32

 セシリアは即座に真正面のゴブリンに斬りかかると、そいつを一閃で真っ二つにした。

 斬り払われたゴブリンは、襲いかかるどころか悲鳴を上げる暇さえない。

 即座に敵までの距離を詰めた動きは、おおよそ鎧をつけた騎士とは思えない速度だ。

 そして、振り抜かれた剣勢も、女性の膂力りょりょくからは想像のつかないものだった。


 気のせいかセシリアの脚を覆う脛当てグリーブと、腕を覆う籠手ガントレットの辺りから、仄かな魔法の光が立ち上っているのが分かる。

 ゴブリンたちはまるで、その光の残像に誘引されるかのように、一気にセシリアに向かって躍りかかっていった。


「ギイィィィッ!!」


 甲高い奇声を上げたゴブリンの棍棒を、セシリアは左手の盾で防ぐ。

 すると魔法の火花が飛び散って、バチッという破裂音がした。

 直後、棍棒を振るったはずのゴブリンは、火花の衝撃で真後ろにひっくり返った。

 どうやら盾で受け止めた衝撃が、そのままゴブリンに跳ね返されたようである。

 ひっくり返ったゴブリンは、泡を吹いて気絶してしまっていた。


 セシリアはその場から数歩後退すると、今度は剣を真横になぎ払った。

 その一撃は一匹のゴブリンの棍棒を切り裂き、もう一匹の腕を斬り落とす。

 傷を負ったゴブリンは、その場にバッタリと倒れて、苦しげにのたうち回った。


 本来であればここで確実に、ゴブリンにとどめを刺していく。

 だが、これは撤退戦であって、とどめを求めて自分の身を危うくする訳にはいかない。

 セシリアは敵の攻撃を受け止めながら反撃して、少しずつ集落の方へと下がって行った。


 そして自らの身が街道に達した瞬間、セシリアはくるりと後ろを向いて一気に駆け出していく。

 どうやら彼女が殿しんがりで戦っている間に、ヨシュアとラリーは集落に到達できたようである。


 セシリアがそのまま全力で街道を駆け抜けると、ゴブリンたちは全くその速度に追いつけずに、あっという間に引き離されてしまった。

 そして、見る見るうちに集落が近づき、開かれた門が視界の中に入ってくる。


「――セシリア!

 早く!!」


 先行したヨシュアが、門のところで待ってくれているのが判った。

 だが、彼は声を掛けた直後に、驚愕とも言える表情を見せる。

 何しろヨシュアは鎧を纏った騎士が、これほどまでに速く走るのを見たことがない。

 しかもセシリアの鎧は、見間違いでなければほのかに魔法のものと思える光を放っていた。


「ゴブリンたちが来るわ!!

 すぐに門を閉めて!」


 その声を聞いたヘルマンとクラトスが、慌てて門戸の支えを外す。

 すると、セシリアが集落に駆け込んだ直後、大きな音を立てて集落の門が閉ざされた。

 それから間もなくして数十の――いや、百近くかもしれない――ゴブリンが閉じた門に群がるかのように集落を取り囲む。

 ゴブリンたちは手に持った棍棒で門を盛んに叩き、仲間を殺した騎士てきに追い縋ろうと、集落への侵入を試みた。

 集落は門が激しく叩かれる音によって、ある種異様な騒音に包まれている。


 だが、ゴブリンたちの力では、この集落の門や壁は破壊出来そうになかった。

 時間と共に騒音が聞こえなくなると、ゴブリンの数が少しずつ減っていくのがわかった。


 ただ、ゴブリンたちは完全にいなくなってしまったという訳ではない。

 門の上から覗いてみると、集落の近くに数匹のゴブリンがまばらに残っているのが見える。


 ――この疎らに残ったゴブリンこそが、危険な存在なのだ。

 仮にこの残ったゴブリンを退治しようと手を出してしまえば、即座に連鎖して、先ほどの百近い集団を再び呼び寄せてしまう。

 そう考えると今の状態のままでは、この集落から外に出るのは難しいように思われた。






「何とも、えらいことをしてくれましたな」


「――申し訳ない。

 本当に返す言葉がない」


 騎士長のグレンは白髪の男性に向かって、目を瞑りながらゆっくりと頭を下げた。


 身分で言えば中流貴族であるグレンが、平民相手に頭を下げるというのはおかしなことである。

 だが、今回のことは明らかに、騎士側に非のあることだった。

 刺激しなくてもいいゴブリンを刺激してしまい、集落に誘引してしまったのだ。

 その責を感じてセシリアたちは、グレンの動きに合わせるように、その男性に向かって静かにこうべを垂れた。

 ところが発端になったラリーだけは、頭を下げずに明後日の方向を向いてしまっている。

 白髪の男性は頭を下げないラリーを見つめながら、騎士たちに苦言を呈するように口を開いた。


「私たちは確かにゴブリンの出現に困っていました。

 ですが、できるだけ奴らを刺激しないように暮らしていたのです。

 それをまあ、何ともあっさりと、こちらへ引き寄せてしまったものだ」


「元々我らはこの近くのゴブリンの巣を掃討する予定でした。

 こちらの集落にご迷惑をお掛けしたことは確かですが、明日にもやつらを全て退治してみせます」


「本当にそれができるのなら、特に文句はないのですが――」


 明らかに白髪の男性は、グレンの言うことを信用していない表情だった。

 だがそれは彼だけではない。彼の後ろに控えていた数人の住民も、明らかに不審そうな視線を騎士たちに投げ掛けていた。


「――何だ?

