第3話『風花の戦い①-女子400m個人メドレー-』

 風花が観客席から姿を消した後も、俺達は陽出学院高校の選手を応援していく。そして、


『次から、女子400m個人メドレーのタイム決勝レースとなります』


 というアナウンスが流れる。いよいよ、風花が出場する女子400m個人メドレーか。ただ、


「タイム決勝ってどういうレースなのかしら? 美優は知ってる?」

「ううん、分からない。由弦君は知っているかな?」

「俺も分からないです。すみません」


 タイム決勝って何なのか美優先輩に訊こうとしたら、その前に先輩から訊かれてしまった。そして、花柳先輩も分からないらしい。


「成実先生と一佳先生は分かりますか?」

「あたしも分からないな、美優ちゃん。一佳ちゃんは分かる?」

「はい、分かります。といっても、私も最初に要項のファイルを見たときには分からなかったので調べましたが。タイム決勝は競技形式の一つで、一回のレースのタイムで競技の順位を決めるんです」

「つまり、一発勝負ってこと?」

「そうです。参加する選手が少ない競技、時間がかかる競技、体力を消費しやすい競技などにタイム決勝の形を取ることが多いそうです」

「そうなんだ」


 霧嶋先生がくれた大会日程の紙を見てみると、400m個人メドレーの他にも、男子1500m自由形、女子800m自由形、リレー競技などがタイム決勝の形で実施される。どれも泳ぐ距離が長い競技だなぁ。泳ぐ距離が長ければ、時間はかかるし、選手達の体力もかなり消費される。一発勝負の形にするのも頷ける。


「一発勝負かぁ。それを聞くと緊張するな。まあ、これまでの予選も、決勝に進出するためという意味では一発勝負だけど」

「そうだね、瑠衣ちゃん。でも、私達に声を掛けてくれたとき、風花ちゃんは楽しそうな笑顔を見せてた。だから、風花ちゃんならきっと関東大会への切符を掴めるよ!」

「美優先輩の言う通りだと思います。風花を後押しできるように、俺達は一生懸命応援しましょう!」


 俺がそう言うと、美優先輩達は笑顔で俺のことを見て首肯してくれた。

 そして、女子400m個人メドレーの競技がスタートする。

 霧嶋先生の話だと、タイム決勝ではまず3位までに入ると、その時点で関東大会への出場が決定する。

 また、4位から8位までも、ある条件をクリアすれば関東大会に出場できる可能性がある。その条件とは、関東大会の標準タイムというものを突破していること。そのタイムは5分39秒20とのこと。

 タイム決勝1組目に出場する10人を見ると……風花と一緒に観客席を離れた女子が参加している。ただ、風花の姿はない。どの組に風花が出てくるのも楽しみである。

 泳いでいる選手達を見ていると、個人メドレーの泳ぎの順番は、バタフライ→背泳ぎ→平泳ぎ→自由形なのか。400mなので、それぞれ100mずつ泳いでいく。ラストは自由形だけど、みんなクロールで泳いでいる。

 女子だけど、都大会に参加するだけあって速いな。俺が一緒に泳いでいたら、みんながゴールしたときに、俺はどの泳ぎをしていることやら。

 そんなことを考えていると、選手達が続々とゴールしていく。1位の選手は圧倒的な速さだ。

 陽出学院高校の女子生徒はレース3位で、タイムは5分30秒37。全体で8位以内に入れば関東大会に出場できるタイムだ。凄いな。


『続いては、タイム決勝第2組となります。なお、女子400m個人メドレーの競技はこれにて最後になります』


 もう次で最後なのか。ということは、風花が登場するのは確実か。これまで、多いと10組まで行われた予選競技もあったので、かなり少ない印象だ。タイム決勝である理由の一つに、参加人数が少ないのもありそう。

 プールを見ると、出入口から黒い競泳水着姿の風花が姿を現した。


「風花、頑張れー!」

「頑張ってね、風花ちゃん!」

「風花ちゃーん!」

「ここから応援しているわよ、姫宮さん!」

「頑張ってー!」


 俺達は大きな声でそんな声援を送り、水泳部の生徒達も風花の名前を呼んだり、「頑張れ!」と声を掛けたりしている。それに気づいたようで、風花はこちらに振り向き、持ち前の明るい笑みを浮かべて、大きく手を振った。

 風花は4レーンのスタート台近くにある椅子に座ると、水泳帽を被り、ゴーグルを掛ける。その中で風花の顔から笑みが消え、真剣な様子に。気持ちが競泳選手モードに入ったのかもしれない。

 プール全体を見ると、第1組と同じで10人の選手達で戦うようだ。この第2組の結果次第で、関東大会に進出できる選手が決まるんだ。

 審判員が笛を鳴らし、風花を含めた選手達はスタート台の上に乗る。風花は4レーンのスタート台だ。


『Take your marks』


 という場内アナウンスで、選手達は台の上でスタートの構えを取る。

 それから何秒間か、場内が静寂に包まれた後、

 ――パンッ!

