第六十九話 酒場でのいざこざ

「乾杯!」


 泊まっている宿の近くの酒場。

 俺とルーシィはその一角でカチンとお互いのジョッキを合わせた。


 トロル討伐後、何とかグレナデまで戻ってきた俺たちは、早速ギルドでいくつかの肉片を渡し、報酬を受け取った。

 全て終わる頃には日もすっかり落ちており、宿に帰りながらどこかで晩御飯でもと思いギルド近くの酒場に入ったんだけど……。


「何だい兄ちゃんたち! そんなとんでもなく臭え匂い漂わせられちゃあ、うちの店に変な評判がたっちまう。けえったけえった!」


 と、トロルの血を浴びたせいか酒場の主人に門前払いされてしまい、やむを得ず先に宿に戻ってお風呂に入ることに。

 ちなみに宿の女将さんにそのことを愚痴ると、「まぁ、大変だったねェ」ととても優しく、テキパキとお風呂の用意をしてくれた。またグレナデに来ることがあれば、必ずここに宿泊することにしよう。

 血を浴びたのは俺だけなので、本当なら俺だけ入ればよかったけれど、ルーシィも「少し汗かいたから」と入りたがったので先を譲ったら頬を膨らませて怒っていた。

 一緒に入るつもりだったのかもしれないが、そうは問屋が卸さない。

 ちなみにルーシィが一計を案じ、危うく一緒の入浴となるところだったが、それは何とか回避に成功した。


 二人とも風呂を終えた後、今度は宿近くの酒場で飲むことに。

 お風呂に入ったおかげが、今度は臭いのことには全く触れられず、そして今に至る。


「この調子ならどんどんクエストこなせそう。目指せSランク」


 目の前でゴクゴクとジュースを飲み干すルーシィはとても機嫌がよく、プハァと小さく声を漏らした。

 俺もゆっくりと自分の分を飲みながら、ルーシィが首から提げている黄色のプレートを見る。

 ちなみにルーシィはこのクエスト終了後、GランクからFランクへと昇格した。

 俺と一緒とはいえ、Eランクモンスターを倒したことが大きいらしい。

 俺なんて5年かかったってのにな。レベルリセットさえ習得しなかったら俺だって今頃は――。


「んだとてめぇっ!」


 俺が溜息をつきかけていると、横で大きな声と音が響いた。

 何だとそちらに目を向けてみると、何やらガタイの良い大男が顔を真っ赤にして一人の男を睨み付けている。

 睨みつけられているそのヒョロっとした男は、対照的に顔を青くして震えていた。


「俺が必要ないとはどういう了見だ!」


 大男は鼻息荒く、そのヒョロ男へ詰め寄る。


「い、いえ決してそういう訳では」


「ああん!? じゃあどういう訳だってんだ!」


 今にもヒョロ男を殴り飛ばしてしまわんとする勢いの大男を尻目に俺は溜息をついた。

 これは関わり合いになると面倒だな。

 俺は無視を決め込むことにして、そちらから目を背ける。

 こちらからアクションを起こさなければ何も問題は――。


「ただ、もう護衛をしていただく必要はないと言っているだけで……」


「ふざけるなっ!」


 男が大声を上げたかと思うと、何やら大きな音。

 その直後、顔の左側に衝撃と共に鈍い痛みが走った。


「ってぇ」


 見れば大男の近くの酒樽が壊れており、その一部と思われる木片が俺の傍らに落ちていた。


「ラ、ラグっ! 大丈夫っ!?」


 目の前のルーシィが顔色を青くしながら俺へと手を伸ばす。


「あ、ああ。これくらい何ともないよ」


 俺は何とか痛みをこらえつつ、左前頭部に手を当てると、何やらヌメりとした気持ち悪い感触。

 ゆっくりと確認すると、真っ赤な血がベタリと手の平を染めていた。

 当たり所が悪かったか……。

 こういう時に超回復が発動してくれれば何ともないんだけど、この程度じゃさすがに無理か。トロルを倒してレベルも上がっていることだし。


「ラ、ラグ……」


 そんなことを考えていると前方から震えるルーシィの声が聞こえてきた。

 更に顔色を青くして瞳を大きく揺らしている。


「……さない」


「ルーシィ?」


 わなわなと身体を震わせはじめるルーシィは、ギュっと拳を握りしめた。


「縮め大気、渦に集え、仇の袂で爆ぜる真空」


「お、おい! やめっ――」


「『スパイラルヴォート』!」


 俺の制止も間に合わず、ルーシィは怒りに満ちた表情で魔法を発動させた。

 彼女の手から放たれた空気の渦は塊となり、大男へ向って飛んでいく。

 まずいっ! 中級魔法とはいえ、こんなところで使ったら大変なことに――。


「おやおや、これはいけない」


 刹那、大男の手前で空気の塊が誰かの手によって阻まれる。

 黒の長髪、小さい眼鏡をかけた優男は、ニコリと俺に笑みを向け、その空気の塊を一瞬のうちに握りつぶした。

 しかし衝撃を全て消すことはできなかったのか、手から漏れた風圧が、彼の腰まである長髪を羽織るマントと共に大きく舞い上げる。

 魔法を握り……、つぶした?

