第105話13-7

 ジュリとジョンが別棟に辿り着くと、そこには女子トイレから腰を抜かして這い出る女性とそれを介抱する医者と数人の看護婦。その別棟のトイレは奇しくも鈴の愛車に落下してきた人間が飛び降りたと思われる場所。

そして何事かと遠巻きに見る患者たち。ジュリたちは壁のようになった人たちを押しのけて、悲鳴の原因となった大本へと突入しようとする。

だが突入しようとしたジュリの腕を、腰を抜かした女性を介抱していた医者が掴んで止める。


「君っ!中には入るんじゃない!」


「邪魔しないでくれる?」


 ジュリは医者の手を強引に振り払うと、女子トイレへと足を踏み入れた。

一歩足をトイレに踏み入れると、鼻をつく強い鉄さびの臭い。大きく開け放された窓。そして聞こえる、一番奥の個室から聞こえる規則正しい水滴が垂れる音。


 ジュリは一番奥の個室へと足を進めると無遠慮に個室の全開にする。そこは一見すると何の変哲もない洋式のトイレであったが、ちょうど目の前をぽつんと水滴が落ちてくる。

その水滴は洋式便器へと落ちて波紋を作ると同時に、便器に貯まった水を濃い赤へと染め上げる。


「わた、わたしが、トト、トイレにはは、はいったらっ」


 トイレの外では、恐怖のあまり歯をがちがちと鳴らし、目には涙を溜めた女性が医者に掴みかからんとばかりに錯乱した様子で叫んでいるのが、ジュリの耳に嫌でも入ってくる。

ジュリは女性が何を言っているのか聞きながら、辺りを観察する。


「て、天井から、みみみ、水が垂れってて、きててて」


 ジュリはゆっくりと、目の前に落ちてくるその赤い水滴の大本を目で追う。

その大本は、どうやらトイレに設置された30センチ程度の小さい換気扇。


「な、なにかっかと、思っててぇえ。 わ、わたたし、かんきせせせんをみ、みちゃったのの」


 ジュリは目を凝らし、何があるのか確認する。

そして、それが何であるかすぐに気がついた。


「ひひ、ひとが、ここここっち見てってて、たの!!!」


 換気扇の間から、光のない双眸(そうぼう)がジュリを見つめていた。

そしてその光を失った両の目の間から、赤い水滴は滴り落ちてきていたのだった。


 ジュリは無言で、力一杯個室の壁を蹴り上げる。換気扇の蓋はかなり緩んでいたのだろう。

衝撃で換気扇の蓋が床へと落ち、同時に”詰め込まれたモノ”もずるりと音を立てながら床へと落下する。


「よくもまあ、こんな狭いところに人間1人を詰め込めたわね」


 細く、麺のように歪に伸ばされた人間がベチャリと床に落ちた。

そして床に落ちた”それ”は、まるで大きな穴が空いた袋のように、大量の血液を排出し始める。まるで溶かしたチーズのように換気扇の隙間から落ちてきた”それ”を観察していていると、あることに気がついた。


「この人、さっき階段に居た……?」


 元は純白のナース服は鮮血に染まり、滑稽にも見える顎が外れて舌をえぐり取られた看護婦は先ほど階段に居たはずのバレッタの髪留めをした看護婦であった。

赤黒く染まったバレットが看護婦が床に落ちた拍子にトイレの床に落ちて、かつんと小さな音を立てた。


「階段ですれ違った後、ここに詰め込まれたの……?」


 ジュリはしゃがみ込みながらその看護婦の首筋に指を当てる。その首筋からはまだ温もりはあったが、一方で服に飛び散った血液の一部は凝固し始めていた。

それが示したことは、この看護婦が死んでからやや時間が経っているということであった。


「じゃあ、さっき階段に居たのは誰?」


 つい数分ほど前に殺されたにしては、この死体は時間が経ち過ぎている。

そこまで思考を巡らせたジュリは、急いでトイレの外へと駆けだした。そして、外で待機していたジョンに声を掛ける。


「兄さん、さっきの看護婦よ」


「えっ?」


「階段に居た、あのバレッタをした若い看護婦を探して」


「待て待て、話が見えないぞ」


「あの看護婦が死んでいたのよ」


「それがどうかしたのか?」


「私たち、死んでた人間にすれ違っていたのよ。トイレで死んだ看護婦は殺されてから1時間は経っているわ。血塗れで死んでいたのに、綺麗な格好をして歩き回って居たのが説明つかないし。2人同じ人間が居たことになるわよ」


 ジュリとジョンは二手に分かれて廊下を走りながらあの看護婦の姿を探すが、一向に見つからない。

とうとうジュリは息を切らして立ち止まると、廊下の壁を背にして座り込んでしまう。


「痛っ」


 ジュリの右腕に巻かれた白い包帯に、赤い血が滲む。安静にするべき状態なのに、走り回ったのが響いたのか傷口が開いてしまっていた。


「もう、やってられないわね」


ジュリは看護婦の捜索を諦めると、ゆっくりと病室に帰るのであった。

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