第76話 11-9

ジュリ、ジョン、鈴の3人は工場内を駆ける。いくつものドアを蹴破り、廊下を抜け、体についたゴミを吹き飛ばすクリーンルームを抜け、3人は炭酸飲料を製造する現場へと辿り着いた。製造現場で照明が落とされており、薄ぼんやりと光る非常口のライトのみが、自身の存在を主張しているばかりであった。

暗い製造現場の中に目を凝らすと、天井には太いパイプが通り、いくつもの大型製造プラントが並び、清潔な廊下が続いていた。そして、工場のどこからか低い音が断続的に鳴り響いていた。


 3人はそこで足を止めて、後方へと耳を澄ます。執拗に追ってきていた”燃えさかる男”の物理的な気配は一切感じられはしなかったが、直感的にまだ追われていると感じていたのであった。


「ここまで逃げてきましたが、”アレ”を止める手段はありますの?」


「ああ、ここは炭酸ジュースを作る工場だろう? なら、炭酸に封入する大量の液化炭酸ガスがあるはずだ。二酸化炭素の塊を浴びせれば、流石にアイツも鎮火するんじゃないか?」


「水を掛けるよりか、分は良さそうね。ただ、問題が1つあるけど」


「なんだ?」


「車に追いつけるほどの脚力を持った”アレ”が、液化炭酸ガスをずっと浴び続けてくれるかしら? ……誰かが足止めをしないと」


 少しの間、沈黙が3人の間に漂う。足止めをすると言っても相手は、近寄ることさえ難しい高熱を纏った物体である。

離れて足止めをしようにも、弾丸でさえ”燃えさかる男”に触れた瞬間に融解し、そのまま男が走り続けたのを、先ほどリムジンに乗りながら目の当たりにしていたのだった。


「この製造プラントは倒せないかしら? 見た感じ、柱を何本か切れば重心が崩れて倒れそうだけど」


「無理だ。柱を切っても、ちょうど”アレ”目掛けて何トンもある製造プラントは倒せない。先に全て切ればその時点で倒れるし、数本だけ切れば倒れるようにしても、目の前で悠長に柱を切らしてくれるとは思えないしな」