 いや、中級魔法だぞ? それをあんないとも簡単に……。


「危ないところでしたねぇ、ザボックさん」


 ルーシィの魔法を握りつぶした男は、腰が抜けたらしく、床にへたりこむ大男に笑顔でそう投げかける。


「てめぇ、何を……」


「いやぁ、中級魔法とはいってもこんなところで発動してはこの店に多少なりとも被害が出てしまうと思いまして。あ、ザボックさんは自業自得なので別にどうでも良かったんですけどね」


 眼鏡の男はそれだけ大男に言うと、今度はこちらへ目を向けた。


「それはそうと、ダメじゃないですか君たち」


 ビシッと俺を指差し、少し怒ったような表情で彼は続ける。


「腕に覚えがあるのは分かりますが、暴力に暴力で返すのはいけない。せっかく君たちに利のある状況が、下手すれば不利になりかねない」


 確かにあの眼鏡男の言う通りだ。

 あのザボックとか言う大男のせいで、何も関係ない俺が怪我をした。

 それでこちらが怒りに任せて報復すれば、結果はどっちもどっちだ。

 あまつさえ店に被害が出ようものなら、俺たちの方が責が大きい。

 ちょっと怪我したくらいで、そこまでやる必要があったのか……ってな。


「すまない。止めてくれて助かった」


「ふむ。君が分別のある人で良かった」


 彼は満足そうにコクリと頷いた。


「ねぇ、ラグ! どうして」


 すると、俺の傍らに居たルーシィが納得いかないと言った表情で袖を引っ張った。


「ルーシィ、下手すれば俺たちはあの男と同じように無関係な人たちを怪我させてしまう恐れもあったんだ。直前で止められなかった俺も悪いんだけどな」


「……うん」


 ルーシィは俺の言葉を聞いて、落ち込んだ様子で俯く。


「だけど俺のことで怒ってくれてありがとう。すごく嬉しかったよ」


 そう言って、ポンポンと俺は彼女の頭を撫でた。

 すると彼女は顔を赤らめて「当たり前だよ……」と小声でつぶやいた。

 そっか、当たり前……、当たり前か。

 多分傷ついていたのがルーシィだったら怒っていたのは俺の方だろう。

 俺がそうであるように、ルーシィにとってそれは当たり前のことなんだ。

 いつからだろうな、そんな単純なことが当たり前のことだと思えなくなったのは。

 俺のために怒ってくれる人なんて居ないと思うようになったのは……。


「何か綺麗にまとめようとしてるが、俺は何も納得してねぇぞ!」

 

 すると今まで黙っていた大男が、元気を取り戻したのか立ち上がり、眼鏡男に怒鳴りつけた。


「まだ居たんですかザボックさん。「覚えてろよ!」とか言いながら退散すれば、今ならまだ可愛い悪役で済みますよ」


「てめぇ、人が黙って聞いてりゃ言いたいこと言いやがって。もう容赦しねぇ」


 完全に顔を真っ赤にして怒り心頭の大男は、アイテムボックスから大きな鉄斧をとりだした。

 いやいや、武器出すとかさすがにそれはまずくないか?


「てめぇぶっ殺してやる!」


「やれやれ」


 大男の怒りに任せた一撃、その斧の刃先を眼鏡男はため息をつきながら受け止める。

 そしてそのまま彼が指先に力を入れると、斧にヒビが入り刃先の一部が粉々に砕け散った。

 唖然とした表情になる大男。その大男を睨み付けながら眼鏡の男は鋭い声色で告げた。


「いい加減にしろ」


 少し離れた俺でも感じ取れるほどの殺気を帯びた一言。

 これが最後通牒だと言わんばかりの一言が、一瞬にして酒場内の空気を冷やしていくのが分かった。


「あ、ああ……」


 それを間近で聞いている男は震えながら再び一歩、二歩後ずさる。


「お、覚えてろよ!」


 そして一目散に背を向けて大男は酒場を飛び出していった。


「全く、はるかに若い彼でさえ僕の言葉の意味が理解できたというのに……ね☆」


 飛び出していく大男を見つめていた眼鏡の男は、やれやれと言った様子でそう呟くと、星が散りそうなウインクをしながら俺の方を見るのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る