 俺たちが信用できないって言うのか?」


 その視線に反応したヘルマンが、鋭く威嚇の言葉を放つ。

 住民たちはそれを聞いてたじろいだが、グレンが手を上げてヘルマンを制止した。


「やめろ、ヘルマン。

 元はといえば我々が招いてしまったことだ。

 ――済まないが今晩はここで夜を明かし、ゴブリンの動きが落ち着く早朝に巣を掃討することにしたい」


「分かりました。

 ですが生憎あいにく、空き家がありませんでな。

 野営で良ければというところですが」


「問題ない。

 それで、夜間の見張りは――」


「見張りは集落ここの人間でやりましょう。

 元々騎士団に、ゴブリン退治を依頼したのは我々なのですから」


 グレンは白髪の男性に礼を述べると、そそくさと野営をする場所へと向かっていった。

 残りの騎士たちも厳しい表情のまま、グレンの後を無言で追う。


 ――セシリアは騎士見習いであった時も、十分に騎士の現実を見ていたはずだった。

 ただ、ゴブリンの退治を望んだ集落に着けば、自分たちを多少は歓迎してもらえると思い込んでいたのだ。


 ところが住民が騎士を見る視線に、歓迎の雰囲気はなかった。

 無論、自分たちの失態のせいで、集落に危機が訪れているのだから仕方がない。

 ただ一方でそれは、単に騎士の地位にあるからといって、盲信的に歓迎される訳ではないことを意味している。

 騎士が騎士としてあるべき振る舞いをせねば、いつだって住民は簡単に名ばかりの騎士を見捨ててしまうことだろう――。



 騎士たちは野営の準備を整えると、それぞれのテントに分かれた。

 設営されたテントは四つだったが、セシリアは女性ということで、一人で一つのテントを占有することが許された。

 幸いグレンの部隊は、セシリアを入れて七人という奇数だ。

 なので彼女がそういう扱いになっても、それが不自然だという訳でもない。

 無論全員が男性であれば、テントを一人で占有するのは隊長のグレンということになっていただろう。

 その点で言えばグレンの中にも、女性への気遣いのようなものが存在しているとも言える。


 騎士たちは休む前に一旦集合すると、翌朝の戦術について綿密な打ち合わせを行った。

 ゴブリンの巣の位置、準備すべきもの、攻めるときの隊列。

 そして、今日のようなことを繰り返さないための注意事項――。


 本来であればこの夜も、警戒を解くような状態ではない。

 ゴブリンたちは刺激しなければ動かないとはいうものの、いつどんな切っ掛けで集落を襲うかわからないからだ。

 だが、集落の住民が見張りに立ってくれることで、騎士たちは警戒を解いて、休息をとることができる。

 それもあってヘルマンたちは、金属鎧プレートメイルを脱いで、既に骨休めの様相になっていた。


「じゃあ、セシリア。

 寝坊しないようにね」


「フフ、それはヨシュアもよ」


 打ち合わせを終えたセシリアたちは、軽い談笑を交えながらそれぞれのテントに戻る。

 セシリアは一人あてがわれたテントの中に入ると、鎧を脱がずに、そのままの姿で横になった。


 無論、鎧を脱いだ方が、身体は休まるに違いなかった。

 だが、彼女はこの鎧を脱ぐことに抵抗を感じている。

 それは不意に迫るかもしれない危機に備えておくという意味だけではない。


 セシリアはこの鎧に、できるだけのだ。


 彼の手で作られたこの鎧を纏い続けることで、忍び寄る不安や災厄から、自分を守れるような気がしていた。

 そして、この鎧を纏ったままでいることが、まるで彼の腕の中に抱き締められているかのように――そんな温かい想いを感じることができたのだ。


 セシリアはそんなことを頭に浮かべながら――。

 その身に陶器の鎧を纏ったままで、襲い掛かる微睡まどろみみの中に静かに落ちていった。






 深い暗闇の中から、急激に身体をすくい上げられたような気がした。

 ハッと目を覚ましたセシリアが最初に知覚したのは、左手首を何かにトントンと叩かれるような感覚である。

 即座に左腕を確認してみると、そこには何ら異常のようなものは感じられなかった。

 だが、仄かに籠手ガントレットに仕込まれた宝石が、魔法の光を帯びているような気がする。


 ――と、セシリアはそこまで確認した瞬間、近くに何者かがいるような気配を感じとった。


「なっ、誰!?」


 セシリアが慌てて上体を起こすと、確かに暗いテントの入り口に人影のようなものがある。

 彼女は即座に枕元に置いた剣を掴むと、油断なく身構えてその人物を確かめようとした。


「――まさか、ヘルマン!?」


「あっ――あぁ。

 ――チッ、気づいちまったか」


 そこには、ばつの悪そうなヘルマンの姿があった。

