第21話 4-5
雅司は富江の行方を捜したが、とうとう見つけることが出来なかった。彼はいろんな人に富江の所在を聞いて回ったが、ある人は『富江は遠くの恋人の元に行った』とか、『実家の家業を継ぐために、大学を中退した』など、皆一様に違うことを話していた。その中で唯一、気になった話は、『先輩は雨ととも居なくなった』というものだけであった。
雅司は、この話を聞いたとき、なんとなく想像してしまった。大雨の中、水に襲われる先輩を、そしてどこへともなく行ってしまった先輩のことを。
富江が居なくなって3週間も経った頃に、雅司は大学の学食で富江と再会する。学生たちが賑わう食堂で、富江は居なくなったと聞いていたメイと佳奈に囲まれて、楽しそうにお喋りしていた。
富江の姿を見かけた雅司は、急いで富江の元に駆け寄った。
「せ、先輩。どこに行っていたんですか!? 探したんですよ!?」
富江は雅司を見つめるとくすくすと笑う。メイと佳奈も同じように雅司を見ながら笑う。
「なあに? どうしたのよ?」
「だ、だって、先輩。前の飲み会であんな相談を……」
クスクス笑うと、富江は笑みをたたえながら、じっと雅司を見る。雅司はその視線に気圧されながらも、その笑顔に違和感を感じていた。
「冗談よ。じょ・う・だ・ん。横溝君があんな簡単にだまされるなんて思わなかったの」
いや、そんなはずはない。あんな真剣な表情をした人間が、嘘をついているように見えなかったのだ。
「先輩……ここ最近、大学に来てなかったみたいじゃなかったですか。何をしていたんです?」
「彼氏と旅行をしていたのよ。それがなあに?」
富江は口の端を吊り上げながら笑う。雅司はここで、違和感の正体に気がついた。
「先輩……その笑顔……」
雅司は指先が、自分の意思とは無関係に震えるのを感じた。富江は、こんな顔をして笑うような人ではなかったはずだ。
その笑顔は、以前に富江自身が気味悪がっていた表情そのものだったのだ。
「なによ? そんなに人の顔を見て。何か付いてる?」
「いえ……そういう訳じゃないんですが……」
雅司はうつむいて次の言葉を探していたが、言葉が出ない。周囲は先ほどまでは学生たちが騒いで居たはずなのに、今は不思議と静かになる。
釈然としなかったが、ともかく本人はこうして無事に帰ってきたのだ、それで良いじゃないかと自分を納得させた。
「し、失礼しました……サークルのみんなも心配しているんで、顔を出してくださいね?」
「ええ、今度行くわ」
そう答えた富江の表情は、雅司が見慣れたいつもの表情であった。思い過ごしか……?、でもさっきの笑顔は?と雅司は頭の中に疑問符が湧き続ける。富江の姿は最後に会ったときと寸分変わらなかった。
それでも雅司には、目の前で座っている人間が自分と同じ人間には感じられなかった。言うなれば、何かが富江の皮を被って富江を演じているような、そんな雰囲気だ。
その雰囲気には覚えがあった。それは先日に遭遇した”ガンプ”と雰囲気が酷似していたのだった。
そこまで雅司は考えると、背中に冷たい手でなでられるような感覚に襲われる。彼の頭には恐怖と逃走の2つの言葉が巡っていた。
「じゃ、じゃあ……失礼しますね……」
雅司は富江の横を通り過ぎて学食の外へ、努めて冷静さを装って逃げようとした。しかし、恐怖で動揺していたためか、富江が座っていたイスの脚に突っかかって派手な音を立てて転んでしまった。
「痛っ……す、すみません……」
転んだ状態で、富江の方を向いた雅司は、恐怖で動きがピタリと止まる。その富江の憤怒した表情に。
一瞬、足を引っかけてしまったのが原因だと考えたが、答えは富江の足下にあった。
突っかかったときに、富江の鞄を蹴飛ばしてしまったのだ。
そしてその鞄から、500mlと350mlのペットボトルが転がり出していた。
そこまで見た雅司は急いで立ち上がると、富江の方を見ずに逃げ出していた。
――数日後、雅司は再び、ジュリとサンマール・カフェで待ち合わせしていた。
雅司は富江の噂話、富江と再会したこと、学食での出来事、それらを取り留めももなく、ジュリに話した。雅司はところどころ恐怖で身を震わせながら、ジュリに訴えかける。そんな様子を見て、ジュリは雅司に奢らせたチョコケーキを黙々と口に運んでいた。
「……ということがあったんですが、ぼ、僕は大丈夫なんですか?」
ジュリはミルクティーで、口に残ったチョコケーキを流すと雅司に視線を向ける。
「子供に手を出したら、普通、母親は怒るわよ」
「は?」
雅司は意味が分からず、ジュリに聞き返す。
「そのペットボトルよ。大きい方が旦那さん、小さい方がお子さんっていうところかしら」
雅司の頭に学食での富江との会話が思い出された。
『せ、先輩。どこに行っていたんですか!? 探したんですよ!?』
『彼氏と旅行をしていたのよ。それがなあに?』
『彼氏と旅行をしていたのよ。それがなあに?』
「えっ……えっ……」
「まあ、他の人たちには害はないだろうし、本人たちが幸せそうなら良いんじゃない? 雅司君も、彼女たちに関わらなければ、たぶん平気よ」
ジュリはそう言うと、チョコケーキの残りを食べ始めた。白い皿に、チョコケーキの上に掛かっていたココアが雪のように降る。
「先輩たちを救うことって……出来るんですか……?」
「無理」
ジュリは雅司からの質問に間髪入れずに否定した。雅司には、目の前が真っ暗闇になっていくのを感じていく。
「まあ、諦めた方が良いわね。依頼なしで一般人を切ったら、私も捕まっちゃうし」
「先輩たちは、どうなるんですか……」
「旦那さんの故郷に行くだけよ」
「つまりは……あの沢に……?」
ジュリは無言で頷くと、ミルクティーの残りを飲み干した。
その後、雅司は富江たちと会うことはなかった。一時期、同時に富江たちが消えたことが大学で話題になったが、それもすぐになくなった。
雅司は、自身の日常が段々と非日常に蝕まれていっていることに薄々と気がついていた。しかし、彼は頭を振ると、その考えを頭から追い出したのであった。
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