第16話『冷やし中華つくりました。』

 6月5日、水曜日。

 今日は朝からどんよりとした空模様。天気予報によると、明日以降は雨が降る日が多いそう。もうすぐ梅雨入りするだろうなぁ。

 今日も授業中にはたまに外の景色を眺めて気分転換していた。これをいつでもできるのは、窓側の席の特権だろう。席替えしても場所が変わらなかったことに当初は新鮮さがないと思ったけど、今はここで良かったと思っている。

 


 放課後。

 毎週水曜は俺、美優先輩、花柳先輩が入部している料理部の活動日。なので、俺は先輩方と一緒に、特別棟の3階にある家庭科室へ向かう。


「やあ、美優ちゃん達。こんにちは。今日もお疲れ様」


 家庭科室に入ると、料理部部長の3年生・汐見美鈴しおみみすず部長が笑顔で挨拶してくれた。俺達はそんな部長に『こんにちは~』と挨拶する。今日も持ち前の爽やかな笑顔を見せてくれるなぁ。ちなみに、部長は長袖のワイシャツを着ており、袖を肘の辺りまで捲っていた。

 俺達が家庭科室に入ったからか、既に来ている料理部部員も『お疲れ様で~す』と言ってくれた。


「今年も美優ちゃんと瑠衣ちゃんの可愛い夏服姿を見られて、僕は嬉しいよ」


 爽やかスマイルのまま汐見部長はそう言い、美優先輩と花柳先輩の頭を撫でる。


「ただ、それよりも……」


 汐見部長は俺達のところにやってきて、両手で俺の右手をぎゅっと握ってくる。そんな部長の頬はほんのりと赤くなっている。


「夏服姿の由弦君……とても爽やかでかっこいいね。僕好みだよ。そんな姿の君を見られるのが一番嬉しいな」

「それはどうも。汐見部長も夏服似合ってますね。これまで以上に爽やかな雰囲気です」

「嬉しいことを言ってくれるね。3年生になったけど、制服のことで褒められて、ここまで嬉しいのは初めてだよ」


 上目遣いで俺を見つめる汐見部長。普段は爽やかで凜々しく、自分のことを「僕」と言うのでボーイッシュな印象がある。だからこそ、今みたいな反応をされると、とても可愛らしくて。あと、手から伝わってくる温もりや、ほのかに香ってくる部長の汗の匂いにドキッとする。


「相変わらずだね、美鈴先輩は」

「そうだね、瑠衣ちゃん」

「美優は彼氏が手を握られていて嫉妬しないの?」

「料理部の部員には、美鈴先輩は誰に対しても気軽にスキンシップをするからね。手を握るくらいなら全然。抱きしめたり、体にスリスリしたりしたらさすがに嫌だけど」

「ははっ、さすがにそこまではしないよ」


 汐見部長の表情は再び爽やかなものになる。そんな部長に美優先輩は「お願いしますね」と言って微笑んだ。

 それからも、続々と料理部の部員が家庭科室にやってきて、


「みなさんこんにちは~」

「……どうも。今日もお邪魔します」


 大宮先生と霧嶋先生が一緒に家庭科室に入ってきた。霧嶋先生、今日も仕事が早めに片付いたのかな。先生は料理部には関係のない人だけど、副顧問と言っていいくらいには料理部の活動に顔を出している。

 大宮先生はロングスカートに半袖のVネックシャツ。霧嶋先生はデニムに半袖のブラウス。月曜日に着てきたワンピースが生徒達に好評だったからか、霧嶋先生は今日もカジュアルな服装を着ている。

 顧問の大宮先生が来たからか、料理部の部員は大宮先生の周りに集まる。


「みなさん、夏服似合ってますね。先週言ったとおり、今日は夏になってから初めての活動なので、冷やし中華を作ります。楽しく作りましょう!」

『はーい!』


 そう、今日の活動で作るのは冷やし中華。

 これは月曜日の放課後に買い出しをしたとき、美優先輩から聞いた話だけど、毎年、夏になってから初めて行なう活動では、必ず冷やし中華にするのが料理部の伝統らしい。

 たまにはランダムに班を決めるのもいいだろうということで、くじ引きを行なう。その結果、佐藤先輩という2年生部員と、鈴木さんという1年生部員と一緒になり、美優先輩や花柳先輩、汐見部長とは別々の班になってしまった。あと、今日は風邪を引いて欠席している部員がいるため、他の班よりも1人少ない人数に。なので、