「爆破物で柱を壊すのは?」


「それも駄目だ。 ……あそこを見てみろ」


 ジョンが指さす方向を、ジュリと鈴は同時に振り返る。

その先には、大きく「蒸気管」と書かれた配管が、製造プラントに繋がっていた。もし蒸気が体に触れたら、高熱に皮膚は爛れて動けなくなることは目に見えていた。

そして、蒸気管の近くで爆破など起こしたら、衝撃で工場内のどこからそ危険な蒸気が漏れるのか予測など出来なかったのだ。


「じゃあこの案は無理ね……っ!」


 ちょうどジュリが次の策を練ろうとした瞬間、遠くから微かな焦げ臭さが漂ってくる。同時に何かが焼ける音がゆっくりとだが近づいてくるのが聞こえ始めていた。

”燃えさかる男”は確実に3人の元へと近づいてきていた。液化炭酸ガスの配管は見つけたものの、次の策を練る時間はない。


「あの……ワタクシに提案があるんですが……」


「?」


 ジュリとジョンはその言葉に同時に鈴に視線を向ける。

鈴は着込んでいたトレンチコートを脱ぎ捨て、同時に白のトップスも脱ぎ捨てると、シャツ一枚になる。

そしてジュリとジョンの前で、非常灯に照らされた鈴の影が見る間に肥大していくのであった。



 それから、少しして3人が居た製造現場に”燃えさかる男”が突入してくる。男が歩く度に足跡型に床は融解し、壁には急激な熱膨張によりヒビが入った。

製造現場に足を踏み入れた男は、辺りを見渡しながら周囲を警戒しながらゆっくりと歩く。その”燃えさかる男”の少し先、通路の真ん中に1人の影。


「ここだよ」


 通路の真ん中に立っていたジョンは男に向けて狙いを定めると、マグナムの引き金を引く。重い音が工場内をこだまし、弾丸は男の胸へと吸い込まれる。

しかし男は弾丸などものともせずに走り出し、ジョンをその手で捕らえようと右手を伸ばす。


 だが、ジョンも男の手に捕まるまいと”燃えさかる男”に背を向けて逃げ出し始める。

ジョンと”燃えさかる男”の間で、命懸けの鬼ごっこが始まったのであった。ジョンは広い製造現場を右に曲がり、左に曲がり、時には障害物を飛び越えて逃げ続ける。

男はジョンを追いかけ、工場の奥へ奥へと導かれていく。


 ジョンと”燃える男”の鬼ごっこは突然終わりを迎える。

ちょうど、製造プラントが向かい合ったところに差し掛かった地点で、ジョンは男に向かって閃光手榴弾を投げつける。

一瞬、辺りには白い世界に包まれ、”燃えさかる男”の視界を奪う。だが、それもたかだか3秒程のことである。足を止めた男は、すぐさまジョンの追跡を再開しようとする。

しかし。


「今だ!」


 ジョンから見て左側の2階に設置された製造プラントより、大量の水が”燃えさかる男”降り注ぐ。ジョンは右側のプラントに向けて発泡をすると、プラントには大きな穴がいくつも空き、先ほどと同じく”燃えさかる男”へ向けて今度は葡萄ジュースが降り注いだ。

高熱を持つ男に水とジュースが触れた瞬間、一瞬で白い蒸気となって辺りに立ち込める。先ほどは白い閃光で視界を奪われた”燃えさかる男”は、今度は白い蒸気により視界を奪われる。


「ようやく、お近づきになれるわね?」


 左側の製造プラントの2階より、ジュリがチェーンソーを構えたまま、飛び降りてくる。

そのことに気がついた”燃えさかる男”は右腕でその刃を受け止める。水によって冷やされた表皮は硬くなり、まるで黒曜石のようであった。そしてジュリのチェーンソーの刃ですら、表面を少しだけ削っただけであった。


「堅いわね……」


 チェーンソーの刃を受け止めたまま、”燃えさかる男”は左腕を大きく振りかぶる。ジュリはしゃがみ込んでその腕を避けると、今度は足に狙いをすませてチェーンソーを振るう。

だが、その一撃も”燃えさかる男”の表皮をやや削るだけ。さらに、水が掛かっていない体の一部には熱が戻り、赤く燃え上がり始めた。

ジュリは熱により髪が焦げ始めるが、構わずにチェーンソーを振るう。しかし、何度チェーンソーを振るおうとも、”燃えさかる男”に致命的な一撃を与えることは出来なかった。そして、その間にも、プラントから降り注ぐ水とジュースは、目に見えて少なくなっていく。

それに比例するように、”燃えさかる男”の体に赤みと熱が戻ってくる。


時間は、ない。


「これなら、どうだ!」


 突然、白い蒸気をかき分けて、ジョンのマグナムが”燃えさかる男”の胸へと伸びる。

マグナムの発射口をピタリと”燃えさかる男”につけると、ありったけの弾丸を撃ち込む。だが、引き金を引いても弾丸が出なくなった瞬間、ジョンは”燃えさかる男”に殴られて、壁まで吹き飛ばされる。


 ”燃えさかる男”が次はジュリを殴り飛ばそうとした瞬間、チェーンソーの刃が胸に突き立てられる。

”燃えさかる男”の胸は先ほどのジョンの捨て身の一撃により、大きくひび割れていた。そのひび割れを縫うように、”燃えさかる男”の胸へとチェーンソーの刃をねじ込んだ。


「これなら、どうかしら?」


 ジュリが”燃えさかる男”にチェーンソーの刃を突き立てると同時に、男から距離をとる。

その瞬間に響く、野太い獣の声。その発信元である、ポニーテールを結んだ体長が3メートルはある巨大な熊。その熊は柱の切られたプラントを力一杯押し始めた。

 そして動きが鈍くなった”燃えさかる男”の元へ左側のプラントが大きな音を立てて倒れたのであった。

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