第1話『メンタリスト由弦』
6月22日、土曜日。
今日も朝からジメジメしており、雨がシトシトと降っている。この天気は今日も明日もずっと続くらしい。
梅雨前線が大活躍する予定の週末だけど、水泳の都大会の会場は屋内プール。なので、大会の実施には特に影響ないだろう。
風花の話だと、都大会に出場する水泳部の生徒達は、
「いや~、由弦に荷物を持ってもらっているから楽だよ。ありがとねっ」
「いえいえ」
大会に出場する風花に少しでも楽でいてもらうために、校門前まで荷物を運ぶと俺が志願したのだ。エナメルバッグはそれなりに大きいけど、たいした重さではない。
「そういえば、風花ちゃん。ご家族は応援に来たりするの?」
「今日は家族みんな仕事やサークル、部活とかの予定が入っていますから誰も来られませんが、明日は両親が会場まで応援しに来てくれます」
「そうなんだね」
家族みんな……ああ、大学生のお兄さんと中学生の妹さんがいるって風花が前に話していたな。
あと、明日は風花の御両親と会場で会うことになりそうかな。お母様の
「中学までの大会でも、応援に来られないときは普通にありましたけどね。ただ、今は一人暮らししているので、昨日の夜は家族みんなでLIMEを使ってビデオ通話しました。頑張れって言ってくれたのが嬉しかったです」
「良かったね、風花ちゃん。じゃあ、ご家族が会場に来られない分、私達がちゃんと応援しようね、由弦君」
「そうですね」
「ありがとうございます! あと、由弦と美優先輩が来てくれると、あたし以外の部員も励みになると思います」
明るくて爽やかな笑顔を見せながらそう話す風花。
美優先輩は学校で人気の有名人だから、応援に来るのが励みになるのは納得できるけど……どうして俺まで? 風花が部活中に俺の話をすることが多いのかな。まあ、どんな理由でも俺の存在で誰かの力になれるのは嬉しい。
あけぼの荘を出発してから数分ほど。
陽出学院高校の校門と、その近くに停車しているリムジンバスが見えてきた。結構立派だ。ああいうバスを見ると、中学までの遠足や修学旅行を思い出すなぁ。
校門前には風花と同じ水泳部のTシャツを着た生徒が何人もいる。生徒達の近くには、校舎の中で見たことのある女性教師の姿も。水泳部の顧問かな。入学直後に水泳部での風花の様子を見たことがあるけど、そのときにいた……気がする。
あと、雨が降っているからか、俺と美優先輩のように見送りに来ている人は皆無である。
「あっ、風花ちゃん!」
「おはよう!」
こちらに気づいた何人かの女子生徒が、風花の名前を言って笑顔で手を振ってくる。
「みんなおはよう!」
風花は明るく挨拶をして、女子生徒達に向かって手を振った。
校門前に到着すると、風花は声を掛けてくれた女子生徒達に挨拶をする。風花は部活でもちゃんと友達ができているようだ。こういう光景を見ると嬉しい気持ちに。
「あの。桐生由弦君……ですよね?」
風花に挨拶していた女子生徒達のうちの一人が、俺にそう言葉を掛けてきた。女子生徒は目を輝かせて俺のことを見ている。
「そうですけど……何か?」
「私、桐生君の泳ぎを見たおかげで元気が出て! いいコンディションで今日の試合に臨めそうです! ありがとうございます!」
「えっ……ど、どうも?」
女子生徒はとても嬉しそうな様子でお礼を言ってくるけど、俺には何が何なのかさっぱり分からない。
俺達の会話を聞いていたのか、お礼を言った女子生徒以外にも多くの生徒がこちらを見ていて。見てくる生徒達は皆いい笑顔を浮かべている。……どういうことだ? 美優先輩も状況が掴めていないようで首を傾げている。
「風花。いったい、水泳部のみなさんに何があったんだ。それとも、俺が何かしちゃったのか?」
