第10話『姫宮親子』

 昼食の後片付けは三者面談が既に終わっている花柳先輩と俺が行う。先輩の提案により洗うのは俺で、ふきんで拭くのは先輩という役割分担に。7人分の食器を片付けるので、この分担でやるのがちょうど良さそうだ。

 ちなみに、美優先輩達は美優先輩が淹れたアイスティーを飲みながら、食卓で談笑している。

 あと、IHに置かれている鍋の中には麻子さん特製の野菜スープが残っている。風花と俺が一度ずつおかわりしたのに。たくさん作ったんだなぁ。美味しいし、夕ご飯のときに美優先輩と一緒にいただこうかな。


「あっ、お母さんからメッセージ来ました。伯分寺駅に着いたそうです」


 リビングから風花のそんな声が聞こえた。もうすぐ風花のお母さんに会えるのか。冷蔵庫に付いているキッチンタイマーを見ると……今は午後1時45分。ということは、風花のお母さんは早めに伯分寺に来ることができたんだな。


「さっさと終わらせちゃおうか」

「そうですね」


 花柳先輩と俺は後片付けのスピードをアップさせる。洗い担当の俺は、洗い残しがないように気をつけながら。

 スピードアップのおかげなのか。それとも、仕事を分担したのが良かったのか。風花のお母さんが来る前に終わらせることができた。


「後片付け……終わったわ」

「終わりました」

「ありがとう、由弦君、瑠衣ちゃん。何か瑠衣ちゃんは息が上がっているけど大丈夫?」

「お母さんが伯分寺に着いたっていう風花ちゃんの声が聞こえたからね。来る前に終わらせるために……桐生君と一緒に必死になって後片付けしてた」

「そうだったんだ。2人ともお疲れ様」

「お母さんには、101号室でみんなと一緒にいるってメッセージしました。なので、ここにちゃんと来ると思います。もうそろそろ来るんじゃないかと」


 壁に掛かっている時計を見ると、今は……午後1時55分か。伯分寺駅からここまで徒歩で10分ほどだから、どこかに立ち寄ったり、道に迷ったりしていなければ、風花の言う通りそろそろ来ると思われる。

 ――ピンポーン。

 おっ、インターホンが鳴った。タイミング的に風花のお母さんの可能性が高そうだ。

 美優先輩がインターホンのモニターのところに行く。


「はい。……はい、風花ちゃんもいます。すぐに行きますね。……風花ちゃんのお母さんが来たよ。一緒に行こうか」

「はい! じゃあ、行ってきます」


 美優先輩と風花はリビングを後にした。

 やっぱり、インターホンを鳴らしたのは風花のお母さんか。どんな雰囲気の人なのか楽しみだ。


「お母さんっ!」


 玄関の方から、いつもより高めの風花の声が聞こえてきた。久しぶりに母親と会えて嬉しいのかな。もしそうだとしたら微笑ましい。俺と同じことを考えているのか、リビングにいる俺以外の4人はみんな笑顔になっている。

 それから少しして、リビングの扉が開いた。廊下から美優先輩と風花と、チノパンに七分袖のブラウス姿の金髪の女性が入ってきた。肩にトートバッグをかけている。彼女が風花のお母さんか。

 風花のお母さんはこのリビングにいる女性の中で一番背が高い。170cmくらいあるだろうか。スタイルもかなりいいな。風花の母親だけあって、顔立ちの整っている美人な方だ。髪がショートヘアだから、ボーイッシュな雰囲気も感じられる。


「みなさん。こちらがあたしの母で由樹ゆきといいます。で、お母さん。前に写真で見せたから、知っている顔の人もいるけど説明するね。桐生由弦君と母親の香織さん。花柳瑠衣先輩と母親の亜衣さん。あと、美優先輩の母親の麻子さん」

「うん、分かった」


 風花のお母さん……由樹さんは風花にそう言うと、爽やかな笑顔で俺達のことを見てきた。


「みなさん、初めまして。姫宮風花の母の由樹といいます。いつも娘がお世話になっております」


 由樹さんがそう自己紹介すると、軽く頭を下げる。

 さて、5人いるけど、誰から自己紹介すればいいのやら。母さん達の方を見ると……おおっ、みんな俺のことを見ていますね。俺から自己紹介する流れなんですね。分かりました。


「初めまして、桐生由弦といいます。風花とはクラスメイトで、この101号室に美優先輩と住んでいます」

「花柳瑠衣です、初めまして。美優の親友で、彼女繋がりで風花ちゃんとも仲良くなりました」

「桐生香織と申します。息子がいつもお世話になっています」

「花柳亜衣です。娘がお世話になっております」

「白鳥麻子です。娘の美優がいつもお世話になっています」

「みなさん、これからも娘のことをよろしくお願いします」


 由樹さんは再び頭を下げる。昨日からこういう光景を何度も見てきたな。

 由樹さんはゆっくり顔を上げると、俺の方をじっと見てくる。その目はとても輝いていて。そして、彼女は俺の目の前まで近づく。そのことで、香水と思われるローズのほのかな甘い匂いが香ってくる。それもあって、ちょっとドキッとする。


「な、何でしょう?」

「写真で見たときにもかっこいいと思ったけど、実際に見るとよりかっこいい男の子だなと思って。誠実そうな雰囲気だし。こりゃ風花が好きになるのも納得だわ」

「……ど、どうもです」


 風花に告白されて振った経験がある。ファーストキスの相手も風花だ。ただ、今は美優先輩と付き合っており同棲中。だから、どう返事すればいいのか迷った。果たして、これで良かったのか。


