第百十八話 過去と未来のインターセクト

「彼女の名前はリラ。リラ・アーネスト。彼女は王都グレナデの一角で花売りをやっていた、ただのしがない街の少女だった」


「だった?」


 オリバーはコクリと頷く。

 そこから語られ始めたのは、未だベッドの上で眠ったままの少女の生い立ちだった。


「十歳のころ、ただの街人にしておくにはあまりにも稀有なスキルを手にしてしまった彼女は、そのまま王子に力を認められ、側仕えとなった。が、二人は年も同じ男女。少年と少女とは言え、常に共にいる二人が恋に落ちるのに時間はかからなかった。しかし二人の間には大きな身分の差がある。再三再四王に許しを乞うたが、終ぞ王からの許しはもらえず、齢十二にして、二人はこの国を飛び出した」


 いわゆる駆け落ちと言うやつだろう。

 目的は違うにせよ、十二歳で家を飛び出したという話を聞くと、なんだかこの少女が他人のようには思えない。


「二人は様々な国を巡り、旅をしていたが、ある時故郷の国がとある魔物の脅威にさらされていることを知る。急いで帰国した二人はその魔物に対峙した。結果的に魔物の討伐には成功するが、その代償は大きく、王都は壊滅的な被害に見舞われた」


 壊滅的な被害? と俺は首を傾げる。

 俺の記憶をたどっていくが、近隣の諸国でそんな大きな事件が起きたという話は聞いたことが無い。少なくともこの五年間は。

 奴隷だった二年間は、外の情報を知る方法が無かったから知らないが、とはいえそんな大事件が起きていようものなら、奴隷の俺でも気づくほど屋敷内でも騒ぎになっていたはずだ。

 特にそんな騒ぎが無かったことも考えると、あの二年間でその魔物被害が起きたと言うことはないだろう。

 じゃあオリバーは何の話を、今しているんだ?

 訝しむ俺を尻目に、オリバーは更に続ける。


「その王都を救うべく、とある術士の力によってスキルの力を増幅した彼女は、永遠の眠りと言う呪いと引き換えに、王都を復興させた。それが今から数百年前の話だ」


「数百年!?」


 オリバーからされた突飛な話に俺は思わず驚き声を上げる。

 どうりで聞き覚えのない話だと思った。

 それもそのはず、オリバーが話していたのはつい最近の話ではなく、ある種インステッドの歴史ともいえる話だったのだから。


「そうさ。そして今なおまだ彼女は永遠の夢に縛られたまま生き続けている。そんな彼女を救う方法はただ一つ。君なら分かるだろう、ラグナス君」


「エリクサー……か」


 正解と言わんばかりにオリバーは無言でうなずく。


「それが伝説の霊薬だろうが、クリスタルから与えられるスキルだろうが僕にとってはどちらでもいいんだ。ただ彼女を救えればそれでいい。それが彼女の監視者たる僕の使命だからね」


 そう語るオリバーの瞳は、普段見せるちゃらけたものとは全く異なっていた。

 深いことは分からない。なぜ彼がその使命とやらを負っているのかも。

 だが、その一閃した眼差しを見れば、彼が伊達や酔狂などで彼女を救いたいと思っている訳ではないことは分かる。

 だったら俺のすることは一つだ。


「オリバーの気持ちは分かった。じゃあ俺がスキルでこの人を……」


 目覚めさせればと言いかけたところで、オリバーに右肩を掴まれる。


「待ってくれ。まだその時じゃない」


 オリバーは首を横に振りながら俺を制止した。


「今彼女を目覚めさせることはできない。準備が必要なんだ」


「準備?」


「ああ。最低でも三年。いや、もっとかかるかもしれない」


 オリバーの話の意味不明さに思わず俺は首を傾げる。


「何だよ三年間の準備って。今この人を助けて欲しいからさっきの話をしたんじゃないのか?」


 素朴な疑問。今すぐこの人の呪いを解いて欲しいと思うのが普通じゃないのか?

 しかしオリバーは、再度首を横に振る。


「目覚めさせて欲しいと言うのはそうだが、それは今じゃないんだ。君たちにこの話をしたのは、いずれ準備が整った際に協力を仰ぐため。そしてそれまで君には死んでほしくないからだ」