「……水泳の初回授業の自由時間に、由弦が泳ぐ姿を奏が撮影してくれたじゃない」
「そうだね」
奏というのは、俺と風花のクラスメイトで友人の
去年まで俺はろくに泳げなかった。ただ、今年のゴールデンウィークの旅行で風花がクロール、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎの泳ぎ方を教えてくれた。そのおかげで、どれも25m泳げるようになった。その復習を兼ねて、自由時間に泳いだのだ。その様子を橋本さんがスマホで動画撮影した。
「実は奏からその動画のデータをもらっていたんだ」
「そうだったんだ」
いつの間に。美優先輩ももらっていそう。
「……10日くらい前だったかな。お礼を言ったこの子のタイムが伸び悩んで。いわゆるスランプの状態になって。落ち込んでいるときに、由弦が頑張って泳いだあの動画を見せたの。元々泳げなかった人がここまで泳げるようになったんだよって。そうしたら、元気になって、調子を取り戻したの。それ以降、学年問わず調子の悪い部員に由弦の動画を見せたら、みんな元気になってタイムが伸びてきて」
「そうだったのか。まあ、そういう効果があったなら、俺の泳いでいる動画を勝手に見せたことは不問にするよ」
「ありがとう。あと、由弦のことを『粘りの桐生』とか『不屈のスロースイマー』って呼ぶ部員もいるんだよ」
「そんな二つ名まであるのか」
粘りの桐生はまだしも、不屈のスロースイマーって。水泳部のみなさんに比べたら、俺の泳ぐスピードはかなり遅いだろうからなぁ。特に平泳ぎはかなり時間がかかった。ただ。どの泳ぎも一度も足を付けずに25m泳げたから、『粘り』とか『不屈』と呼ばれるのかも。そう考えると、スローと言われて悪い気はしない。
「凄いね、由弦君! 水泳部のみんなを元気にしているんだ!」
「そうみたいですね。予想外でした」
全然泳げなかった人間が、風花の指導と美優先輩のサポートのおかげで、4種類の泳ぎをそれぞれ25m泳げるようになった。そんな姿を見て、勇気や元気をもらえるのかもしれない。風花がさっき、先輩だけでなく、俺も応援しに来ると自分以外の部員も励みになると言った理由がやっと分かった。
目を輝かせていたり、明るい笑顔なっていたりして俺を見ている生徒達の多くは、例の水泳動画を見て元気になったのかな。
その後、水泳部顧問の女性教師に話しかけられ、例の動画についてお礼を言われた。どうやら、水泳部の部員のメンタル面の向上や維持についてかなり貢献しているらしい。特にスピードがかなり遅い平泳ぎのシーンを見ると、「自分も桐生君のように頑張ろう」と思える部員が多いとのこと。何だかメンタリストになった気分だ。
やがて、都大会の会場へ向かう水泳部部員が全員集合。
水泳部部長の女子生徒と顧問の教師のお願いで、これから会場へ向かう水泳部員達に言葉を送ることになった。
「えっと、その……都大会1日目ですね。みなさん、関東大会出場を目指して頑張ってください。俺も美優先輩と花柳先輩、霧嶋先生と大宮先生と一緒に応援しに行きます。頑張ってください」
「応援しますね!」
俺と美優先輩がそんな挨拶をすると、部員のみんなと顧問から拍手されて「ありがとう!」とか「頑張るぜ!」といった返事を言ってくれる。
俺からの挨拶が終わり、風花を含めた水泳部部員と顧問はリムジンバスに乗り込む。そして、女子を中心に部員達が俺と美優先輩に手を振ってくれる。
それから程なくして、リムジンバスは正門前を出発。俺達はバスが見えなくなるまで手を振り続けた。
それからおよそ30分後。
俺と美優先輩は花柳先輩、霧嶋先生、大宮先生と
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