第六十八話 竜の巣

 断崖絶壁に囲まれた峡谷。

 複雑に入り組んだ地形、『竜の巣』と呼ばれるその場所は、インステッド王国王都グレナデから東方に位置している。


「結構深いね」


 絶壁の上から下を覗き込むルーシィを尻目に俺は辺りを見回す。

 竜の巣に入ってすぐで見つかったと聞いていたけど……。

 

「ラグ、あれじゃない?」


「ん?」


 崖下を覗き込むルーシィは、そこへ向けて指をさした。

 俺もルーシィの横から覗き込むと、そこにはトロルらしき姿が1匹。

 いや、確かにすぐはすぐだけど……。


「んー、どうやって降りるか……」


 最悪俺の天下無双があれば無傷で降りることは可能かもしれないけれど、トロルを倒すこと等々を考えると得策じゃない。

 さてどうしたものかと考えていると、ルーシィがすくっと立ち上がり、何やら深呼吸を始めた。


「根源の四元、風の祖精霊シルフ」


 彼女がそう呟いた瞬間、ルーシィが緑色の光に包まれる。


「我が呼びかけに応え、空翔ける力を我らに。『エアリアル・スカイウォーク』!」


 彼女がそう唱え終わると、何やら足元がフワフワとした感覚に。

 見れば、両足が地面から離れ、その下に影を落としていた。


「飛んでる?」


「飛んでるのとは少し違うかな。スカイウォークは足元に風の疑似地面を作り出すの。こんな感じで空中を歩けるようになる」


 ルーシィは目の前で空中をぴょんぴょんと飛び跳ねてみせる。

 その都度、ルーシィの足元には緑色の風の渦のようなものが出来ていた。


「なるほどなー」


 試しに俺も足を動かしてみると、確かに空を歩けた。

 地面ほど固くなく、布団を踏んでいるような感覚だ。


「精霊術ってこんなこともできるんだな」


 ここに来る途中も何度か戦闘で見せてもらった精霊術。

 魔法に似た力だけど、どうやら色々と違うところがあるらしい。


「自分の魔力をあまり使わない点がお得」


 どやっと胸を張るルーシィ。いやすごいんだけど、そうされると少し霞んでしまうというか……。


「精霊術は、精霊から借りた力と自分の魔力を混ぜ合わせるんだっけか?」


 昔ルーシィから教えてもらった精霊術の仕組み。

 精霊の力と人の魔力を混ぜ合わせ、良い感じに形が整ったところで顕現させる……、というのが当時の精霊術士様の説明だったんだけど。


「そう。それで良い感じにバーンって形が整ったところで顕現させるの」


 理論は現在でも変わらないらしい。いや、擬音語が増えた分少しは詳細になったのか?

