は言うことを聞いてくれなかった。思わず一歩、後退する。
子供は女の子だろうか。いや、性別があるのかもわからない。
自分の喉がゴクリと鳴る音を、今日ほど、はっきり聞いた日はないかもしれない。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
子供はゆっくり、そしてはっきりと、日本語で尋ねてきた。
「こんなところで、何をしているの?」
頭の中にあるネジが、何本か吹っ飛んでしまったような気分だ。状況が把握できない。
深雪が押し黙っている間に、子供はメタモルフォーシスを見つけたようだ。機体に視線を向けながら、さらに尋ねてきた。
「もしかして、お姉ちゃんは、パイロット?」
尋ねられ、深雪は油の切れた機械人形のように、ギシギシと首を縦に振った。
深雪が首を縦に振ると、子供の表情がパァッと明るくなった。軽やかな足取りで、ぴょんと一回、飛び跳ねてみせた。
子供は深雪の顔を見つめながら、嬉しそうに話し始めた。
「やっぱり! お姉ちゃんパイロット・スーツ着てるし、機体を見つける前から──ていうか、一目見て、絶対にパイロットだって思ったんだ!」
子供は笑顔を崩さないまま、言葉を続けた。子供の声は、春の暖かな風のように柔らかく、心地よく、深雪の耳に響いていく。
「お姉ちゃん、もしかして、落ちたの?」
ここにきてようやく、深雪の喉に油が注入されたようだ。カラカラとした音が混じってはいたが、深雪は、なんとか言葉を発することができた。
「そうなの。燃料が切れたみたいで。こ、困っちゃった」
ネジが吹っ飛んでしまった脳に必死に信号を送る。深雪は表情筋を懸命に動かしながら、困り果てています、という表情を作った。
「なんだ、それなら簡単! うちに燃料があるから、取りにおいでよ!」
どうして子供の家に、戦闘機用の燃料があるのだろう。頭の中のネジが、さらに何本か吹っ飛んでいくのを感じた。
「お姉ちゃん、私に
子供は、どことなくはしゃぎながら、深雪の右手を握った。
深雪はそのまま子供に従うことにした。子供と手を繋ぎながら、ゆっくりと歩き始めた。子供の手は、氷のように冷たかった。
「ねえ、お姉ちゃん」
子供が唐突に、声を掛けてきた。
「な、なあに?」
深雪は、たどたどしく、子供に返事をした。すると、子供の嬉しそうな声が聞こえた。
「ありがとう、人間のお姉ちゃん。私とお話してくれて」
今の発言を聞いて、深雪は、この子供が人間ではないと悟った。
この子供は、人間ではない。つまり、子供が住んでいるこの街は、人間の街ではない。今いる街が地球上に存在する街ではないのだと、深雪はようやく理解した。
深雪が強い力に引っ張られてやってきた場所は、地球ではなかった。
地球ではないということは、星喰い星に違いない。
深雪は、自分がわからなくなっていた。
なぜ自分は、未知の場所で、星喰い人の子供と手を繋ぎ、さらに未知なる場所へと歩いているのだろうか。
深雪は歩きながら、もう一度、周囲を眺めた。
見覚えのある街並み。見覚えのある風景。
なぜ、見覚えがあるのだろう。
いや、待て、もっと他に重要な部分を見落としているだろう。
深雪は唖然とした。何故、今まで気付かなかったのだろうか。
(空に、色がない──?)
いや、灰色一色の空、と表現すればいいだろうか。雲の色も灰色一色で、地上を照らす天体の色も、やはり灰色だ。これでは、空に浮かんでいる大きな星が、太陽なのか月なのか、皆目わからない。今が昼なのか、夜なのか、それすらも不明だ。
深雪は足元に視線を落とした。土の色が灰色だ。
広場の地面はアスファルトで覆われていない。間違いなく土が剥き出しになっているのだが、土の色は灰色だった。
慌てて道路に視線を向けた。やはり、灰色だ。同じ灰色でも、土よりも少し濃い灰色だ。
道路を走る車も、ショッピング・センターも、薬局もラーメン屋も、全て灰色。濃さは少々異なるものの、一切合財が灰色だ。
街路樹とて例外ではなかった。灰色の樹木など初めて見た。幹も枝も葉も、何もかもが灰色だ。
灰色ではないものを探して、深雪は必死に眼球を動かした。金槌で殴りつけられているみたいに、頭がひどく痛む。なにか、ないのか。どこかに灰色ではないものが、必ずあるはずだ。
ふと、子供に手を引っ張られた。
「さっきからキョロキョロしてるけど、なにか気になるの?」
深雪は子供が来ているピンク色のパーカーに視線を打ちつけた。
あった。灰色ではないものを見つけた。
「……お姉ちゃん、大丈夫?」
また、見つけた。子供のエメラルド・グリーンの髪と、紫の瞳。この二つも灰色ではない。死んだ魚の眼のように色が濁っているのが気になるが、それでも、瞳の色は灰色ではなかった。
先ほどは異常な髪色と瞳の色に腰を抜かしそうになったが、灰色一色に囲まれた状況の中で、違う色をしているというだけで、子供は深雪に安心感を与えた。
「私ね、このピンク色のパーカーが大好きなの! でね、よく一人で、この広場で遊んでいるの」
子供が元気よく飛び跳ねた。反動で深雪の身体が、ぐらりと傾く。
そうだ、灰色に気を取られて、すっかり頭から抜けていた。
この子供は、人間ではない。
頭の中の歯車が軋んだ音を立てながら、深雪に警告する。
ここは、地球ではない。深雪の心が、「ここは、星喰い星だ!」と叫んだ。
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