「今日は私も一緒に作らせてもらうわ。よろしく」


 俺のいる班に霧嶋先生が加入したのだ。そのことに佐藤先輩と鈴木さんは嬉しそう。

 霧嶋先生は以前の活動でホットケーキを作ったときは色々と危なかったし、家にコロッケ作りを勉強したときは、揚げている最中に爆発させたからなぁ。不安だ。大宮先生から受け取った赤いエプロンを身につけてやる気になっているから、更に不安になってくる。前に料理部では、部員の作ったものを食べたり、簡単なことを手伝ったりすると言っていたのに。


「頑張ってね、桐生君」

「……ええ、頑張ります、花柳先輩」


 隣のテーブルから花柳先輩にそう言われる。美優先輩と同じ班になったからか、凄く嬉しそうだ。


「何だか、今の花柳さんの言葉……単に頑張れと言っているようには思えなかったのだけれど……」


 少し目を細めながら霧嶋先生に見つめられるけど、花柳先輩は笑顔のまま。普段以上に頑張った方が良さそうかな。

 そして、冷やし中華を作り始める。

 また、料理が一番できるからという理由で、佐藤先輩から俺がリーダーをやることになった。

 汐見部長が事前に用意してくれたレシピによると、冷やし中華に乗せる具材は、錦糸卵にトマト、細切りのハム、キュウリ、カニカマだ。麺を茹でなきゃいけないし、どういう分担にしようか考えたとき、


「あの、桐生君。部活という時間に、部外者の私がこういうことを頼むのはいけないのかもしれないけれど……錦糸卵の作り方を教えてもらってもいいかしら。正確には薄焼き卵の作り方なんだけど。先週末、成実さんがそうめんのつゆに入れる錦糸卵を美味しく作ったのを見て凄いと思って。でも、あのときは家に卵が残らなかったから訊けなかったの。桐生君……作れる?」

「ええ、作れますよ。佐藤先輩、鈴木さん。錦糸卵は先生と俺で作っていいですか?」

「いいよ、桐生君」

「賛成!」

「ありがとうございます。麺を茹でるのは俺がやりますので、2人は錦糸卵以外の具材をお願いしてもいいですか?」

『はーい!』


 佐藤先輩も鈴木さんも素直な人で良かった。

 隣のテーブルを見ると……美優先輩は卵を持っている。きっと、先輩が錦糸卵を作るようだ。先輩と目が合うと、俺に向かってにっこりと微笑みかけてくれた。


「じゃあ、俺達も作りましょうか。今までに薄焼き卵作りに挑戦したことはありますか?」

「あるわ。その……綺麗に上手くひっくり返すことができなくて。破れてしまったり、ひっくり返すときに、勢い余って手の上に乗せてヤケドしてしまったりしたことがあって。慎重になりすぎて黒焦げにしまったり、分厚くて単なる玉子焼きになってしまったりしたこともあったわ」

