第128話15-6

 ジュリは暗い洞穴を、口に咥えた小さなペンライトの光だけを頼りに駆け抜ける。

足下からは一歩走るごとに「ぷちゅうん、ぷちゅ」という音が嫌でも耳に入る。耳に入るのは音だけでもなかったが。


『しつっこいっ』


 耳や髪にまとわりつく蟲。それが耳や髪にまるで生きた飾りのように蠢く。

それらが「きぃきぃ」と鳴きながら、ジュリの髪を、耳を、皮膚を囓《かじ》る。



『払っても、払っても湧いてくる……!』



頭を振り、手で払い落としても、その度に新しく蟲たちが皮膚や髪に食らいつく。

むしろ、振り払った手にも蟲たちが食らいついてくることで状況は悪化していく。



『あぁ、もうっ。兄さんはこんな時にどこに行ってるのよっ』



 自分がはぐれたことを棚に上げて、ジュリは汗の代わりに血の滴を額から流すジュリ。

ぬかるむ地面に足を取られながらも、洞穴内を器用に駆け回る。だが、蟲たちは一向にジュリを追いかけ、追い詰める。まるでジュリの後ろを”黒い波”の様に迫り続ける。


 暗い洞穴をひたすらに駆け続けたが、毛細血管のように枝分かれした洞穴の中では逃げ続けるのも時間の問題であった。

しばらくするとペンライトを咥えた口端がやや下がり、ジュリは苦悩の表情を浮かべる。



『……行き止まり、ね』


 ペンライトが照すは、無機質な土色の壁。

いつの間にやら、蟲たちに追われる内に袋小路に出てしまったらしい。ジュリは後ろを振り返らなかったが、後ろから地鳴りにも似た鳴き声がずっと続いていた。



『この子《チェーンソー》の燃料がだいぶ無くなっちゃうけど。 ……鞄に入れた予備であとはなんとかするしかないわね』



 ジュリは走りながらも、器用にチェーンソーの燃料バルブを開けて燃料を辺りにまき散らす。燃料はガソリンとエンジンオイルの混合物で出来ており、燃焼性は抜群であった。

そして、燃料をまき散らすと同時に、チェーンソーの刃へと燃料を伝わせる。そして行き止まりとなる土壁の直前でチェーンソーの刃で地面を切り裂く。



 カツンッ、ガチンッ。



 チェーンソーの刃が地面を抉り、埋もれた小石は飛びはね洞穴内を跳ね回る。

そして同時に、チェーンソーの刃と小石が激しくぶつかることで上がる小さな火花。それがまき散らされた燃料へと燃え移る。



『熱っ……』


 

 

 現れる、火の壁。

火の壁は暗闇を照らし、そして熱により黒い波が止まる。同時にあまりにも火の壁が近すぎたのか、ちりちりと衣類の焼ける焦げ臭いささと、鼻につく髪の毛を焼いたような臭い。 

 


 行き止まりとなった土壁を背に、ジュリの手に持つチェーンソーの刃は燃え上がる。

松明のように燃え上がった刃は熱で赤くなり、チェーンソーを持つ手にも熱で手汗がじんわりと滲む。



『我慢比べといきましょうか……?』



 ジュリは今だに体にまとわり続けている蟲たちを火の壁に放り込みながら、火によってジュリの元へと来ることの出来ない”黒い波”。

波はうねり、唸り、蠢く。


 狭い洞穴では勢いよく燃える火。

つまり”黒い波”がジュリを諦めるのが先か、それともジュリが酸欠になって意識を失うのが先かの我慢比べであった。



『はっ……はっ……』



 ジュリと蟲たちの膠着状態はしばらく続いていたが、少しずつ状況は悪化していた。 

火の勢いは衰えはしなかったが、一方で酸素もまた少なくなっており、ジュリは段々と息苦しさを感じていた。



『はっ……はっ……。そろそろ、限界』


 ジュリの息は短くなり、酸素を求めるように呼吸は荒くなっていく。

熱で汗が頬を伝い、チェーンソーを持つ手も震え始める。



『はっ……はっ……。ん』



 酸欠で意識が朦朧とし、目が霞始めた頃。

”黒い波”に変化が訪れる。



『はっ……はっ……。ようやく、諦めたみたいね』



 ジュリの目の前から”黒い波”はゆっくりと引いていく。

そして、まるで何事もなかったかのように洞穴は静けさを取り戻す。



『とりあえず、兄さんと合流しないと。……その前に、ここから出れるかしら』



 ジュリはガンガンと鳴るような頭の痛みを振り払うように頭を振ると、外を目指して歩き始めるのであった。

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