第2話『おまじない』

 お粥と風邪薬のおかげか眠気が襲ってきた。ベッドに横になると、結構気持ち良さを感じられるように。

 ただ、普段よりも強い熱を持っているから、眠るまでには至らず、ウトウトした状況が続く。

 ――ピンポーン。

 インターホンの音が聞こえる。誰が来たのだろう? 時計を見ると、針が午前8時近くを指しているから……おそらく、クラスメイトの姫宮風花ひめみやふうかと、花柳瑠衣はなやぎるい先輩が家に来たのだろう。


「おはよう、美優」

「おはようございます、美優先輩!」


 予想通り、風花と花柳先輩だったか。平日のこの時間に、寝間着姿でベッドに横になった状態で2人の声を聞くと、何だか不思議な気分だ。ただ、すぐに安堵の気持ちが生まれる。


 ――コンコン。

「……はい」


 返事をすると、寝室の扉がそっと開く。

 陽出学院高校の制服姿の風花と花柳先輩とご対面。俺が体調を崩しているからか、風花はもちろんのこと、花柳先輩までも優しそうな様子だ。2人はベッドの側までやってくる。


「おはよう、由弦」

「桐生君、おはよう。体調はどうかしら?」

「美優先輩が作ってくれたお粥を食べて、風邪薬を飲んだら……起きた直後に比べれば、多少はマシになったかなって感じです」

「それなら良かった。病院に行くなら、あけぼの荘から歩いて数分のところにいいお医者さんがあるから教えるわ。去年、美優が風邪を引いたときにも教えたところなの」

「そうなんですか。ありがとうございます」


 花柳先輩はブレザーのポケットからスマホを取り出す。地元に住み続けている花柳先輩のオススメならきっといい病院だろう。美優先輩にも教えた病院なら安心だ。

 程なくして、LIMEで花柳先輩から病院の名前と住所、電話番号。地図のスクリーンショットの画像を送ってもらった。


「花柳先輩、ありがとうございます」

「いえいえ。それに、恋人に元気になってもらわないと、美優も本当に元気になれない気がするから」

「……そうですか」


 俺の看病ができることを嬉しがったり、風邪を引いている俺のことを可愛いと言っていたりしていたけど。

 ただ、美優先輩は元気な俺が一番って言ってくれたもんな。早く元気になって先輩と楽しいことをたくさんしたい。母の日のプレゼントを一緒に買いにも行きたいな。


「瑠衣ちゃん、病院の場所を由弦君に教えてくれたんだね。ありがとう」

「彼、こっちに来てから体調を崩すのは初めてだろうから。去年、美優にも教えた病院の場所を伝えておいた」

「あたしにも教えてくれませんか? ゴールデンウィーク前みたいに、また体調を崩しちゃうかもしれないので」

「ええ、もちろん」


 風花は水泳部で平日の放課後は毎日活動があるからな。水泳はかなり体力を使うし、疲労が溜まって体調を崩すことが今後もあるかもしれない。引っ越した家の近くにどんな病院があるのか知っていれば、少しは安心できるかも。


「由弦。上京してから体調を崩した経験のあるあたしから言わせてもらうと、こういうときはぐっすりと寝た方がいいよ」


 それを得意げに言うところが可愛らしい。風花の言う通り、体調が悪いときはぐっすり寝るのが一番だよな。


「あとは……」


 風花はそう呟き、頬を真っ赤にして俺のことをチラチラ見てくる。


「み、美優先輩にキスしてもらうといいんじゃないかな! あたし、体調を崩したとき……由弦に告白してキスをしたら、気持ち的に凄く元気になったというか。その後すぐにフラれちゃったからヘコんだけど」

「……そうか」


 風花の看病をしたとき、彼女に告白されてキスもされたんだよな。あれが俺にとってのファーストキスだった。そのときのことを思い出したから、また体が熱くなってきた。


「……美優先輩にはキスをしてもらったよ。風花の言うように、気持ちの面では元気になれたよ」

「そうなんだ。美優先輩と由弦の仲だからもうしていたか」

「あたしはしていると思っていたけれどね。きっと、お粥を食べた後に、元気になるためのデザートだとか言ってキスしたんじゃないかしら?」

「ど、どうして分かるの! そのまんまだよ……」

「ふふっ、美優とは高校で一番付き合いのある女子生徒だからね、あたしは」


 ドヤ顔で言う花柳先輩の前で、美優先輩は頬を真っ赤にして恥ずかしがっている。美優先輩の言うようにそのまんまだったな。さすがは花柳先輩。

 風花は優しい笑みを浮かべながら俺の頭を撫でる。


「由弦が風邪で休むって一佳先生に伝えておくからね。由弦はゆっくりと休んで体調を良くしてね」

「ああ、そうするよ。ありがとう、風花」

「……早く元気になるように、あたしがおまじないをかけてあげる」

「……そのおまじないって、もしかして?」

「うん。この前よりも辛そうだから、気合いを入れるね。熱もだるさも飛んでけ~! 地獄の果てまで飛んでいけ~!」


 ハッ! と、風花は両手を俺に向けて気合いまで注入してくれた。

 やっぱり、そのおまじないだったか。以前、霧嶋先生の家で掃除をしているときにケガをしてしまったことがある。そのときも、風花が今のようなおまじないをかけてくれたのだ。