「お母さんが由弦本人にあたしの想いを言うと、何だかちょっと恥ずかしいな。ここにいる多くの人はあたしの好意は知っているけど……」


 と、風花は普段よりも小さめの声で言った。そんな彼女は頬を紅潮させ、しおらしくなっている。そんな風花を見て、由樹さんは苦笑い。


「ご、ごめんね、風花。生の桐生君を見たら、ちょっと興奮しちゃって」

「まあ、由弦はかっこいいし優しいからね。少し恥ずかしいだけで、別に嫌だとは思っていないから気にしないで」

「うん。……桐生君。これからも風花と仲良くしてくれると嬉しいな。美優ちゃんと瑠衣ちゃんも。あと、桐生君と美優ちゃんは仲良く付き合ってね」

「はい、分かりました」


 爽やかな笑みを見せながらお願いしてくる由樹さんに、俺はそう答えた。美優先輩と花柳先輩も笑顔で頷く。

 きっと、俺にとって風花は陽出学院に通う同学年の女子の中で、一番長い付き合いになるだろう。


「風花が東京で素敵な友達や先輩と繋がりが持てて安心したよ。……それにしても、桐生君は素敵な男の子だ。とてもいい息子さんですね」

「いえいえ。娘さんこそ素敵ですよ。ただ、由樹さんも素敵ですので、一度、抱きしめてみたいと思っているのですが……」

「えっ?」


 やっぱり、母さんは由樹さんのことを抱きしめたいと言ったか。予想通りだ。ただ、由樹さんにとっては予想外だったようで、目を見開き、顔から笑みが消えている。


「ええと……母は可愛かったり綺麗だったりする女性を抱きしめたがる癖があって。由樹さんも綺麗な方ですから、その癖が発動したのだと思います」

「なるほど、そういうことね。あと、君に綺麗だって言われると凄く嬉しいわ」


 そう言って俺に見せるニコッとした笑みは風花そっくりで。とても可愛くて、彼女の母親なんだなと思った。


「ちなみに、ここにいる女性全員を抱きしめました」

「あら、そうなんですか。じゃあ、あたしもみなさんの仲間に入れさせてください」

「喜んで!」


 抱かせてくれることになったので、母さんはとても嬉しそうに椅子から立ち上がる。由樹さんのところまで近づくと、立ち止まることなく彼女のことを抱きしめた。これで、今回、伯分寺で会う予定の女性には全員抱きしめたことになるのかな。凄いな、母さん。


「あぁ、由樹さんもいい抱き心地です。ただ、この感じは……体を鍛えているように思えますね」

「ええ。体を動かすのは大好きですよ。あと、スポーツジムのインストラクターの仕事をしていて」

「そうなんですね」


 へえ、由樹さんの仕事はスポーツジムのインストラクターか。風花が水泳中心にスポーツ好きなので、彼女の母親らしいなと思える。あと、スタイルの良さは仕事と運動習慣の賜物なのだろう。


「クラスメイトの母親と抱きしめ合うことなんて全然ないですけど、結構いいものですね。相手が香織さんだからでしょうかね」

「そう言ってもらえて嬉しいです。あと、風花ちゃんもそうでしたけど、金色の髪がとても綺麗……」


 そう言い、母さんは微笑みながら由樹さんの髪を触る。そういえば、昨日、風花を抱きしめたときは生来の金髪を凄く褒めていたっけ。母さんの言う通り、由樹さんの髪は風花と同じくとても綺麗な金髪だ。

 母さんに髪を触られたことで、由樹さんの笑顔にほんのりと赤みが帯びて。その姿は少女のような可愛らしさがある。


「そういえば、お母さん。お昼ご飯はちゃんと食べた? 仕事を終わらせてここまで来たって言っていたから」

「食べたのは乗り換えの駅で買ったサンドイッチくらいね」

「そうなんだ。もし、お腹が空いていたら、麻子さんの作った野菜コンソメスープを飲まない? 由弦、まだ残っていたよね」

「ああ、残ってるよ。カップ2杯分くらいかなぁ」

「だよね。凄く美味しいんだよ、お母さん」

「じゃあ、いただこうかな。風花の話を聞いたら飲みたくなってきた。サンドイッチだけだから、お腹もちょっと空いているし」

「分かった! じゃあ、用意するね!」


 キッチンへ向かう風花。久しぶりに由樹さんに会えたからなのか張り切っているなぁ。微笑ましい。

 風花が準備している間に、由樹さんにはさっきまで風花が座っていた椅子に座ってもらう。

 それから2、3分後に、風花は野菜コンソメスープを由樹さんのところに持ってくる。


「あぁ、いい匂い。美味しそうですね。いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」


 野菜スープを作った麻子さんがそう言う。

 由樹さんはスプーンでスープに入っている具材を一通り掬い、口の中に入れる。

 スープが口に合ったのだろうか。由樹さんの表情が段々とまったりとしたものに。


「風花の言う通りですね。とても美味しいです!」

「由樹さんにもそう言ってもらえて嬉しいです」

「ちなみに、野菜の多くはあたしが切りました」

「そうだったんですね、亜衣さん。娘に美味しい昼食を作っていただきありがとうございます」


 そう言って、由樹さんはスープを再び食べ始める。美味しそうに食べる姿も風花そっくりで素敵だなぁ。そんな由樹さん見ていると、ちょっとお腹が空いてきたよ。お昼ご飯を食べたばかりなのに。

 スープがとても美味しかったのか。それとも、風花の親だけあってたくさん食べられるのか。由樹さんは残っているスープを全て食べたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る