 どうやら、彼女に何らかのが近づいて来たことを、左手首の触媒が震えて知らせてくれていたらしい。

 見ればヘルマンは非常にラフな恰好で、しかもズボンのベルトを外しているように見えた。

 その恰好が何を目的に、彼がこの場に現れたのかを物語っているように思う。

 まさかとは思っていたが、ヘルマンが考えていたことを思うと吐き気がするようにおぞましい。


 セシリアはその場で剣を抜く構えを見せると、ヘルマンを容赦なくにらみつけた。

 とにかく一秒でも早く、ヘルマンをこの場から追い出さなければならない。

 セシリアはテントの外を指さすと、決して声を荒らげぬように注意して呟いた。


「このまま黙って出て行きなさい。

 でなければ大きな声を出すわ」


「チッ、大きな声とか、お前は街娘かよ。

 ――わかった。大人しく出ていくよ」


 ヘルマンはそう吐き捨てると、脱ぎかけたズボンを引き上げながらセシリアに背を向けた。


 セシリアはヘルマンの後ろ姿を見ながら、この光景を誰にも目撃されないことを祈った。

 騎士団の誰かにこの場を見られれば、それこそおかしな誤解を受けてしまう。


 だが、そんな時に運悪く、外へ出たヘルマンと遭遇した人物がいる。


「あれ――?

 そこにいるのは、ヘルマン?」


 少し高めの声色を聞いて、セシリアはドキリとした。

 そして即座にしまったという思いで、頭の中が一杯になる。


 その声は紛う事なき、ヨシュアのものだったのだ。


「ん? 何だ、ヨシュアか」


「こんな夜中にどうしたの?

 ――って、ちょっと待って。

 ヘルマン、そこはセシリアのテントじゃないの――?

 いいや、ちょっと待てよ!!

 お前ッ、セシリアのテントで何をしていた!?」


 これまで聞いたことのないようなヨシュアの声に、セシリアは心底驚いた。

 そして、彼女は転びそうになりながらも、慌ててテントの外へと飛び出す。

 するとそこにはヘルマンの胸ぐらに掴みかかったヨシュアの姿があった。


「ヨシュア、やめて!

 大丈夫、何もされてない。何もなかったわ!」


 ヨシュアは鎧姿のセシリアに気づいて、ヘルマンを掴む力を緩めたようだ。


「セ、セシリア!

 でも――!」


「ヨシュア、調子に乗るなよ」


 ヘルマンはそう言うと、胸ぐらを掴んでいたヨシュアを軽々と投げ飛ばしてしまう。


「うわっ!?」


「ヘルマン――!!」


 投げ飛ばされたヨシュアは、地面でしたたかに背中を打った。

 だが、彼はその場で身体を一回転させると、即座に起き上がって身構える。

 その彼の表情は、普段の温厚なものとは似ても似つかないものだ。

 今にも再び飛び掛かりそうなヨシュアを見て、セシリアは冷静に言葉を選ぶ。


「ヨシュア、やめて。ここは抑えて。

 今は作戦行動中なのよ」


 セシリアに諭されたヨシュアは、少し狼狽うろたえるような仕草を見せた。


 彼女としては当然、ヨシュアに妙な誤解をされたくはない。

 だが、ここで騒ぎを大きくしてしまっては、早朝にゴブリンの巣を掃討するどころではなくなってしまう。

 その結果、もっとも割を喰ってしまうのは、他でもないここで暮らす住民たちなのだ。


「何だ? 何があった?」


 さすがに声と物音を聞いて、グレンやクラトスがテントから出てきた。

 セシリアは彼らの姿を認めると、事態の収束を図る。


「いいえ、何でもないわ。

 ちょっと入るテントを間違えられて、ビックリしただけなのよ」


 その言葉を聞いたヘルマンは、首をすぼめてせせら笑った。

 一方ヘルマンを睨んだままのヨシュアは、厳しい表情を崩していない。

 だが、ヨシュアはヘルマンが自分のテントに戻るのを見届けると、あっさりとその場で背を見せた。


「――明日の巣の掃討には、行けると思っていいんだな?」


 一連のやりとりを不審そうに見ていたグレンが、彼女に問い掛ける。

 セシリアは様々な意味を含蓄したその言葉に、一度目を伏せてから、ゆっくりと頷くしかなかった。




 彼女は自分のテントに戻ると、一つ大きな溜息を吐き出す。

 改めて自身に及ぼうとしていた危機を認識すると、その悍ましさに身震いしてきた。


 彼女は過去に参加した遠征においても、何度か身の危険を感じたことがある。

 だが、今回ほど決定的な恐怖は、初めてのことだ。


 結局その夜、セシリアは打ち震える自分の身体を抱き留めるように――。

 その身を包んだ鎧にすがりながら、眠れぬ夜が過ぎ去るのを待つことしかできなかったのだ。



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