第8話『いつもとちょっと違う朝』
6月14日、金曜日。
目を覚ますと、寝室の中がうっすらと明るくなっていた。もう朝か。
美優先輩の方を見ると……先輩の姿がない。先に起きたのか。その際にヘッドボードの棚に置いてある時計を見ると、針は午前6時半を指し示していた。俺も起きて、朝食作りとか洗濯とかの家事をしよう。
「さてと、起きるか……」
「おはよう、由弦」
「……えっ?」
すぐ近くから、母さんの声が聞こえたんですけど。予想外のことだったから、体がピクッとしてしまう。
扉側の方に体を向けると、そこにはベッドに頬杖をつく母さんがいた。俺と目が合うと、母さんはニコッと笑う。
「由弦、おはよう」
「……おはよう、母さん。ちょっとビックリした。母さんはここで何をやっているんだ?」
「久しぶりに由弦の寝顔を見たくなってね。美優ちゃんの寝顔も見たかったけど、私が起きてすぐに起きちゃったからね。ちなみに、美優ちゃんには事情を説明して、許可をもらった上でここにいるわ」
「ちゃんとしてるな。母親だから許可を取る必要はないと思うけど」
「ふふっ。ベッドがどんな寝心地か確かめるのも兼ねて、由弦の隣で横になって、もっと近くで寝顔を見ようかと思ったけどね。さすがにそれは止めておいたわ」
「……それはどうも」
目覚めたら、隣で母さんが横になっている状況を想像すると……何とも言えない気分になるな。きっと、さっきよりもビックリしただろう。
あと、たまに、隣で眠る美優先輩を抱きしめたり、胸に顔を埋めたりした状態で目を覚ますこともある。そういったことを母さんにはしたくないので、隣で横にならないでくれて良かったよ。
「それで、頬杖をついて見た息子の寝顔はどうだったんだ?」
「小さい頃と変わらずとても可愛かったわ!」
テンション高めに答える母さん。俺の寝顔にご満悦だったようで。
それにしても、目を覚ましたら、ベッドに頬杖をついている母親に「寝顔が可愛かった」と言われる男子高校生って、世の中にどのくらいいるのだろうか。
「そりゃ良かったな。あと、昨日はよく眠れたか?」
「とても良く眠れたわ! きっと、由弦の布団だったからだろうね」
「……そりゃ良かったな」
とっても幸せそうな笑みを浮かべちゃって。どうやら、俺の布団にもご満悦だったようだ。まあ、母親に快眠を提供できたという意味で良かったと思う。
「そういえば、美優ちゃんから聞いたけど、先に起きて、朝食やお弁当を作るのは美優ちゃんの方が多いみたいね。美優ちゃんはそれを楽しんでいるみたいだけど、彼女に甘えすぎないように気をつけなさいよ」
「了解です」
思い返せば、エプロン姿の美優先輩に起こしてもらったことが何度あったか。そういうときはもう朝ご飯ができていて。母さんの言う通り、甘えすぎないように気をつけないと。
部屋着に着替えて、顔を洗ったり、歯を磨いたりと寝起きの日課をした後、リビングへ向かう。
美優先輩は朝食作りをしており、今は味噌汁を作っていた。話を聞くと、甘めの玉子焼きを作る予定だそう。なので、申し出て俺が作ることに。美優先輩が見ているし、母さんも食べるものなので緊張したが、ふんわりした玉子焼きを作ることができた。
朝食を作り終わり、昨日の夕食と同じく、リビングの食卓で母さんと3人で食べる。母さんとこうして朝食を食べるのは、俺がここに引っ越してきた日以来か。
美優先輩も母さんも俺の作った玉子焼きがとても美味しいと言ってくれた。母さんに食べてもらうのは久しぶりだったから、食べてもらう前は少し緊張したけど、美味しいと言ってくれたことが結構嬉しかった。昨日の夜、母さんに生姜焼きを食べてもらうときの美優先輩の心境はこんな感じだったのかもしれない。
朝食を食べ終わった後は、後片付けや洗濯などの家事をしたり、制服に着替えて学校へ行く準備をしたりする。
そして、いつも通りの時間にインターホンが鳴り、風花と花柳先輩が迎えに来てくれた。今日は母さんも一緒に玄関へと向かう。
「おはよう、美優、桐生君、香織さん」
「みなさん、おはようございます!」
「おはよう、瑠衣ちゃん、風花ちゃん」
「おはようございます、風花、花柳先輩」
「風花ちゃんに瑠衣ちゃん、おはよう。2人とも制服姿可愛いわね!」
嬉々とした様子でそう言い、母さんは風花と花柳先輩のことを抱きしめる。昨日家に来たときは、2人とも私服姿だったもんな。
