第107話13-9

東京都の文京区にある監察医務所。そこは自殺、他殺、不審死といった、様々な死亡理由を医学的な面から検査をする建物である。


 モニターの消えたパソコンが並んだ薄暗い部屋、その部屋で唯一明かりの点いたデスクで作業をする白髪の老人が1人。時計は夜の10時を少し過ぎたところであった。

老人は陶磁器の湯飲みに注がれたコーヒーを口に含みながら、デスクに広げた書類を読みふけっている。


 チリリン、チリリン。


 突然、老人のデスクに設置された電話が無機質に呼び出しを告げる。

老人は電話を無視して書類を読み続けるが、一向に電話のベルは止むことはなかった。


「こんな時間に、誰だ?」


 老人はため息を吐きながら、受話器を取って不機嫌さを込めた声で応える。


「もしもし、監察医務所だ。こんな時間に何のようだ?」


『”合鴨”先生、聞きたいことがあるんだけど良いかしら?』


 電話の向こうから若い女性の声が響く。その声を聞いた瞬間、合鴨先生と呼ばれた老人は眉間に大きなしわを寄せる。


「ああ、この声はジュリか。この古ぼけた電話にお前さんの電話番号が表示されていたら、受話器を取らなかったよ」


『あら、そう。じゃあずっとその電話を使っていて欲しいものだわ。電話に出てくれなかったら、寂しいもの』


「電話の交換時期はお前さんが私のことを”合鴨先生”じゃなく、”飯田先生”と呼ぶようになったらで決まるんだがな?」


『そのうち”飯田先生”って呼ぶわ。ね、合鴨先生?』


 合鴨先生と呼ばれた老人、飯田は悪びれないジュリのその態度に大きなため息を吐く。

電話口まで聞こえたのか、そのため息にジュリが反応する。


『あら、ため息つくと老けるって言うわよ?』


「そのため息の原因はお前さんだよ。 ……で、わざわざ電話をしてくるってことは、何かあったな?」


『話が早くて助かるわ。今、明治病院を調査しているんだけど病院周りで身元不明の遺体って出てないかしら?』


「まあ、すぐに調べるが。何があったんだ?」


『推測なんだけど、身元不明者の身分が”乗っ取られている”んじゃないかと思ったのよ。今日明治病院であった大量自殺と換気扇に詰められて殺された看護婦の事件は知ってる? 2004年に起きた事件と今回の事件の両方に身元不明の死人が出てるのよ』


「ああ、明日何体か解剖予定だよ。まったく、仕事を増やさないで欲しいがね」


 飯田は喋りながらも、パソコンを操作して必要な情報を検索する。

同時に、明日解剖予定で用意してあった紙の資料も机の上に広げる。


『それは私も同感ね。まあ、死人が出なくなる日なんて来ないんだけど。そんなことが起きたら、合鴨先生は廃業でしょ』


「もうそろそろ定年だし、そんな日が来ても良いと思うがね。 ……おっ」


 飯田はお目当ての情報を探し当てたのか小さく声を上げる。

その声にジュリは飯田がお目当ての情報を見つけたこと察する。


『あったみたいね』


「うん。2009年、2013年、2016年に明治大学周辺で身元不明の遺体が一体ずつ。まだ、身元hは分かっていないみたいだな」


『聞きたいんだけど、身元不明者の性別ってみんな女性?』


「ああ、そうだが。なんでわかった?」


「最初の事件と今回の事件の身元不明者は両方とも女性だったから。まあ、察しはついていたんだけれど」


「そうか。身元不明者の発見状況なんだが2009年はバラバラにされて薬品を掛けられて身元鑑定不能。2013年のは……」


『いえ、そこまで確認出来たらあとは良いわ』


「ん、もう良いのか?」


『ええ、じゃあね。ありがとう、合鴨先生』


 そう言い残してジュリは通話を切る。飯田はため息をつきながら受話器を置くとぼそりとつぶやいた。


「いつになったらアイツは私のことを合鴨先生じゃなく、飯田先生と呼ぶようになるんだか」


 飯田は独り言を吐き出しながら、デスクに広げた資料を読み始めるのであった。

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