 まぁ、こういうざっくりとした言い方というか雰囲気? みたいなのがルーシィらしくていいんだけど。


「どうしたの?」


 思わずクスリと笑ってしまった俺に、ルーシィはコテンと首を傾げる。


「いや、昔と変わらないなと思って」


 ルーシィと再会してから数日間一緒に居て、改めて思った。

 仕草、雰囲気――、ルーシィは変わってないんだなと。

 そしてどこかそれに対してどこかホッとしている自分が居て……。


「? 私は私だよ。変なラグ」


 何を言ってるのとでも言わんばかりのルーシィ。

 そうか……、そうだよな。


「悪い、何でもない。忘れてくれ」


「?」


「それよりも早くトロルを倒して帰ろう」


 俺はルーシィを促し、一歩前へ踏み出した。

 そうだ。そんなことを今さら気にしても仕方がない。

 俺が今見ていること、感じていること。それが全てなんだよな。


「あ、そうだ」


「ん?」


 前に歩を進めようとする俺の腕を、不意にルーシィがとる。


「ラグ。私高いところが怖い」


 声のトーンを全く変えず、こちらを見上げながらルーシィはそう言う。

 その瞳は恐怖など全くなく、どちらかと言えば何かを期待している様子。


「……。いや、好きだったよな? 高いところ」


 小さい頃、ルーシィに城の塔の最上階へ連れて行ってもらったことがある。

 そこから見える景色は今でも覚えているほど綺麗で、ルーシィのお気に入りスポットの一つだったはずだ。


「何のこと?」


 しかしルーシィはさも知りませんといった表情でこちらを見つめてくる。


「そうやって都合が悪くなるととぼけるところも変わってないな」


「むー」


 俺が突っ込むと、ルーシィはプクッと頬を膨らませる。


「あと、怒ると頬っぺた膨らませるところとかな」


「むーむー!」


 ルーシィは俺の腕から離れると、ポカポカと俺の胸を叩いた。

そんなルーシィを見て、思わずまた笑みがこぼれる。

俺はごめんごめんと何とかルーシィを宥めると、崖下に見えるトロルを討伐すべく、一歩ずつ歩を進めた。



「作戦は伝えたとおり」


 ルーシィはコクリと頷く。

 目の前のトロルは俺たちの身長ほどの棍棒を持ち、威嚇をしてくる。

 俺はルーシィより少し後方から弓を構えてトロルの動向を伺っていた。

 トロルと言うのはパーティに女性がいると、必ずと言っていいほどそちらを狙う習性がある。

 そこで俺たちが考え出したのが、ルーシィが前線でトロルをひきつけている間に、俺が後方から弓でトロルを仕留めるというもの。

 幸いなことに今朝のランダムスキルで、弓用の中々に良いスキルを引き当てることが出来たからの作戦だ。


=======================


  ヨイチの矢

   弓での攻撃が必中になり、威力が倍増す

  る。


=======================


 ただレベルの低い俺では威力が倍増したとはいえ、的確に急所である目を射抜かなければ恐らく一撃でトロルを仕留めるのは難しい。

 できなければ虎の子の天下無双を発動させるまでではあるけれど、これは本当の奥の手として残しておきたいし、この作戦が成功するのを祈るばかりだ。


「グモオオオオッ」


 トロルが耳を劈く雄叫びをあげる。

 それを皮切りにルーシィが地面を蹴り、トロルに特攻した。

 同時に、トロルも軽く地面を揺らしながらルーシィに向けて走り出す。


「根源の四元、水の祖精霊ウンディーネ。我が呼びかけに応え、大いなる水の守りを我に。『アクエリアル・バブルバリア』!」


 今まさにトロルとの戦闘が始まりそうな間合い、その瞬間にルーシィを大きな水の泡が包む。

 ルーシィの中では一度トロルをの攻撃を受けるつもりらしい。

 俺も弓をギリギリまで引き、何時でも狙い撃てるよう構える。

 外せば標的は俺に変わる。この一撃で戦況は変わるから絶対に外さないよう……え?


「グモオオオオッ!」


 何故か、トロルはルーシィになど目もくれず、俺を見据えてこちらへ向かって来ていた。


「え!? は!?」


 遠くのルーシィも、自分を無視して通り過ぎるトロルを唖然とした表情で見つめている。

 いやいやいや、待て待て。話が違いすぎるだろ。

 トロルは女性を真っ先に狙う習性だったんじゃないのか!?

 俺は弓の構えを解除するが、あの体型でトロルはなかなかに素早く、既に奴は俺を射程距離に捕えていた。

 

「グモオオオオッ!」


 振り下ろされる棍棒。

 俺は何とか右に飛び、直撃を避けるが、棍棒が地面を抉った衝撃で俺は吹き飛ばされ、壁に激突する。


「ガハッ!」


 壁に叩きつけられた衝撃で、激痛と共に全身が麻痺したような感覚に襲われる。 

 が、それも束の間、それらは瞬時に消え去った。

 いや、本当に超回復さまさま。


「『エアリアル・エアブレード』!」


「グモオオオオッ!」


 遠くから聞こえたルーシィの声。

 見れば、ルーシィから発せられた数撃の風の刃が、的確にトロルの右足を捕えていた。

 風の刃で斬り裂かれた右足からは血が吹き出し、トロルは雄叫びと同時に膝をつく。

 迷ってる暇はない、使うなら今だ!


「『天下無双』!」


 すぐさま体制を立て直した俺はスキルを発動させる。

 いつもの如く身体から虹色のオーラが溢れだし、力が溢れてきた。


「これで終わりだぁっ!」


 俺は地面を蹴ると、虹色の軌跡を残しながらトロルへと突進する。

 そしてどてっ腹に渾身の一撃を入れると、トロルは血飛沫を上げながら弾け飛んだ。


「はぁ、はぁ」


 幾片かの肉塊となったトロルを見つめていると、息をつきながらルーシィがこちらへと向かってくるのが見えた。


「ラグ! 大丈夫?」


「ああ。それよりも不測の事態で天下無双を発動させた。適当にトロルの肉片拾って、すぐにここを立ち去るぞ。天下無双を発動させた以上、ルーシィで対処できないモンスターに襲われれば一巻の終わりだ」


 俺はルーシィにそう告げると、適当にその辺に落ちている肉片をアイテムボックスへ収納する。

 そして、ルーシィを抱え上げると、天下無双の残った時間で崖を駆け上がった。

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