第7話『おままごと-後編-』

 美優先輩にお姫様抱っこされる花柳先輩。抱っこされているし、ばぶばぶ言っているし、赤ちゃんという設定なのだろう。美優先輩に抱っこされているからか、花柳先輩はとても嬉しそうだ。


「瑠衣ちゃん。このままだと腕が疲れちゃうから、床に下ろすよ」

「ありがとうばぶ~」


 食卓の近くで床に下ろされる花柳先輩。すると、四つん這いの状態で、風花と芽衣ちゃんのところへ歩いていく。ハイハイってやつか。そんな花柳先輩の姿を見ていると、心愛がハイハイしていた頃のことを思い出すなぁ。


「はじめまして! あたしの名前は瑠衣ばぶ! お姉ちゃん達の名前は何て言うばぶかぁ?」


 赤ちゃんの演技をしているからか、普段より可愛い声で喋っている。産まれたばかりの赤ちゃんはこんな風に喋らないけど。もしかしたら、5人の中で一番役にハマっているのは花柳先輩かもしれない。


「風花だよ~」

「はじめまして! なまえはめいです!」

「風花お姉ちゃんに芽衣お姉ちゃん。2人とも可愛いから大好きばぶ! 美優お母さんはもっと好きばぶ! 由弦お父さんは……まあ、それなりに」


 俺に対してだけは普段と同じ雰囲気で言ったな。出会った頃のことを考えれば、それなりだと言ってくれるのは嬉しい。


「瑠衣せんぱ……瑠衣ちゃん。喋っていること以外は赤ちゃんらしくて可愛い!」

「かわいいよね!」


 芽衣ちゃんに頭を撫でられると、花柳先輩は嬉しそうな表情になり、芽衣ちゃんの体に頭をスリスリしている。先輩、さっそく芽衣ちゃんと仲良くなったようだ。


「ふふっ、瑠衣ちゃん凄いね。演劇部に入ったら即戦力になりそう」

「そうばぶか? 照れるばぶね」

「俺は美優せんぱ……美優も演劇に向いていると思う」

「由弦お父さんの言う通りかも。特に、子作りのためにキスしたときから出産するまでの美優お母さんの演技は凄かった!」

「えへへっ、そうかな?」


 そう言う美優先輩は花柳先輩よりも照れくさそうにしている。風花の言う通り、キスしてから出産までの演技はとても凄かった。花柳先輩と一緒に演劇部に入ったら、2人とも即戦力になるんじゃないだろうか。


「るいちゃん。あかちゃんやくのどうぐがあるの。ちょっとまってて」


 すると、芽衣ちゃんは近くに置いてある自分のリュックを開ける。赤ちゃん役の道具って何なんだろう?

 芽衣ちゃんが道具を探している間、花柳先輩は風花に膝枕をしてもらう形に。風花も花柳先輩の頭を撫でているし、本当の姉妹のように見えてきた。


「あった!」


 芽衣ちゃんは俺達のところに戻ってくる。


「はい、るいちゃん! これくわえて!」


 芽衣ちゃんが花柳先輩に渡したものは……水色のおしゃぶり。これは確かに赤ちゃん役の道具だな。実際に芽衣ちゃんが赤ちゃんのときに使っていたのだろうか。


「うん。でも、おままごとの間だけばぶ」


 特に躊躇う様子もなく、花柳先輩はおしゃぶりを咥えた。


「あぁ、何だか懐かしい感じがするばぶね~」


 花柳先輩はほのぼのした様子で言うけど、赤ちゃんの頃の記憶があるのだろうか。それとも、体で覚えているのか。


「るいちゃんかわいい! あかちゃんになってるよ!」

「ばぶー!」

「芽衣ちゃんの言う通りだね。おしゃぶりを咥えると急に赤ちゃんっぽくなるね」

「おままごとだって分かっていても、年上の人がおしゃぶりを咥えているのを見るとシュールで面白いな。ふふっ」


 風花は声に出して笑う。

 美優先輩や風花に比べたら、花柳先輩は顔など幼い雰囲気だ。それでも、風花の言う通りおしゃぶりを咥えるとさすがにシュールだな。服装も膝丈のスカートにノースリーブのパーカーで、赤ちゃんらしさはないし。


「瑠衣ちゃん。可愛いからスマホで写真を撮ってもいい?」

「いいばぶ、お母さん! でも、その画像を不用意に見せたり、ネット上にアップしたりしたらダメばぶよ。さすがに恥ずかしいばぶ」

「あたしも撮ろっと。思い出にしたいから、芽衣ちゃんのお写真も撮っていい?」

「うん!」


 それから少しの間、俺達はスマホで写真撮影会をした。その間、花柳先輩はずっとおしゃぶりを咥えたまま。

 俺も芽衣ちゃんの写真や、4人が楽しそうにピースしている写真を撮った。まさか、春の間にこういう思い出ができるとは。


「いい写真がたくさん撮れた。あとで、理恵ちゃんのスマホに写真を送るから、芽衣ちゃんは理恵ちゃんに見せてもらったり、プリントアウトしてもらったりしてね」

「わかった!」

「あたしもいい写真が撮れました。おしゃぶりを咥える瑠衣先輩、写真で見てもかわいいですよね」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、見せるのは奏ちゃんや加藤君、成実先生や一佳先生くらいにしてほしいばぶ。……あぁ、喉が乾いてきたばぶ。今日は晴れて暑いし、自転車を一生懸命漕いだからかな」


