字句の海に沈む
蟬時雨あさぎ
上
北欧。不思議
その名も、“果ての図書館”。
本という本が最後に行き着くとされ、本の墓場とも称される。そして、もう一つの側面は、迷いを持った人々を導くというものだ。
本の管理、そして迷い人を導くために、たった一人の青年が、司書として常駐している。
「……来たか」
イズミは、そうぽつりと呟いた。
広く、広く、ずらりと果ての無いようにさえ見える本棚が並ぶ。照明の類はないが不思議と明るく、そこにはただ静かな図書館らしい空気感が漂っている。
イズミが開いていた本を丁寧に閉じる。と、そこで図ったかのように図書館の扉がきいぃ、と音を立てて開いた。安楽椅子から立ち上がり、彼は口を開く。
「ようこそ、“果ての図書館”へ」
来館者は、深くフードを被っておりはっきりとした表情は見えない。しかし、イズミの声に驚いてその
「……
何か言ったようだったが、彼には聞こえなかった。数舜、間が開いた後。
「……こんにちは」
おずおずと発せられ、鼓膜を振動させる年若い女の声。フード付きのロングコートを纏い、衣服は殆どモノトーンで揃えられている。時代が時代ならば魔術師の正装だと言われて信じ切ってしまいそうな、そんな恰好だった。
これまた珍しい客だな、と内心思いながら彼は来館者を見た。どうしたら良いのか分からないようで、ただただ彼女は一歩を踏み出そうかと扉の前で体重移動を繰り返している。それを見兼ねて、イズミは声を掛ける。
「どうぞ、此方へ」
「あ……、はい」
座っていた安楽椅子と対になるように置いてある、もう一つの安楽椅子。
傍に有る本棚へ視線を移すと、段々とその目線は天を見上げるように高くなっていく。
「……っ!」
フードが、落ちた。茶色の長髪がふわりと宙に舞い、驚いたようにイズミを見る瞳。その色は、血の赤――成程、フードを深く被る訳である。
しかしそれは、イズミにとっては差し障りのあることではない。
「どうかしました?」
「……いえ、……いいえ、失礼しました」
イズミは気にする素振りがないことを確認すると、フードをそのままに彼女は安楽椅子の方へと歩いてくる。
椅子を勧めると、様子を見ながらゆっくりと浅く座った。
「さて」
自身も元の安楽椅子に深く腰掛けると、視線を真っすぐと合わせてイズミは口を開いた。
「俺はイズミ、この図書館の司書だ。通例として、君の名を聞いておこうか、迷い人よ」
「名。名、ですか……」
少し迷うように彼女は逡巡する。名乗ることが難しいのか、もしくは名が無いのか。
「失礼した。色々と事情があるのならば、無理に名乗ることはない」
「あ、いえ。……お気遣いありがとうございます。名、としていいのかは、分かりませんが」
少しの間の後、彼女は告げる。
「私の識別番号は、
おずおずと名乗った言葉に、目が幾許か丸くなる。イズミは、二の句が継げなかった。大抵のことに動じない彼が驚いて言葉が出なくなるなんてことは、久々のことである。
赤い瞳という色彩から、只人ではなかろうとの推察はしていたが。まさか人間でないものだとは思ってもみなかったことである。Type-IIという名は、イズミの想像の範疇を超えていた。
「厳密には、人ではありません。
「……失礼。迷い人形、か」
「いえ、構いません。姿形は……人間、そのものですから」
ただ、そうとしか返せなかった。と同時に、人間の形をしていることから人間だ、と浅慮にも思った自身の固定観念を恥じる。
魔術。そう呼ばれるものは周知はされていないが、世界に人知れず存在している。不可思議な事象、人が神秘と感じるものには魔力が宿る。
だが、なんて言ったって初めてである。人間以外が迷い人として“果ての図書館”にやってくるということは、今までに一度も報告されていない。マニュアルにだって載っていない。どうしたものか、とイズミが思考を回していると、彼女はおずおずと口を開いた。
「……此処は、迷える人を導くという話をお聞きしました」
「嗚呼。そうだな」