「なるほど。溶いた卵を入れる量やタイミングは難しいですよね。まずは俺がお手本を見せながら、教えていきますね」

「ええ、お願いするわ」


 フライパンを熱して油を全体に引き、卵を溶いていく。その間に、霧嶋先生には大きめのお皿と、麺を茹でるためのお湯と用意してもらう。

 菜箸の先端に溶き卵を付け、フライパンに落とすと「ジュッ」という音が聞こえた。


「こうして溶き卵を一滴落として、すぐに固まればOKです。フライパンにもよりますが、この大きさだと卵2分の1くらいの量を入れましょうか。それを全体に広げましょう」


 卵2分の1個分程度の溶き卵をフライパンに入れ、フライパンを回して全体に広げていく。俺の説明を小さなメモ帳にメモしていく先生が可愛らしい。


「広げたら、表面が乾くまで卵を焼いていきます。だいたい30秒くらいでしょうかね」

「なるほど」


 それから、30秒ほど焼いていく。その間、霧嶋先生は真剣な様子でフライパンをじっと見つめている。


「いい感じに焼けてきたわね」

「そうですね。では、ここからが先生が苦戦している卵をひっくり返すところですね」

「一番重要なポイントね!」

「ははっ。まずは菜箸で卵の端を剥がしていきます。ゆっくりと中の方に向かって……3分の1程度のところで、卵を持ち上げます。それで、卵をひっくり返します」


 そう言って、俺は菜箸で掴んだ薄焼き卵をひっくり返した。その瞬間、「おおっ!」という霧嶋先生の声が聞こえた。可愛い反応をしてくれるなぁ。


「凄いわ! 破れていないし、黄色くて綺麗だわ……」

「ありがとうございます。上手くできて良かったです。ひっくり返した面を10秒ほど焼いたら、お皿に乗せましょう」


 焼いた薄焼き卵を菜箸で掴み、霧嶋先生が用意してくれたお皿に乗せた。


「はい、これで完成です」

「……さすがは桐生君ね。丸くて破けていないし、特に焦げているところもない。薄さもちょうどいいし」

「ありがとうございます。同じくらいの量の溶き卵が残っていますから、それを使って練習しましょうか」

「分かったわ」


 俺は霧嶋先生の横に立って、先生の薄焼き卵を作る様子を見ていく。

 カジュアルな服装をしているからか、プライベートな時間に先生へ料理を教えている気分になってきた。スーツやジャージの上にエプロンを身につけているのも悪くはないけれど、今みたいな服装にエプロンをするのが一番いいなと思える。

 ついさっき、俺が手本を見せたからか、薄く焼いた卵をひっくり返す手前まではスムーズにできた。


「ここからね。まずは端の方を剥がしていくのよね」

「そうです。それで、箸をくぐらせて3分の1くらいまで剥がしましょう」

「3分の1……このくらいかしら」

「そうですね。それで、箸で卵を掴んでひっくり返しましょう」

「……えいっ」


 そんな霧嶋先生の可愛らしい声がした直後、薄焼き卵を綺麗にひっくり返すことができた。そのことに、霧嶋先生はとても嬉しそうな笑顔を浮かべる。


「やったわ桐生君! こんな風に綺麗にできたのは初めてだわ! ありがとう!」


 大きな声でそんなお礼を言ってくれる。それが嬉しいと思うと同時に、小さい子供のようで微笑ましかった。

 ひっくり返した面も焼き、霧嶋先生はお皿に丸くて綺麗な薄焼き卵を乗せた。ちゃんとできた感動からか、お皿に乗せると、すぐに両手で俺の右手をぎゅっと握ってきた。


「本当にありがとう、桐生君」

「とても上手でした、霧嶋先生。今回教えたコツを忘れずに練習すれば、毎回、綺麗な薄焼き卵を作れるようになりますよ」

「ええ!」

「やったじゃないですか、一佳先生!」

「霧嶋先生スゴい!」

「一佳ちゃんすごーい!」


 佐藤先輩と鈴木さん、大宮先生が笑顔で霧嶋先生へ拍手を送った。

 俺達の様子を見ていたからか、隣のテーブルにいる美優先輩と花柳先輩達の班の部員達も拍手を送ってくれる。そんな中、美優先輩だけは拍手の後に俺達に向かってサムズアップしてくれた。


「こ、こんなに多くの人から拍手されるほどじゃないわ。でも……ありがとう」


 そう言って、照れくさそうにする霧嶋先生がとても可愛らしかった。

 霧嶋先生と自分で焼いた2枚の薄焼き卵を俺が細く切り、錦糸卵は完成した。

 4人分の麺を俺が茹で、佐藤先輩と鈴木さん、霧嶋先生によって綺麗に盛りつけ。無事に俺達の班の冷やし中華が完成した。タレは酢醤油ベースだ。3人とも完成した冷やし中華の写真をスマホで撮っているので、俺も真似をする。


「桐生君。リーダーなのだから挨拶をしなさい」

「分かりました。無事に完成して良かったです。では、いただきます」

『いただきます!』


 錦糸卵やキュウリなど、具を絡ませながら箸で掬い、冷やし中華を一口食べる。


「……美味しい」


 酢醤油のタレがさっぱりしていて美味しいな。麺の茹で具合もちょうど良く、佐藤先輩と鈴木さんが切ったキュウリやハムなどの具の細さもいい。

 あと、酢醤油のタレも好きだけど、俺は胡麻ダレも好きだ。近いうちに、家で胡麻ダレの冷やし中華を作りたいな。


「ん~! 美味しい!」

「美味しいですよね、佐藤先輩。一佳先生はどうですか?」

「……美味しいわ。この錦糸卵の半分は自分が作ったと思うとより美味しいわ」


 霧嶋先生がそんな感想を言うと、佐藤先輩と鈴木さんは楽しげに笑った。そんな2人の笑顔がうつったかのように、先生の顔にも楽しげな笑みが。どうやら、先生にとってもいい時間になったようだ。そのお手伝いができたと思うと嬉しい。

 夏になってから初めての料理部の活動は、霧嶋先生のおかげで思い出深い時間になった。

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