 号砲が鳴り、風花の初戦がスタートした。

 風花は勢いよく飛び込み、水中から姿を現すとバタフライを泳ぎ始める。全体を見ると、風花は……3番目くらいだろうか。


「結構いいスタートなんじゃない? 由弦君」

「いいと思いますよ」


 風花はどの泳法でも速く泳げるオールラウンダー。この高順位をキープできるんじゃないだろうか。ただ、風花の一番得意な泳法は、個別種目でも出場し、メドレーリレーで担当する自由形である。正確に言えばクロールか。


「風花ちゃん、頑張ってー!」

「いい調子よ、風花ちゃーん!」


 風花の泳ぎを見て興奮しているのか、最初のバタフライの時点から美優先輩と花柳先輩は大きな声で声援を送っている。水泳部の生徒の方からも大きな声援が送られている。

 風花の両隣のレーンを泳ぐ選手が1位、2位でずっと泳いでいる。バタフライが得意なのだろうか。風花は3位争いをしている。その状態で最初の50mのターンを行う。


「姫宮さんっ! まだ最初のバタフライよっ! 焦らずに自分のペースでっ!」


 今日一番といっていいほどの大声で、霧嶋先生はそんな言葉をかける。物凄く真剣な様子で。さすがにクラスで受け持っている生徒だと違うな。そんな霧嶋先生の横で、大宮先生は「頑張ってー」と応援している。

 霧嶋先生の言葉が届いたのだろうか。3位争いをしていた他の選手を引き離し、風花は単独3位に浮上する。先頭争いをしている両隣のレーンの選手とは体1つ分くらいの差があって追いつけなかったが、3位で100mを折り返し、バタフライから背泳ぎに変わる。


「両隣の選手が速かったね、由弦君」

「そうですね。ただ、まだ2つ目ですから、きっと巻き返しができますよ。最後には風花お得意のクロールもありますし」

「そうだね。頑張って、風花ちゃん!」

「風花、頑張れっ!」


 俺も今まで以上の大きな声で応援していく。

 背泳ぎになり、依然として先行争いをしながら泳いでいる両隣のレーンの選手との差が段々縮まってきた。どうやら、背泳ぎは風花の方が得意なようだ。150mのターンでは体半分くらいになる。

 そこから50mの背泳ぎで、風花はさらに両隣のレーンの選手との差を縮める。

 そして、横並びになったところで200mのターンをした。風花が追いついたことで、俺達はもちろんのこと、陽出学院高校の水泳部のみんなもかなり盛り上がっている。


「追いついたよ、由弦君!」


 興奮しているのか、美優先輩は普段よりもかなり高い声でそう言う。そして、俺の左手をぎゅっと掴んでいて。

 さあ、ここから100mは平泳ぎ。

 少しの差ではあるが、風花が先頭を泳いでいる。

 ただ、平泳ぎについては互角なのか。それとも、風花の姿を見て必死になっているのか、両隣のレーンの選手も食らいついている。風花との差が広がることはない。また、3人とその他の選手との差は結構開いている。


「どうやら、風花のライバルは両隣で泳ぐ選手になりそうですね」

「そうだろうね」

「両隣の2人も速いものね。ただ、この後は得意のクロールでしょ? きっと、風花ちゃんなら1位を取れるわよ!」


 花柳先輩の前向きな予想に、俺と美優先輩は一度頷いた。花柳先輩の言うように、平泳ぎの後はお得意のクロールだ。きっと、風花なら大丈夫だ。

 250mのターンをしても、風花は両隣のレーンを泳ぐ選手との差に追いつかれることはない。ペースが変わらずに泳げている。

 そして、腕の1本分くらいの差をつけ、風花は先頭で300mのターンを行う。

 さあ、ここからゴールまでは自由形。ラストの泳ぎなのもあって、会場が結構盛り上がってきた。

 どの選手も平泳ぎが終わるとクロールを泳ぎ始める。そのため、全体的にレースのスピードが上がっていく。


「さすがは風花ちゃん! 両隣の選手を引き離していくよ!」

「そうね、美優!」


 黄色い声で美優先輩と花柳先輩がそう言う。

 お得意のクロールゾーンに入ったからか、風花は両隣の選手との差をどんどん広げていく。いいぞいいぞ!