「私は、……迷っているのでしょうか?」
怪訝そうな表情で、彼女は首を傾げていた。その顔を見て、ただイズミは確信をする。
「君は君なりに、
「え……?」
“果ての図書館”は、迷える者を呼び寄せるのだ。館自体がそういう性質を持った魔を帯びたものであるのだ。
たとえその対象が魔導人形であろうと例外でなく、迷える者と判定すれば惹き寄せるのだろう。智が、書物がそれを解決するものならば、尚のことだ。
「この館は、迷える者が必然的に惹きつけられる性質を持つ。そうであれば、君は何かしらに迷いを抱いているのだろう」
「そう、……なのですね」
生まれて間もないのか、Type-IIは未だ違和感を感じるような歯切れの悪い物言いだった。それに戸惑いもあったが、彼女が等しく“果ての図書館”に呼ばれた者であるなら。司書たるイズミすべき事は、一つだった。
「案ずることはない。それを手助けするために俺が居るのだから」
そう言うと、イズミは立ち上がって座るType-IIの目の前まで進んだ。そしてそのまま、身体の周りに魔力の流れを作り始める。
「貴方は、魔術師なのですね」
「職種上、必要なものでね。……魔書や奇書と呼ばれる類のものも、流れ着くのが“果ての図書館”だからな」
世において表に出回らないような類だろうが、本であれば行きつく先は此処である。神秘に対抗するには、司書にも神秘を扱う力が必要だということだった。
段階的に、流れる魔力の量が大きくなっていく。
「俺の仕事。それは貯蔵する本の管理と、……迷える者に、導きの魔術を掛けることだ」
魔力が大きなうねりとなって、二人を包む。その様子を、不思議そうに、そして興味深そうにType-IIは見つめていた。
代々、“果ての図書館”の司書に伝えられる魔術。その詠唱はその代の司書の魔術師としての修練度やセンスによって変わる。就任の際に引き継ぐのが大変だったな、と今でも思い出す程だ。
魔力を声音に込めるようにして、イズミは発した。
「〈此処は、海だ〉」
「……此処は図書館、では?」
詠唱とは、往々にして芝居掛かったようなものが多い。それに対して至極真っ当に答えるType-IIに、苦笑しながらイズミは答えた。
「物の喩えさ。魔術詠唱とはこのようなものなんだ」
「成程、理解しました」
Type-IIは、瞳を見開くようにして観察していた。気にすることなく、イズミは詠唱を続けていく。
「〈――海。それも、文字が揺蕩う、字句の海〉」
「
「嗚呼。〈そして君は、その海を旅する者〉」
「海を旅する、……航海者?」
「そう」
言葉を紡ぐ度、二人の足元に淡く光る魔術陣が展開していく。図書館自体が共鳴を起こしているような、イズミはそんな感覚を覚える。
「〈君はいずれ見つけるだろう。字句の海に沈む、君だけの“こたえ”を〉――」
一層光を帯びて、魔術陣が呼応する。本が騒めいている。見つけてくれと願うように、その使命に燃えているように。
「こたえ……
「さあ。“答え”かもしれないし、“目的”かもしれない。それは君が見つけることだ」
それは、彼女にとっては殊更に違和感のあることだった。本当に、動く人形たる自身の手で、自身の意思で何かを為せるのだろうか、と。
「私が、私自身が見つける……」
人間の模倣でしかない自分。その事実が、ただ彼女に途方もない不安を付きまとわせる。
「〈全ては此処に。智よ、彼の者を導きたまえ〉」
しかし、今ならば何故だか可能であるような気がした。
ひと
「無事、魔術は相成った」
イズミが身を少し引いて、ふぅ、と安堵の息を吐く。
「さ、君の思う
「……はい。有難う、ございます」
イズミが安楽椅子まで戻ると、代わりに今度はType-IIが立ち上がる。見渡す限りに、そこには字句の海が広がっており。
こつり、と不器用ながらも大きな一歩を踏み出す。
こうして、彼女の航海は始まりを告げた――。
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