 結構早く来たと思っていたけど、やっぱり自転車でここに来たのか。


「るいちゃん。あかちゃんだし、のむならミルクがいいよね!」

「そうばぶね~。ミルク……ミルク!」


 何を閃いたのか、はっとした表情になる花柳先輩。そして、美優先輩のところまでハイハイして、先輩を抱きしめる。


「美優お母さぁん。お母さんからミルク飲ませてほしいばぶぅ」


 今日一番の甘えた声で、美優先輩に懇願する花柳先輩。美優先輩の胸のあたりで頭をすりすりさせている。まさかとは思うけど。

 美優先輩も俺と同じようなことを考えついたのか、頬をほんのり赤くさせる。


「もしかして……母乳を吸って飲む真似をしたいの?」

「ばぶばぶ!」


 大きな声で返事をすると、花柳先輩は何度も首肯する。そんな彼女は左手で美優先輩の胸の辺りをさすっている。やっぱりそうだったか。


「まったく、花柳先輩は……」


 役を忘れて、思わず普段と同じ呼び方をしてしまった。


「みゆちゃん、ママよりもおっぱいおおきいからミルクでそう!」

「り、理恵ちゃんよりお胸が大きいかどうかはともかく、本当に赤ちゃんができたり、産まれたりしていないから、その……ミルクは出ないんだよ」

「へえ、そうなんだ~」

「実際に出なくていいばぶっ! 真似でいいばぶっ!」

「瑠衣先輩、さすがにそれはダメですよ。美優先輩が誰とも付き合っていないならともかく、今は由弦と付き合っているんですし」


 頬を赤くしているけれど、風花は落ち着いた口調でそう言ってくれる。ゴールデンウィークに俺に泳ぎ方を教えてくれたとき以上に頼もしく思える。


「ふ、風花ちゃんの言う通りだね。由弦君の恋人になったから、その……吸ってもいい人は心に決めているの。だから、瑠衣ちゃん……ごめんね」

「そう……ばぶかぁ……」


 元気のない声でそう言うと、花柳先輩は俺の方に振り返る。


「吸っちゃ……ダメばぶ? 由弦お父さん……」


 潤んだ瞳で俺を見つめ、とても可愛い声で俺にそう言ってくる。そこまでして吸いたいのか、花柳先輩は。思わずため息をついてしまう。


「俺に懐柔しようとしても無駄だよ。ダメに決まっているじゃないか」

「……ば、ばぶううっ!」


 悲しげな様子で泣く花柳先輩。泣き落とし作戦なのか。それとも、単純に悲しいだけなのか。おしゃぶりを咥えながら泣くので、本当の赤ちゃんのように思える。もし、このおままごとに助演女優賞があるなら、間違いなく花柳先輩が受賞するだろう。そんな彼女に「よしよし」と頭を撫でる美優先輩が微笑ましい。

 高校生しかいないならこのまま泣かせるけど、今は芽衣ちゃんがいるからなぁ。早く泣き止ませないと。


「芽衣ちゃん。リュックの中にほ乳瓶か、ベビーマグカップは入っているかな。もしあれば、それであの大きな赤ちゃんに牛乳を飲ませようと思うんだけど」

「おっ、それはいい考えだね、由弦」

「ほにゅうびんあるよ! おままごとにつかうかもしれないとおもって」

「さすがだね、芽衣ちゃん。……瑠衣ちゃん、私が飲ませてあげるから、ほ乳瓶で牛乳を飲む形でいい?」

「それなら……いいばぶ」


 花柳先輩が代替案を受け入れたことで、俺はほっと胸を撫で下ろす。それは美優先輩と風花も同じだった。

 芽衣ちゃんからほ乳瓶を受け取り、牛乳を用意する美優先輩。その間、花柳先輩は芽衣ちゃんにベッタリとくっついていた。たまに俺を睨んでいたけど。


「は~い、瑠衣ちゃん。ミルクの時間ですよ~」

「はぶー!」


 牛乳の入ったほ乳瓶を持って、美優先輩がリビングに戻ってくる。エプロンもまだ身につけているからか、先輩が若いお母さんや保母さんのように見えてくる。

 美優先輩がクッションに正座すると、花柳先輩はすぐさまにハイハイして彼女のところへ向かう。


「美優お母さん!」

「はいはい。ほら、おしゃぶりを取って」

「ばぶ~」


 おしゃぶりをテーブルの上に置き、花柳先輩は美優先輩にほ乳瓶で牛乳を飲ませてもらう。ちゅーちゅー吸っているのが微笑ましい。


「るいちゃん、ミルクおいしい?」

「うんっ! 美味しい! 今まで飲んできたミルクの中で一番美味しいばぶ。とっても幸せばぶ……」


 その言葉は本当であると示すように、花柳先輩は幸せそうな笑みを浮かべている。あと、今の状況で言う「今まで飲んできたミルクの中で一番美味しい」という言葉はとても深く感じるな。


「ほ乳瓶でミルクを飲ませるのも親子って感じだよね、由弦」

「そうだな。こういう形に収まって良かったよ」


 美優先輩の胸を吸いたいと言い始めたときはどうなるかと思ったよ。この功労者はおままごとの準備をしっかりとしてくれた芽衣ちゃんだな。芽衣ちゃんの頭を優しく撫でると、芽衣ちゃんは俺の方に向いて「えへへっ」笑ってくれたのであった。

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