シュガーライフ

明通 蛍雪

第1話

『シュガーライフ』


 俺は今、追われています。世界中のどこを探しても、俺ほど全力疾走している人間はいないだろう。

「待て、蔵垣くらがき!」

 背後を振り返るのも恐ろしい。俺を追いかけているのは、この学校の裏ボスである杯剣璃さかずきけんり

 粗暴な振る舞いに暴力的な性格、近所の不良からも避けられる悪役っぷり。おおよそ女子高生とは言えない、謎の生物だ。

「お前、俺のシュークリーム食っただろ!」

「だから食べてないですって!」

「嘘つくな!」

 俺が杯に追われるようになった理由。それは杯のシュークリームがなくなったことだ。

 杯は大の甘いもの好きで、週に十二回はシュークリームを食べている。つまり一日に二つ。一つは家で食べるようだが、もう一つはいつも学校で食べている。

 そんな大事なシュークリーム、もとい糖分がなくなったのだ。糖分不足に陥った杯は普段の二倍、考える力がなくなり、その余したパワー全てが運動能力に昇華されている。

 大きな罪を着せられた俺は、現在進行形で死に追われている。

「蔵垣……どこだ……」

 一度は杯のことを撒いたが、ここに来て追い詰められる。

 更衣室に杯が入ってくる。野生化している杯に常識など通用しない。たとえ男子更衣室だろうと杯は入ってくる。

 ロッカーに隠れながら気配を殺す。ロッカーの数は全部で四十個。その内人が隠れられるサイズのものは五つ。

「いない……?」

 獣のように鋭い目を光らせる杯だが、俺に気づくことなく部屋を出て行く。

「今のうちだ」

 更衣室を飛び出し校門を目指す。荷物は既に確保してある。校門を抜ければ杯は完全に俺を見失う。

 更衣室の窓から飛び降りる。中二階に位置する更衣室の窓は普通の教室よりも地面に近い。そして更衣室の窓は校門に向き。俺の勝ちだ。

 未だ学校で彷徨う杯を置いて帰路につく。

 ここで終わればいいのだが、俺の戦いはまだ終わらない。獣化した杯に話は通じない。たとえ一度家に帰りしっかりと糖分を補給したとしても、翌日の学校で思い出したように暴れ出す。つまり、俺の罪が晴れるか償いが求められる。

 しかし罪を晴らすというのは絶望的。真犯人を見つけ差し出す必要があるからだ。では俺が取れる選択は一つ。償いだ。

「くーらーがーきー……」

「ひっ……」

 背後から肩を掴まれる。今この瞬間、俺の命は散る。ホラー映画の登場人物のようにゆっくりと振り返る。

「ああ……」

 終わった。

「力、抜いた方がいいぞ?」

「ちょ、ちょっと待て!」

「あん?」

「これをお前にやろう」

「そ、それは!?」

 リュックの中から紙製の袋を取り出す。紙袋には白い立派な髭を貯えたお爺さんの絵が描かれている。

「お前にシュークリームを買っておいた」

 杯行きつけのシュークリーム専門店。これで杯の機嫌は一発で治る。

「おお! いいのか?」

「ああ、カスタードとホイップの二つ入ってる」

「二つも!?」

 杯の目の色が変わる。ハイライトの入っていなかった瞳は、先ほどとは打って変わってキラキラと輝いている。

「食べるぞ」

 近くのベンチに並んで腰をかける。杯は味わうようにゆっくりとシュークリームを堪能する。

 その隣で俺も自分の分を開ける。

「それは何味だ?」

「いちごホイップ」

「……半分くれ!」

「はいはい」

 まあ、ある程度予想はしていた。たとえ俺が同じ味を頼んでいたとしても、杯は俺からシュークリームを持っていく。なら色んな味を楽しみたいよな。

「蔵垣、両手塞がってる!」

「はいはい。仰せの通りに」

 半分にしたシュークリームを杯は一口で食べる。決して小さくないシュークリームだが、口の周りに一切クリームをつけないとは、流石だ。

「蔵垣はやっぱりいいやつだな。さすが俺の友達だ!」

 友達だったんですか。あんたの友達の定義を是非聞いてみたいっすね。

「俺も、お前の友達でよかったよ」

「そうなのか?」

「ああ」

 こんな奴でも、俺はこいつを嫌いになれないんだよな。ドMなのかな、俺。

「帰るぞ、蔵垣」

「あいよ」

 杯の横を静かに歩いて行く。

 今日も明日も、杯はシュークリームを食べる。

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シュガーライフ 明通 蛍雪 @azukimochi

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