女子大生失踪事件

第1話 蛍光灯泥棒?

 僕の名前は芦谷あしたに しょう

 どこにでもいるごく普通の大学生だ。


 ごくごく普通の大学生が大通りから脇道に入った薄暗い小路を進んでいくだけだ。

 何らおかしくはない。

 目指す先が休業復帰したばかりの探偵事務所だったとしても、それは一般的な若者として取りうる行動の範疇なのだ。


 人がすれ違える程度の路地を曲がって数十歩も歩かないうちに、右手にお目当ての建物が見える。

 ネットで見た写真そのもの。

 その三階建ての雑居ビルは下が喫茶店になっている。

 そして手前に上へ登る階段があって、三階が探偵事務所になっている。

 少し年季の入った建物だが、この程度の雑居ビルならあちこちにあるしなんら珍しくない。

 登るたびに軋んだり、手すりの塗装が取れかけていたりするのは気にしてはいけない。

 うん、普通の人なら気にしない程度の些細なことだ。


 すでに夕刻となっており、建物内部は灯りがないと戸惑う程度には暗い。

 扉の前に立つが特に電灯がつくわけでもなく、ぶら下がっている手書きの『おーぷん』の木の看板も文字を読むのがやっとだ。


 おかしいな、下の喫茶店はやっていたし、場所もあっているはず。

 夕方五時やそこらで本日の営業は終了しましたとか言ったりしないよな。

 ここにきて、急に怖くなった自分がいる。


 ドラマなんかでイメージする探偵といえばサングラスに煙草、盗聴器やペン型のカメラで犯罪スレスレのところまでとことん無茶をする、なんて感じだが本物の探偵ってどんな人なんだろう。

 尾行とか上手くやらなきゃいけないし、奇抜な人よりもどこにでもいそうな冴えないおじさんが実は……みたいなパターンかもしれない。

 というか僕のような至って普通の大学生の依頼なんて引き受けてくれるのだろうか。

 門前払いとかやめて欲しい。

 まさか「せめて話だけでも!」なんて人生で普通なら言わないであろうセリフを、よもや僕が言ってしまうことがあって良いのだろうか。

 立てこもり犯を説得する「田舎のお母さんも悲しんでいるぞ」と身代金を要求された父親の「子供は無事か声を聞かせろ」に次ぐ普通に生きていたらまずお目にかかれない現場とセリフを、まさか当事者になって叫ぶ羽目になろうとは。

 いやまだ決まったわけじゃないけど。

 ここで二の足を踏んでいても仕方ない。

 逃げちゃダメだ、逃げちゃ。

 意を決して、昔ながらのボタン型チャイムにゆっくりと指を伸ばす。

 目標をセンターに入れて。

 スイッチオン。


「――あれ」

 音が鳴らない。

 もう一回。

 耳をそばだてる。

 ……扉の向こうは無音。

 今度はしっかりと強く押してもう一度。

 実はちゃんと鳴っていたとしたらどんだけ迷惑な客なんだろう。

「う……鍵は、かかってい、ない……」

 なんてことだ。

 鍵が閉まっていたら諦めもつくのに。

 ドアノブを回すと普通に回るし、そのまま押したら施錠されていない扉は開いてしまった。

 このまま勢いよく閉めてしまったら確実に軋んだ音が鳴る。

 もしも中に誰か居て、音に気付かれてしまったらそれはそれでバツが悪い。

 ここは一度ゆっくりと閉めて――ん、よく見ると微かに光が漏れ出ている中で、人影のようなものが動いている。

 ということは、中に誰か居る?

 うわわっ、どうしよう、ひょっとしたらバレているのだろうか。

 ……もう後には引けない。

 ええい、ままよっ。

 しっかりするんだ、ここまで来て怖気づくな。

 扉を閉めようとしていた腕を再び伸ばして事務所内へと足を運ぶ。


 玄関のようにマットが敷いてあり、左側は壁、右側は衝立のような仕切りがしてあって奥の様子はよく見えない。

 しかし暗いながらも向かいの窓から西日が差し込んでいるし、こちらの伸びた影も部屋の中に入り込んでいるからバレているかもしれない。

 キィ、とわざと音を立てながら扉を締めて、事務所らしき中を進んでいく。


「あのー……」

 声を上げながら中に入るといかにもマンションの一室程度の広さの空間が広がっていて、大きなソファと事務机が一つ、あとは壁際にダンボールが山積みになっているだけの、殺風景と言ってしまいたくなるような部屋だった。

 そして机の上で踊るシルエット……うん?

 ちょっと待って、明らかに誰かが机の上に乗っている。

 逆光でよく見えないけど、バレリーナのように手足をピンと伸ばしている様子の影だけが僕の目には写っている。

 シルエットから判断するに、女性だろう。

 スカートのように見えるし、背丈もそれほど高くない。

 そしてピンと伸ばした手の先には棒のようなものを掲げている。

 不思議な光景に驚いていると、こちらに気付いたその影が声をかけてくる。

「――ああ、ちょうど良かった。ねぇ、この蛍光灯、付けてくれない?」


 その声の主はゆっくりと机から降り――てない、思いっきり机の上からジャンプして飛び降りたぞ!?

