非日常にて、蠱毒の箱庭の長い今日。 ~Killing Side~

郁崎有空

プロローグ いつか来る未来

 『わたし』がわたしに変わる。

 開放された喜びと『わたし』の強い願いがせめぎ合って、それらの感情により腹の底からの咆哮がおのずと湧き出されていく。

 大鎌と円盾が重なり合い弾き飛ばされる。嫌な金属音が廃ビルの部屋にこだまして、かつて「お姉ちゃん」と呼ばれていた制服姿の少女との間合いを引き離した。

はなって子から聞いたよ」

「…………」

「……雪花ゆきか、今まで苦しんでたんだね」

 それを聞くべき『わたし』はもういない。大鎌を中段に構えて、先んじて少女に肉薄する。

 少女は赤く目元を腫らしてはいたが、覚悟を決めた鋭い目つきをしていた。右腕の円盾の上で投映窓エア・スクリーンを操作し、右手の中に光の粒子を集めて短剣を形成する。あれはホーネット妖精パーマーの宿主が本来使っていた武器だ。

 『わたし』の姉だった甘宮桜花あまみやおうか。つくづく、嫌な女だと思う。

 なにも知らず他人の犠牲で今まで散々守られていたくせに、そんな人間の想いを平気で踏みにじる。『わたし』がこんな愚鈍な女を愛していたことが、本当に許せない。

 円盾で大鎌の切っ先をずらして避けて、わたしの間合いの内に入る。

 しまった、このままじゃ――。

「そりゃ、お父さんが雪花にあんなことをしていたのは許せないと思ったし、雪花の想いは分かったけど――」

 短剣を右腕のバングルに装着された正四角時計型スクウェアデバイスに突き刺そうとする。

 わたしはまずいと思いながら、左手の甲でそれをかばう。とっさに桜花の腹を払うように蹴って、すぐさま口で短剣を引き抜いて捨てる。

 腹を押さえながら、桜花はしぶとく立ち上がる。

「……こんなことしたら、もう元には戻れないって分かってたはずだよね?」

「ふん。お前には分からないだろうな」

「分からないよ! なんでそこまでする必要があったのか、分からないんだよ!」

 すぐさま盾の上の投映窓越しにデバイスを操作して、盾に接続した二本のレールを粒子から形成する。それはそれぞれのレールの隙間がクワガタの角のように凹凸のついた、超小型レールガンだった。

 その砲口をわたしの心臓部に向けて、至近距離で発射しようとしている。

 しかし、お前はもう手遅れだ。大鎌なんて使わずに直接手で殴り飛ばして、その後強引に『目的』を果たせばいい。

 この姿でも愛することはできるだろう。『わたし』が散々見てきた愛し方で、この女を愛してやる。それで目的を果たして、制約プログラムから開放されて、わたしはこの街を中心に支配を広げていく。

「ごめんなさい、雪花」レールガンを固定して、投映窓に左手で触れようとする。「あなたにはこれ以上、罪を重ねてほしくな――」

 盾を離して固めた右拳で桜花の腹部を殴り飛ばし、その圧倒的な膂力で離れていた壁に打ち付ける。たとえ精装者パームズランナーが宿主の姿のまま強くなっているとしても、人間の形から外れて肉体強化された妖精に肉弾戦で勝てるはずがない。精装者は総じて妖精の不完全体、つまりサナギだからだ。

 これで力でねじ伏せて、やることをやってしまえばこちらの勝ちだ。

 うずくまる桜花に一歩一歩と踏みしめて近づいていく。見せしめにすぐそばのコンクリート壁を殴ってへこませると、桜花はびくりと身を跳ね上げていた。

 左手で桜花の顎を持ち上げて、右手でブラウスの襟をリボンごと掴む。

「死んでもらっちゃ困るんだ。お前には、死ぬより先に愛してもらわなきゃいけないからな」

「……そんな愛し方しか知らないんだね」

「ああ。おまえらのおかげで『わたし』はわたしになれたんだ!」

 手の爪でブラウスを引き裂いて、はだけた生肌が晒される。ブラジャーの隙間に指を入れて、それをはね除けて乳房をあらわにする。豊かでなだらかな肉の形を指で撫でていく。

 真っ直ぐに捉えたその顔は、己の悦びをこらえるようにしている。『わたし』から生まれた影響か、わたし自身もどこか胸の高鳴りを感じていた。それは、いままでに待ち望んでいたものを前にしたような。

 違う。わたしは『わたし』じゃない。

 わたしが好きだったのは元の世界にいたあいつで、決してこの女なんかじゃない。だけど、だんだんとこの女とあいつがどこか重なるような気さえしてくる。

 この世界を支配して、いつか来るかもしれない、どこかにいるかもしれないあいつを待つ。それがわたしの目的だ。

 指先を下ろして、スカートの留め金を外していく。無抵抗のままにスカートがはらりと落ちて、白い無地の下着の中に指を忍ばせる。

 もう諦めてしまったのだろうか。見ても目の前の顔は怒りに少し歪んで熱っぽくなるだけで、諦めを見せる様子はない。

 まさか、隙を狙って――。

「……っぐ」

 途端、全身が麻痺したように動かなくなる。何事かと見ると、桜花は手を払い除けてレールガンを構えていた。

「雪花の――あなたの負け」

「な、んで……」

「あなたがホーネットの短剣で刺されたのは一度だけじゃない。私はそれを知っていたから」

 揺れる視界のなか、銃口が光を放つ。虫のさざめきのように甲高い金属音と胸の痛みをさかいに、視界がぷつりと切れたようになる。

「さようなら、雪花」

 最期の一瞬、涙する桜花の姿にあいつが重なるような気がした。

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