母さんに抱きしめられた風花と花柳先輩は柔らかな笑顔に。母さんの背中に手を回しているし、母さんのハグが気に入ったようだ。
「ねえ、風花ちゃん、瑠衣ちゃん。今日のお昼ご飯は私と美優ちゃんのお母さん……麻子さんが作るの。もし良ければ、2人も一緒に食べない?」
昨日の入浴後、美優先輩のご家族とテレビ通話をしたとき、午前中に麻子さんがあけぼの荘に来て、母さんと一緒にお昼ご飯を作ることに決めたのだ。
「食べます! 今日は三者面談があるので、一度、家に帰る予定でしたから」
「あたしもご厚意に甘えたいと思います。お母さんにメッセージを送ります」
「うん。あっ、もし2人の親御さんのご都合が良ければ、親御さんも一緒に食べない? きっと、大勢で食べる方が美味しいと思うから」
「分かりました。そのことも含めてお母さんにメッセージを送ります」
「あたしもお母さんに連絡してみます」
風花と花柳先輩はスクールバッグからスマホを取り出す。もし、亜衣さんと風花のお母さんも一緒にお昼ご飯を食べることになったら、相当賑やかになりそうだ。
「お母さんから返信来ました。一緒に食べましょうとのことです。あと、昼食作りをお手伝いできれば……と」
「分かったわ。ありがとう。風花ちゃんの方はどうかな? 返信来た?」
「まだ来て……あっ、来ました。うちのお母さんはお気持ちだけと言っています。お昼前まで仕事があるそうで。実家も母の職場も千葉で、伯分寺に来るまで2時間ほどかかるので。早くても、来るのが午後2時頃になってしまうみたいです」
「あら、そうなの。それは残念。じゃあ、お昼ご飯は7人で食べましょう」
優しい笑みを浮かべながらそう言う母さん。
風花のお母さんがいないのは寂しいな。仕事があったり、千葉からここまで来るのに時間がかかってしまったりするのは仕方ないか。7人で食べる昼食を楽しみにしよう。母さん達がどんなものを作ってくれるのかも含めて。
「じゃあ、母さん。俺達は学校に行ってくるよ」
『いってきます!』
美優先輩と風花、花柳先輩が声を揃えてそう言う。すると、母さんはニッコリと笑って、
「うん、いってらっしゃい!」
と明るく言ってくれる。そのことに懐かしさを覚えて。中学まで、学校に行くときは今のように言ってくれたっけ。さすがに、玄関を出てまで見送ってくれることはあまりなかったけど。
俺達はあけぼの荘の入口のところで手を振ってくれる母さんに手を振り、陽出学院に向かって歩き出す。
今は雨は降っていないが、空にはどんよりとした雲が広がっている。天気予報では、今日はいつ雨が降ってもおかしくない天気だという。
「ああいう風に見送られると、香織さんがあけぼの荘の管理人さんに見えてきますね。もちろん、美優先輩は素敵な管理人さんですよ!」
「ふふっ。まあ、私がやっているのはアパート周りのことが中心だけどね」
朗らかに言う美優先輩。
母さんがアパートの管理人か。……まあ、合っているんじゃないかな。ただ、女性を抱きしめたがるから、女性の入居者は限られそうだけど。
「あと、誰かに見送られて学校に行くのっていいですね。あたしの両親は共働きですけど、お母さんの出勤が遅い日は、いってらっしゃいって言ってくれたので」
「私も思ったよ、風花ちゃん。心が温かくなる」
「俺の場合は自分の母親なので、懐かしい感覚になりましたね」
「あたしはさっきもお母さんに『いってらっしゃい』って言われたわ。でも、それはあたしが実家に住んでいて、お母さんが主婦だから実現している日常なのよね。あたしにとっては当たり前になっているけど、有り難いことなんだろうね」
「じゃあ、下校して、101号室に行ったら亜衣さんに『お母さんありがとう!』ってお礼を言ってみたらどうですか? 瑠衣先輩」
「……い、言わないわよ。みんなの前では。何か恥ずかしいから」
ニヤニヤしながら提案する風花に、花柳先輩はほんのりと顔を赤くしながらそう答えた。みんなの前ではお礼を言わないんだな。その言葉もあって、花柳先輩がとても可愛く見える。
俺の思考はズレていないようで、美優先輩と風花は花柳先輩に「可愛い~」と言っていた。それを受け、花柳先輩は照れくさそうにしていて。花柳先輩がより可愛く見えたのであった。
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