 ちなみに、今の風花のおまじないを聞いて、美優先輩はクスクス笑い、花柳先輩は目を見開いて風花のことを見ている。


「風花ちゃん、何なの? そのおまじない」

「小さい頃、ケガをしたときに兄が今みたいな言葉を言ってくれて。痛みとか風邪の辛さは地獄に飛ばすくらいの勢いの方が効き目もありそうですし。もちろん、すぐに痛みが取れたり、体調が良くなったりするわけじゃないんですけど、何だか元気になるんですよね」

「なるほどね」

「……気持ち的にはちょっと元気になったぞ、風花。ありがとう。3人とも、時間的にもそろそろ学校へ行った方がいいんじゃないですか?」

「そうだね。由弦君、何かあったら遠慮なく連絡してきてね」


 美優先輩は俺のことをそっと抱きしめてくる。そのことで俺の頭が美優先輩の胸の中に埋もれる事態に。胸の柔らかさと温かさに包まれ、先輩のいい匂いがしてきて。このまま時間が止まってしまえばいいのに。


「これで少しは元気になったかな?」


 美優先輩の問いかけに、俺はゆっくり頷く。俺にとっての一番の特効薬は先輩かもしれないな。

 美優先輩の胸からゆっくりと顔を離すと、そこには優しい笑みを浮かべながら俺を見つめる彼女の顔があった。


「あぁ、由弦君を抱きしめていると私も一緒にお休みしたくなるよ」

「ははっ、そうですか。ただ、先輩は元気なんですから学校へ行って、花柳先輩と一緒に授業を受けてきてください」

「うん、分かった。……あっ、そうだ」


 美優先輩は俺に昨日の夜に着ていた桃色の寝間着を渡してくる。


「私の匂いがついているから、これを私だと思って抱きしめてね。昨日、由弦君は私のことをぎゅっと抱きしめて寝ていたから、これがあれば、少しは眠りやすくなるんじゃないかな?」

「そうかもしれないですね」

「う、羨ましいわ、桐生君。あたしも風邪を引こうかしら」

「効果ありそうですよね、瑠衣先輩。ただ、寝間着を渡すってところが、美優先輩と由弦らしい感じもします」


 こういうときに美優先輩の寝間着を渡してもらえるのも、一緒に住んでいる彼氏の特権かもしれないな。眠れないときとかに使わせてもらおう。


「じゃあ、行ってくるね、由弦」

「お大事にね、桐生君」

「行ってくるよ、由弦君」

「……はい。いってらっしゃい」


 3人を見送った後、結構な眠気が襲ってきた。なので、美優先輩の寝間着は枕のすぐ側に置き、俺はゆっくり目を瞑った。




 ――プルルッ。


  スマートフォンのバイブレーションで目を覚ました。スマホを手にとって時刻を確認すると、午前10時半過ぎだった。いつの間にか眠っていたんだな。

 あと、加藤や橋本さんなどの友人はもちろん、担任の霧嶋一佳きりしまいちか先生から1件のメッセージが届いたと通知が。受信時刻を見ると、今のバイブレーションは先生のメッセージを受信したことによるものか。


『姫宮さんから聞いたわ。桐生君、今日はゆっくり休みなさい。来週の月曜日に学校で会えれば何よりです。お大事に』


 風花、ちゃんと霧嶋先生に伝えてくれたんだな。


『ありがとうございます』


 どんな内容にすればいいのか迷ったけど、シンプルなのがいいだろうという結論に至ったので、そんな返信をしておいた。加藤や橋本さん達も体調を気遣うメッセージだったので同様の返信を。


「もう今の時間なら病院も開いているだろうし、行くか」


 注射を打たれるかもしれないという不安を抱きながら、花柳先輩に教えてもらった病院に行くと、これは立派な風邪だと診断された。処方する薬を飲んで週末の間ゆっくりすれば、月曜日からは再び学校に行けるとのこと。それにほっとした。あと、注射されずに済んで良かった。

 処方された薬を持って、俺は家に帰る。

 お昼も近いので、レンジで温めるだけでいい玉子粥を食べた。ほんのり出汁も効いていて美味しい。そう思えるのだから、朝よりはマシになったのかな。

 病院で処方された薬を飲み、俺は寝間着に着替えてベッドの中に入る。

 病院に行って、お昼ご飯を食べたから、今朝よりも体が熱くなっている。眠気は来てもなかなか眠ることができない。


「……そうだ」


 こういうときこそ、美優先輩の寝間着の出番じゃないか。

 枕元に置いてあった美優先輩の寝間着を抱きしめると……あぁ、先輩の甘い匂いがしてくる。本当に先輩のことを抱きしめているようだ。

 幸せな気持ちもあって、目を瞑ると、段々とふわふわとした感覚に包まれていくのであった。

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