 風花の調子は良く、最後となる350mのターンでは、風花が2位の選手と体1つ分以上の差を付けて先頭でターンする。

 最後の50mとなり、会場全体がさらに盛り上がっていく。


「風花ちゃん! いい調子だよ!」

「頑張って1位取って! 風花ちゃーん!」

「自分を信じてゴールに突き進みなさい! 姫宮さん!」

「風花ちゃん、このまま行けば大丈夫だよ!」

「頑張れ、風花! その調子だ!」


 先頭で泳いでいても、ゴールに近いから自然と応援の声が大きくなって。

 俺達の声が風花に届いたのだろうか。風花は他の選手に追いつかれるどころか、差をさらに広げた状態で1位でゴールした! 電光掲示板を見ると、


『1位:姫宮風花 (陽出学院) 5:08:30』


「やったね! 由弦君! 1位だよ! このタイムなら関東大会出場できるよ!」


 美優先輩はとても嬉しそうな様子で、俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。そんな先輩を後ろから花柳先輩が抱きしめている。


「風花ちゃん凄いわ!」

「凄いですよね!」


 俺は左手で美優先輩、右手で花柳先輩の頭を優しく撫でる。

 花柳先輩の奥では霧嶋先生と大宮先生が抱きしめ合っていた。2人の抱擁が終わると、霧嶋先生の両目には涙が浮かんでいるのが見えた。口角がしっかり上がっているし、きっと嬉し泣きだろう。


「姫宮さんが1位を取れた……!」

「良かったね! 一佳ちゃんの教え子は凄いよ!」

「凄い子ですよっ!」


 大宮先生が頭を撫でると、霧嶋先生は感極まったのか、両目に浮かんでいた涙がこぼれ落ちていった。生徒想いの先生であることを象徴する光景だと思う。いつもならからかいそうな花柳先輩も、今は何も言わなかった。

 再びプールの方を見ると、風花はプールから上がってこちらに向かって手を振っている。そんな風花に、水泳部の生徒達は大きく手を振り「おめでとう!」といった賞賛の言葉をかけている。


「風花! 1位おめでとう!」

「よくやったよ! 風花ちゃん!」

「風花ちゃーん! おめでとう! 凄いわ!」

「先生感動したわ、姫宮さん!」

「おめでとう! 風花ちゃん!」


 俺達も風花に賞賛の言葉をかけると、風花は満面の笑みを浮かべてこちらにピースサインをして、


「ありがとー!!」


 と、プールサイドから大きな声で返事をしてくれた。1位にもなったし、このレースの主役は風花だったな。

 それから程なくして、電光掲示板に予選全体のタイム順位が発表される。風花は全体2位、第1組で出場した陽出学院高校の生徒も全体8位で関東大会の進出が決定した。これまでは予選だったので、関東大会出場を決めたのは2人が最初になる。そのことで俺達5人は再び喜び、抱きしめ合い、霧嶋先生は泣いていた。

 そこからさらに20分ほど経って、風花が一緒に個人メドレーに出場した女子生徒と一緒に観客席に戻ってきた。関東大会への出場を決めたからか、2人は水泳部の生徒達とハイタッチをしている。

 そして、風花だけが俺達のところにやってくる。

 水泳部のみなさんに倣って俺が両手を差し出すと、風花は嬉しそうに「やったよー!」とハイタッチしてくれる。美優先輩、花柳先輩、霧嶋先生、大宮先生も俺に続いた。


「みんな、応援ありがとうございます! 不思議なもので、息継ぎのときとかに由弦達や水泳部のみんなの声がはっきりと聞こえてきて。そのおかげでいい泳ぎができました! 全体では2位でしたけど、レースでは1位でしたし、関東大会に出場が決まって嬉しいです! 幸先のいい都大会のスタートになりました!」


 とても嬉しそうな笑顔で語る風花。レースでは1位になったし、関東大会への出場も決まったんだから、最高に近い都大会のスタートを切れたんじゃないだろうか。


「まずはメドレーの関東大会出場おめでとう、風花」

「おめでとう、風花ちゃん!」

「さすがはカナヅチの桐生君にどの泳ぎも25m泳げるように教えただけのことはあるわ!」

「どの泳ぎも素晴らしかったわ。おめでとう、姫宮さん」

「特にクロールは凄かったよ! 明日出場する競技も頑張ってね。応援しているよ、風花ちゃん」

「はいっ! ありがとうございますっ!」


 えへへっ、と声に出して笑う風花はとても可愛らしかった。

 俺達が水泳部の近くに座っているからだろうか。それ以降は、たまに風花が俺達のところにやってきて、6人で応援することも。

 個人メドレー以降は決勝戦種目が続き、陽出学院高校の生徒が連続で登場することも多い。

 風花達が個人メドレーで関東大会進出を決められたのが追い風になったのか、何人もの生徒が関東大会への進出を決めていった。

 全ての競技が終わると、1日目の表彰式が行われる。各種目決勝8位までの生徒が賞状をもらえるので、風花を含めて陽出学院高校の生徒はたくさん登場していた。素晴らしい。

 風花にとってはもちろんのこと、水泳部にとってもいい都大会1日目になったんじゃないだろうか。1日目、お疲れ様でした。

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