第3話『幼い管理人さん』

「うん……」


 目を開けようとするけど、まるで日なたにいるかのように眩しい。目を塞ぎ、右手で両眼を覆った。

 おかしいな。部屋のカーテンはしっかりと閉めているから、顔に日光が直接当たるなんてことはないと思うんだけど。

 それに、ベッドに横になって寝ているはずなのに、全然ふかふかしていない。ベンチに座って寝ているような感覚だ。それに加えて、空気の流れを感じる。寝る前に窓を開けた記憶もないぞ。

 眩しさにやられた目もだいぶ落ち着いてきたので、右手で覆ったままゆっくりと目を開けた。

 両眼を覆っていた手を離すと……そこは一度も来たことがない公園だった。


「ここはどこだ……?」


 周りを見てみると……俺の知らない風景が広がっている。近くには住宅街があり、遠くの方にマンションやビルなどの高い建物が見えている。

 視線を下げると、どうやら俺はベンチに座っているようだ。この座り心地といい、かなりリアルな夢だな。さっきの陽差しの眩しさもそうだし、この穏やかな風も。まるで、どこかに転移してしまったかのようだ。

 それに、今の俺の服装……寝間着じゃなくて、病院へ行ったときのものになっている。あと、体調が良くなっているな。


「あっ、やっとおきた」


 すぐ近くから、女の子の声が聞こえてきた。ただ、この声……幼く感じるけど、どこかで聞いたことがあるような。

 右側から聞こえてきたのでそちらを向いてみると、俺の隣には幼稚園くらいの女の子が座っていた。セミロングの黒髪が特徴的で、膝丈のスカートに長袖のTシャツを着ている。俺に向けてくれる笑顔が可愛らしい。まるで、アルバムに貼ってある写真に写っている小さい頃の美優先輩のような――。


「……えっ?」


 本当に幼少期の美優先輩なのか? もし、そうだとしたら……俺は凄い夢を見ている。寝るときに先輩の寝間着を抱きしめたからだろうか。


「おにいちゃん。わたしのかおに、なにかついてる?」

「……ううん、ついていないよ。起きたら、隣に君が座っていたから驚いちゃっただけだよ」

「そうなんだね! おにいちゃん、わたしがここにきたときから、ずっとねてたんだよ?」

「そうだったんだ」


 それで、俺の隣に座って起きるのを待ってくれていたと。随分と可愛い女の子じゃないか。

 自分の着ているコートのポケットに手を突っ込むと、自分の財布にハンカチ、ティッシュ……そしてスマホが入っていた。


「よし、これで……」


 スマホの電源が入ったので、カレンダー機能で現在の年月日を調べてみると、


「えええっ!」


 2007……12年前の5月20日の日曜日だと?

 口の中を軽く噛んでみると、確かな痛みが感じられる。夢にしては五感がハッキリとしているし、タイムスリップをした可能性が高そうだ。


「ど、どうしたの? おおきなこえだして」

「い、色々あってね。……ねえ、君に質問してもいいかな?」

「うん、いいよ!」

「今日って何月何日かな?」

「5がつ20……だったかな。にちようびだよ!」

「……そっか、ありがとう。ちなみに、今年が何年なのかって分かるかな? 二千何年とか、平成何年とか」

「2007ねんだよ。へいせいだと……19ねんだったかな」

「そうなんだね。教えてくれてありがとう」


 スマートフォンがバグっている可能性も考えたけど、どうやらスマホは正常に動いているらしい。

 それにしても、令和という新しい時代が始まってから10日ほどだけど、早くも平成が古く聞こえ始めてきたな。


「わたしからも、しつもんしていいですか?」

「うん、いいよ」

「おにいちゃんのなまえはなんですか?」

「桐生由弦といいます。君の名前は?」

「しらとりみゆです! 4さいです! ようちえんにいってます!」

「素敵なお名前だね。幼稚園に行っているんだ。俺は16歳で高校に行っているんだよ」


 やっぱりこの子、ロリ……幼少期の美優先輩だったんだ。4歳の頃の美優先輩ってこんな感じだったんだな。

 俺、4歳の美優先輩に名前を教えちゃったけど、これが本当にタイムスリップだったら歴史が変わってしまうのだろうか。もしタイムスリップなら、現代の美優先輩の記憶にも影響が出そうだ。夢でもタイムスリップでも、なるべく平穏に過ごそう。


「こうこう? それってなに?」

「学校の種類の1つなんだけど……う~ん、どうやって説明しよう。……小学校って分かるかな?」

「うん! ちかくにあるよ! ここにいくんだよって、パパとママがおしえてくれたの」

「そうなんだね。その小学校に6年間通って卒業したら、中学校行くんだ。中学校も分かるかな?」

「ちゅうがっこうも、おうちのちかくにあるからわかる!」

「おおっ、凄いね。小学校も中学校もお家の近くにあっていいね。高校っていうところは、その中学校を卒業した後に行くんだ。でも、そのためにはテストを受けて、学校からここに来てもいいですよって言わなきゃいけないんだ」

「そうなんだ! じゃあ、おにいちゃんはすごいんだね!」


 美優先輩は屈託のない笑顔を浮かべながらそう言ってくれる。嬉しくてたまらない。あと、美優先輩って小さい頃から天使のような女性だったと分かる。


「そう言ってくれて嬉しいな。きっと、君も凄い人になれるよ」


 俺は美優先輩の頭を優しく撫でる。そのためか、美優先輩はとても嬉しそうな様子になる。脚をパタパタと動かしているところが可愛らしい。

 さてと、俺も気になることがいくつかあるから、それを幼い美優先輩に訊いてみることにしよう。


「美優先輩」

「せん……ぱい?」


 美優先輩は目を見開き、首を傾げている。その仕草もかわいい。

 つい、いつもの呼び方をしてしまったけど、今の美優先輩は幼稚園児なんだ。先輩と呼ぶのはおかしいか。


「ええと……美優ちゃん?」

「はい!」


 笑顔で元気にお返事ができて偉いぞ! かわいい!


「お兄ちゃんからまた質問してもいいかな? 気になることがあって」

「いいよ!」

「ありがとう。じゃあ、まずは……ここって何県かな? 茨城県で合ってる?」

「うん、あってるよ」

「そっか。じゃあ、ちくば市かな?」

「せいかい! ゆづるおにいちゃんってあたまいいね!」

「あははっ……」


 幼稚園の子だから、今のことで頭がいいと思えるだろうけど、小学生以上の子だったらこいつ頭おかしいんじゃないかと思われそうだ。

 あと、4歳の美優先輩から「ゆづるおにいちゃん」って呼ばれるとキュンとくるな。

 ここは茨城県ちくば市なのか。美優先輩の故郷だ。


「質問を続けるよ。今日は日曜日だから、お父さんやお母さんと一緒? それとも、お友達と一緒に遊びに来たのかな?」


 俺がそう問いかけると、美優先輩は悲しげな表情になって、首をゆっくりと横に振った。


「……ううん。ひとりできたの」


 俺にしか聞こえないような小さく弱々しい声でそう答えた。

 どうやら、美優先輩がこの公園に来るまでには何かあったようだ。まずはその理由を訊いてみることにするか。

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