「どういう意味だ?」


 死んでほしくないとはどういう意味だろうか。

 まるで、この先俺がその末路をたどるような言い方だけど。


「君は『愚者フィナルの冒険』という書物は知っているかい?」


「いや、知っているも何も……」


 と、俺がルーシィの方を見ると、ルーシィはブンブンと風を切るように首を縦に振る。

 『愚者フィナルの冒険』はルーシィの愛読書だったはず。

当然俺も自宅にあったものを知っているどころか読んだこともあるが、それがどうしたというのだろう。


「その様子だと二人とも知っているみたいだね。まぁ、ラグナス君はロクスという偽名を使っているくらいだし知っているとは思っていたけど」


 俺の偽名は『愚者フィナルの冒険』の作者ロクス・マーヴェリックから拝借したものだ。

 オリバーはそこからこの本の存在を知っていると推察したのだろう。


「じゃあこの話は知っているかな? その本は全七巻に渡り、分割記述されている物語だということを」


「七巻!?」


 俺は驚きのあまり思わずオウム返しのように声をあげる。

 振り返りルーシィに「知っていたか?」と尋ねてみたものの、ルーシィもまた知らなかったのか、ブンブンと首を横に振った。


「詳細な話は端折るけれど、君たちが見た本はその七巻のうちの恐らくいずれかだ。僕もその内の一巻しか読んだことは無い」


「じゃあ何でお前は全部が七巻だって知っているんだ?」


 当然の疑問。

 そもそも一巻しか読んだことが無いのであれば、全部が七巻であることはおろか、他の巻があることさえ知る由もないはずだ。

 だってあの本には巻数が記述されていなかったのだから。


「聞いたんだ。僕が作者だと睨むとある人物にね」


「作者って……」


「誰!?」

 

 俺が尋ねるよりも早く、ルーシィが身を乗り出して食いつく。

 まぁ、ルーシィは本の大ファンだし、そりゃ作者が生きていたとしたのなら会ってみたいだろうな。


 待てよ、生きていたら――?


「おい待て、それはおかしい。だってあの本は大昔に書かれた本だろ。作者が今生きていることなんて考えられないはずだけど」


 俺が覚えているのは装丁がボロボロになった姿。数年そこらであんなに本が朽ちるなんて考えられない。


「私もそう思う。少なくとも百年は昔に書かれたものだと聞いているから」


 ルーシィも俺と同じ意見だったようで、若干残念そうな様子でそうつぶやく。


「飽くまでそう睨んでいるというだけだよ。何せ、僕にその第三巻を渡してきたのは他ならぬかの――」


 そこまで言いかけてオリバーはしまったという顔をした。


「彼女? ロクス・マーヴェリックは女性ということですか!? 一体どなたが作者なんですか!?」


 すかさずルーシィがオリバーの失言に飛びつき、食って掛かるように問い詰め始める。

 しかしオリバーはルーシィを片手で制し、首を横に振った。


「今のは口を滑らした僕が悪いんだが、これ以上はノーだ。確信が持てていない情報を憶測だけで話すのは良くないからね」


 がくりと肩を落とすルーシィを尻目に、それよりもとオリバーは話を戻す。


「僕が読んだ第三巻の内容は衝撃的だった。黒髪の精霊術士と白髪の吸血鬼を連れた青年フィナルが、黄金の宝珠を求めて雲海の大樹へ向かい、そして数多の魔物を退治した末に、音波を操る機械竜と対峙する。そんな物語、君はどこかで聞いたことがないかな?」


 俺にそう尋ねながらオリバーはニヤリと笑った。


「それって――」


 まるで今回の旅の内容と同じじゃないか。

 俺は慌てて今まで静かだったシルフを見やる。


「もしかしたら最後の帳尻は合わせたかもしれないね」


 俺の目線を受け止めたシルフは含みのある笑みを浮かべ、そう俺に告げた。

 その一言で何もかもが納得いった。

 なるほど、あの時のシルフの俺を試すような言動。今にしてその意味が理解できた。

 俺の目の前の精霊は知っていたのだ。この物語の結末を。


「一種の未来視か、はたまた過去に刻まれた軌跡を、同じように君が辿っているのか。いずれにしてもこの愚者フィナルと君は何かしらの縁で結ばれている。というのが僕の出した結論だ」


 オリバーは自信満々にそう断言した。

 だとしたら、俺としては一か所引っかかることがある。


「でもそれだとおかしくないか? 確かに一緒に雲海の大樹に行ったルーシィは精霊術士だけど」


 と俺はルーシィの方へ目を向けた。

 仄かな緑色の光に照らされながら、ルーシィが小首を傾げる。

 その綺麗な青色の髪を揺らしながら。


「そうだね、確かに多少違う部分があることは認める。だが、それ以上にあまりにこの状況が酷似し過ぎているんだよ。その違いが未来視だと悟らせぬために作者によって行われた事実の捻じ曲げなのではないかと考えさせられるほどにね。まぁ、そういう意味では、居もしない自分の化身を作中に登場させることが一番の捻じ曲げだと思うけれど」


 未来視に居もしない自分の化身ね。

 何が確信が持てていない情報を憶測で話す良くないだ。ほとんど答えみたいなもんじゃないか。


「それで? 結局その話と俺が死ぬかもしれないって話とどう繋がるんだ?」


 とある人物を思い浮かべながら、俺は改めてオリバーへ尋ねる。

 そもそも俺に死んで欲しくない。話の発端はそこだったはずだ。


 するとオリバーはすっと表情を暗くさせ、少し言い淀んだ後、意を決したように口を開いた。


「『愚者フィナルの冒険』。この物語の結末の第七巻。その巻の最後で、フィナルは自ら命を絶つ」

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