第9話『看病の思い出』

 花柳先輩と霧嶋先生と一緒にリビングに戻る。

 さっきまで、花柳先輩と俺がそれぞれ飲んでいた日本茶もほとんどなくなっていたので、俺は3人分のホットティーを淹れた。

 リビングにホットティーを持っていくと、花柳先輩と霧嶋先生が隣同士で食卓の椅子に座っていた。


「ホットティーです」

「サンキュー、桐生君」

「ありがとう」


 俺はさっきまでと同じように、花柳先輩の正面の椅子に座る。

 花柳先輩と霧嶋先生はさっそくホットティーを一口飲む。


「……美味しい。さっきまで外にいたから、温かさが身に沁みるわ」

「ですね。いつもなら冷たい飲み物が欲しくなりますが」

「そうね。今日は職員室では暖房がかかっていたわ」


 今日くらいに寒ければ暖房をかけるよな。梅雨寒という言葉もあるけど、今が6月で梅雨入りしているのが本当に信じられない。

 ――ピーッ、ピーッ。

 廊下の方から洗濯機の音が聞こえてきた。


「洗濯機の音ですね。脱水まで終わったのだと思います。俺、洗濯物を干しますね。今日は雨が降ったり止んだりしているので、ここで干す形になります。すみません」

「私達のことは気にせずに」

「一佳先生の言う通りよ」

「ありがとうございます。お二人はゆっくりしていてください」


 それから、俺は室内物干しやタオルハンガーを使い、暖房の風がよく当たる場所で洗濯物を干すことに。

 一緒に住み始めてから美優先輩が初めて風邪を引いたし、学校の先輩と担任教師がいる中で洗濯物を干すのも初めてだ。まさか、こういう休日の時間を送ることになるとは、昨日の今頃は想像もしなかったな。

 普段よりも洗濯物が多めだけど、何とか物干しやタオルハンガーに干すことができた。


「さてと、これで終わりですね」

「おつかれ~、桐生君」

「お疲れ様」

「どうもです」


 洗濯物を干してちょっと疲れたけど、お疲れ様の一言でその疲れが取れた気がする。美優先輩も俺が担当する家事が終わったり、一区切りしたりすると「お疲れ様」とか「ありがとう」って言ってくれるなぁ。その一言がとても嬉しく感じることもある。言葉の力って凄いな。

 洗濯物カゴを洗面所に戻し、俺はリビングの食卓に戻る。ホットティーを口にすると、ほんのりと温かさを感じられる程度まで冷めていた。洗濯物を干したことで体が温まっているので、今はこれがちょうどいい。


「桐生君。さっき、花柳さんと話していたのだけれど、あなたって洗濯物を干すのは慣れているの?」

「はい、慣れています。実家にいた頃から、休日や長期休暇のときは手伝いをしていましたから。ここに住むようになってからは……美優先輩と恋人として付き合い始めてから、洗濯を担当する日があります」

「なるほど。偉いわね」

「下着とかもあるし、さすがに恋人なってから担当するようになったか。ただ、美優が脱いだときとか、夜中に起きたときとか……美優の下着の匂いを嗅ぎたくはならないの? 嗅いだことはあるの? あたしは嗅ぎたいけどね!」

「何てことを訊いているの、花柳さん。あと、そんなに大きい声を出すと白鳥さんが起きてしまうわ」

「そ、そうですね。美優のことなので、つい声が大きくなってしまいました。……で、どうなの? 桐生君」


 花柳先輩は真剣な様子で俺のことを見つめてくる。霧嶋先生は先輩の訊いている内容が下着関連だからか、頬をほんのりと赤くして俺のことをチラチラ見ている。

 霧嶋先生の言う通り、花柳先輩は何てことを訊いているんだか。やましいことはしていないし、ありのままのことを答えよう。


「美優先輩の下着を嗅いだことはないですね」

「本当なの? 嗅ぎたくもならないの?」

「美優先輩は恋人ですから、匂いが恋しいときはありますよ。ただ、毎日一緒のベッドで寝ていますし、抱きしめてもいますし。あと、ソファーで隣同士に座るとほのかに香るときもあるんです。それで十分ですし、先輩の匂いを感じると幸せな気分になりますね」


 あと、ベッドの中などでキスより先の行為をしたときも美優先輩の匂いを感じる。昨日もそうだったな。

 ちなみに、美優先輩は夜中に起きたときなど、俺の下着などを嗅いだことが何度もある。美優先輩のためにも、そのことは言わないけれど。


「なるほどね。きっと、美優も桐生君が今言ったような場面で、あなたの匂いを感じて幸せに思っているんでしょうね」

「そうかもしれないわね。さっきも、桐生君の寝間着を抱きしめて、幸せそうに眠っていたし。同棲している恋人らしい心温まる話だわ」

「そうですね。桐生君が羨ましくも思いましたけどね」


 花柳先輩も霧嶋先生も納得してくれたようで良かった。

 あと、今さらだけど、花柳先輩って美優先輩の下着の匂いを嗅いだことがありそう。水泳の授業で着替えるときとかに。実際はどうなのか気になるけど、空気がおかしくなりそうだし、痛い目に遭う可能性もあるので心に留めておこう。


