第百九話 ロギメル陥落の日―天を劈く始まりの雷嘶―②
「何の音?」
「くっ――、夜襲をしかけてくるなんて……」
何事か私が慌てて周囲を伺っていると、母様は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「時間が無いわ。よく聞くのよ、エアリルシア」
大事な話。恐らくはこれからのことだろう。
父様も言っていたように、これからロギメルは籠城戦に突入する。
けれど、母様の反応を見る限り、もはや万に一つも勝ち目はないのだろうということは私でも察しがつく。
それこそ奇跡でも起きなければ。
「この地下をずっと進んでいくと、城下町の外の森へと繋がっている。そこにさえたどり着けば、後は私の信頼する人にルーデンスから全てを託してあるわ」
「母様は?」
信頼する人というのが誰であるかとか、色々と気になることはあったけれど、先ほどの爆音、時間が無いのは私にも理解ができたからあえてそんな質問は飲みこんだけれど、ただ、どうしてもそれだけは聞きたかった。
どんな答えが返ってくるのか私には分かっていたけれど、それでも母様の口から直接聞いておきたかった。
「私は、ここに残るわ」
私が想像した通りの答えを口にした母様の瞳は、一切の揺らぎを見せない。
それほど全ての決意を固めているということの表れに、私は何も言えなかった。
「この城を、国を、民を、放って逃げることなんてできない。だけど!」
母様は私の両肩をぐっと掴む。
「あなただけは絶対に生き残って、そしてノースラメドへ向かいなさい。アールヴヘイムの精霊郷、そこに精霊王はいらっしゃる。どうか精霊王の力を借りて、あなたがこのロギメルの国を再び平和へと導いて」
母様からは悲痛な声色でそう呟く。
私がロギメルを平和へ導く。
そんなことできるのだろうか。私にそんな大それたことが。
「大丈夫よ、エアリルシア」
母様は、私の表情を見て逡巡しているのが分かったのだろう。
私をギュッと抱き寄せた。
「あなたならできる。だってあなたは私の娘だもの」
母様はその温かな手でゆっくりと私の髪を撫でてくれる。
こうして撫でてもらったのはいつ以来だろう。
母様に撫でてもらうとこんなに安心できるのは何故だろう。
だからか、離れたくなくて涙が止まらない。
「ごめんね、もっとあなたのお母さんで居てあげたかった。こんな時代じゃなければ、こんなに辛い思いをさせずに済んだのに」
私は声をあげて泣く。
「いやだぁ、いやだよぉ……」
離れたくない。
お別れなんてしたくない。
そんな私を母様は、より強く抱きしめた。
「これからもきっとたくさん辛いことがある。でも忘れないで、あなたは一人じゃない。ずっと見守っているから。私も、ルーデンスも、そして先に旅立った三人も」
母様、父様、フランシス兄様、ジャシータ姉様、そしてリーウィル姉様。
皆が私を見守ってくれている。
「だからどんなことがあっても生き続けて。私達の分まで」
上階で二回目の爆音が轟く。
「分かった。もう大丈夫」
私は涙を腕で拭うと、母様にそう告げた。
これから私は一人で生きていかなければならない。
皆が私に託してくれたこの想いを、胸に抱えて。
私のその言葉を聞いて、母様は優しく微笑む。
それを受けて私はコクリと頷き、扉を開け放って走り出した。
「さようなら、母様」
◇
一人残ったレレシィはゆっくりと立ち上がり、ボソリと呟く。
「あの日から別れは覚悟していたつもり、だけどダメね」
レレシィはゆっくりと部屋の外に出て扉を閉めながら、エアリルシアが走って行った方を見つめ、一筋の涙を流した。
「後は頼んだわよ。私を見守ってくれていたように、あの子も見守ってあげて」
レレシィは、遠く待つ信頼するその人に向けてそう願う。
「私も――、いつまでも天から見守っているわ、エアリルシア」
そして最後に告げたその言葉は、とある精霊の力によって、走り出した精霊術士の背中を押すように一陣の風となって吹き抜けた。
◇
轟音の中、私は地下の通路を走り続ける。
恐らく王城は既に戦闘の真っ最中。
後ろ髪を何度もひかれる思いで、私は走り続けた。
どのくらい走ったか、目の前には上へ登る階段。
恐らくは外の森にたどり着いたと思われる。
私は階段を駆け上がりきったところで、出口をふさいでいる石をゆっくりとどけた。
少し重かったけれど、子供の私でも簡単にその石は動かせた。
出てみると、外は真っ暗闇。
微かに辺りに木々が生い茂っており、ここが間違いなく森であることは分かった。
「おっ、出てきたの。本来ならもっと早く出てくるはずだったのじゃが、まぁその辺は誤差程度かの」
「誰っ!?」
神経が過敏になっていた私は、不意に聞こえてきた少女の声に、すかさず臨戦態勢を取った。
「あー、待つのじゃ。儂はお主の味方なのじゃ」
すると、ポッと目の前に小さな光が現れた。
みれば黒いフードを被った小柄の少女が、自身の左人差し指を上に向け、小さな火を灯していた。
「あなたは?」
明らかに不審なその姿に、私は警戒を解かず様子を伺う。
「ルーデンスかレレシィから聞いてないかの? ここから出てきた先の者に頼れと」
その言葉を聞いて、もしかしてと思い尋ねた。
「あなたが、母様が信頼する人?」
母様は、信頼する人に父様から全てを託したと言っていた。
「そういう紹介の仕方をしたのじゃな。何かむず痒いものがあるのじゃが、まぁよいのじゃ」
そしてその少女はフードを取った。
現れたのは真っ白なストレートの髪に、真紅の瞳、そして見惚れてしまうほど透き通るほど真白な肌。
「儂はスカーレット。スカーレット・ブラッドレイじゃ」
「スカーレット……さん?」
どちらかというと私と同じか年下くらいの少女に見えるが、この人が母様の言う信頼する人なのだろうか。
「なのじゃ。ここら辺は既にリーゼベトの兵士に囲まれておる。東西南北どこへ逃げたところで、その姿のままじゃ逃げ切るのは不可能じゃろうな。そこで儂が来た訳なのじゃ」
えへんと胸を張ってそういうスカーレットさん。
本当にこの人の言うことを聞いて大丈夫なのだろうかと一抹の不安を覚える。
「さて、ルーシィよ。儂はこれからお主に予言を授ける」
「予言?」
「なのじゃ」
少女はコクリと頷いた。
「儂はこれからお主が辿る未来を知っておる。本当は全部伝えられればいいのじゃが、全てを伝えれば未来が書き換わる可能性があるのじゃ。じゃからかいつまんで三つ、予言と言う形でお主に伝える。信じるかどうかはお主次第じゃ」
「予言って、急にそんなこと言われても……」
私が狼狽えていると、背後から爆音が鳴り響く。
見れば王城は真っ赤な炎で燃え上がり、至る所で爆発が起こっていた。
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