 ふわりとスカートが捲れ上がったような気がするが逆光で何も見えない、くそっ!

 ……い、いやいや。

 これは条件反射の一つだ。

 男なら誰だって目が向いてしまうものなのだ。

 僕は一筋だから、そこは誤解なきよう。

 ……誰に言い訳しているんだろう。

 自分か。


「はい」

 いつの間にか僕の目の前に現れた少女が蛍光灯を差し出してくる。

 よく見ると制服姿、それも私立でお嬢様ばかりが通う、この辺りじゃかなり有名な女子校のもの。

 ……なんでそんな子がこんな薄暗い探偵事務所に?

 などと普通は考えるかもしれない。

 しかし、暗がりでもはっきりとわかるこんな可愛らしい声の女子高生の頼みを聞かないような男がこの世に存在するだろうか、いや居ない。

 これは浮気ではない。

 はっきりと申し上げておきたいのだが、これは生理現象なのだ。

 JK女子高生に頼まれて断る男ゼロ人説。

 そんな当たり前の真理、今更説明するまでもないだろう。

 朝起きる。

 顔を洗う。

 歯を磨く。

 JK女子高生の頼まれごとを聞く。

 ほら自然な流れ。

 どこにもおかしなことはない。

 これは普通、至って普通の思考回路が導き出した結論なのだ。


「……よっ、と」

「わー、お兄さん格好良いー」

 思わず顔がにやける。

 見ず知らずの女子高生にお願いされて蛍光灯を付けるだけの簡単なお仕事で女子高生から褒めてもらえる。

 おいおいここは天国か?

 ――何度でも言うが、これは

 不可抗力なのだ。

「よし、出来た」

 明かりが点く。

 夕日だけが明かりだった事務所内に煌々と光が灯る。


 改めて、机に乗っている僕を下から見上げる少女の姿が鮮明になる。

 ……いや、なんだこの美少女。

 少しだけ茶色の混じった黒髪にくりっとした大きな瞳、全体的に華奢だがハリツヤのある真っ白な肌にお嬢様学校の制服という絵に描いたようなJK女子高生像。

 こんなの可愛くないわけがない。

 少女に見とれていると、彼女は何かを思い出したかのように部屋の隅に向かい、何かを手にして戻ってくる。

「あのー、ついでにあっちの蛍光灯も付けて欲しいなって……ダメ?」

「もちろんオッケー!」

 即答だった。

 自分でもびっくりするくらいのイケメンボイスで答えた。


「あ、その椅子使ってー」

 彼女が指差すのはよくあるパイプ椅子だった。

 机を移動させるわけにはいかないので、椅子に立っての作業になる。

 先ほどの机と違い、少し天井まで距離がある。

 思いっきり腕を伸ばさないと届かない。

「ふんぬっ」

 ダメだ、つま先立ちしないと届かないぞこれ。

 僕が苦戦していると、彼女は何か考えるような仕草をしている。

 正直、その姿も美しくて画になるな、なんて思ってしまっていた。

 すると何か思いついたように顔を上げる。

「そうそう、脚立があったはずだよ、取ってくるね!」

 そう言い残して彼女は部屋を出ていく。

 一人残された僕は、再び天井と格闘を続ける。

 待てばいいのにって?

 何を言うんだ。

 だって彼女が戻ってきたときに、すでに取り付けられていた方が格好良いだろう。

 男ってのは見栄を張りたい生き物なのだ。

 ごく普通の考え方なのだ、ホントに。


「ぬ、ぬぬ、ぬんぬ……」

 謎の唸り声を上げながら全身をピンと伸ばすがあと一歩で天井まで届かない。

 多分、特定保健用食品トクホのマークばりにきれいな姿勢だったと思う。

 思い切りジャンプしたら届くかもしれない。

 しかし失敗したら悲惨な状況になるのは目に見えている。

 流石にあの娘にそんな失態は見せられない。

 というか依頼をする前に門前払いだ。

 そんなことになったらまた「せめて話だけでも!」を言わなければならなくなる。

 ……なんだかまるで言いたい人みたいじゃないか。

 僕の乾いた笑いを代言するかのように、パイプ椅子が軋む。

 最後にもう一回と体を伸ばしたところ、背後の入り口から扉の開く音がした。


紫明しぃ、さっき誰かが二階に上がっていくのが見えたけどお客さ――」

 僕と同年代に見えるが、容姿は似ても似つかないイケメンがこちらを見て絶句している。

 そりゃそうだ。

 見知らぬ男が一人、パイプ椅子の上で特定保健用食品トクホのマークをポージングしているのだから。

「ええっと……蛍光灯泥棒?」

 違います。

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