「それにしても、さっきの白鳥さんは風邪を引いているとは思えないくらいに、いい笑顔をして眠っていたわ。恋人の桐生君や親友の花柳さんの家にいるからかしらね」

「そうだと嬉しいですよね、花柳先輩」

「そうね」

「さっきの白鳥さんを見たら、風邪を引いた小さい頃の二葉を思い出したわ。私が小学校から帰ってきたら、二葉は凄く嬉しそうな笑顔を浮かべてくれて。私の手を握りながら眠る二葉の姿は天使のように可愛かった……」


 そのときのことを思い出しているのか、霧嶋先生はとても柔らかな笑みを浮かべている。先生は妹の二葉さんのことが大好きだからな。シスコンと言っても過言ではないかも。きっと、二葉さんが風邪を引いたときには、一生懸命になって看病したんじゃないだろうか。その光景が容易に想像できるな。


「お粥を作ろうとしたら黒焦げになったから、レンジでチンすればOKなお粥を二葉に食べさせたこともあったわね」

「……二葉さん、助かりましたね」

「そんな言い方しなくてもいいじゃない、花柳さん。さすがに、病人に黒焦げのお粥は食べさせないわよ」


 もう、と霧嶋先生は不機嫌そうに頬を少し膨らませる。かわいい。出会った頃に比べると、様々な感情を顔に出すようになったな。

 そういえば、小学生の頃に風邪を引いたとき、雫姉さんと心愛が俺のためにお粥を作ってくれたことがあった。何を入れたのか分からないけど、そのお粥の色が明らかにおかしくて。けれど、そのときは具合が悪くて判断力がにぶっていたから、お茶碗一杯分食べてしまった。変な味だったけど、きっと体にいいんだろうと思って。そうしたら、熱がさらに上がって、お腹を壊したんだよな。あのときは、子供ながらに人生の終わりへ向かっているって悟ったっけ。


「あとは、二葉が大好きな絵本や漫画を読んであげたこともあったわ」

「俺も妹の心愛に絵本の朗読はしてあげましたね。俺が風邪を引いたときは、雫姉さんから絵本や漫画を読んでもらったこともありました」

「あたしは一人っ子だから、きょうだいエピソードはないですけど、あたしが風邪を引いたときはお母さんが読んでくれることがありました。そういえば、去年、美優のお見舞いに行ったとき、小さい頃に風邪を引いたらお母様が絵本を読んでくれたって嬉しそうに話していましたね。妹の朱莉ちゃんと葵ちゃんが風邪を引いたときは絵本を読んであげたとも」

「そうだったんですか」


 美優先輩の朗読は体験してみたいな。読むのが凄く上手そうだ。朱莉ちゃんと葵ちゃんが羨ましい。


「先輩が喜びそうなら、久しぶりに絵本の朗読を……って思いましたけど、うちには絵本はないですからね」

「今の美優にはBL小説の朗読の方がいいかもね」

「……なぜ、絵本からBL小説になるのかしら? 白鳥さんは腐女子なの?」

「腐女子と言うほどじゃないですけど、美優は普通にBLが好きって感じですね。実は最近、友達からBLの短編ネット小説を勧められまして。それを読んだ美優が感動したと言っていましたので」

「……思い出しました。一昨日、俺が夕食を作り終えたとき、美優先輩がスマホを片手に涙を浮かべていたんです。そのとき、友達に教えてもらったBL小説がとても良かったって言っていましたね」


 個人的にBL小説にはあまり興味がないので、美優先輩の読んだ短編小説のタイトルや内容については訊かなかった。そういえば、美優先輩曰く、その小説はかなり人気があるらしく、公開されている投稿サイトのランキング上位に居座っているらしい。

 あと、あのときは美優先輩が涙を浮かべていたので何事かと焦ったけど、小説に感動したからだと分かってほっとしたっけ。


「感動した作品だったら、朗読するのはいいかもしれませんね。俺はBL作品に触れたことは全然ないですけど」

「桐生君は結構いい声をしているし、雰囲気が出そうね」

「現代文での音読も上手だものね」


 そういう風に言われると、全く知らないBL作品でも朗読したくなっちゃうな。

 それからの話で、美優先輩が起き、例のBL小説の音読を聞いてみたいと先輩が言ったら、朗読することに決まったのであった。

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