第6話『スタッフ・ゆづるくん』

 最初は緊張して、佐竹先輩や花柳先輩に助けを求めることもあったけど、接客しているうちに段々と慣れてきた。それは佐竹先輩や花柳先輩が側にいることの安心感や、この喫茶店・ユナユナのゆったりとした雰囲気のおかげかもしれない。


「ふぅ……」

「いい働きぶりだね、桐生君。今日が初めてだとは思えないよ。接客もしっかりとしているし、レジ操作もちゃんとするし。瑠衣ちゃんより上手かも。このまま正式にアルバイトに採用したいくらいだよ。あたしにその権限はないけど」

「ありがとうございます。先輩方が側にいてくれるおかげです。あと、学校生活にも慣れてきましたし、ゴールデンウィーク明けくらいからバイトをしようかなと考え始めていたのでいい機会でした」

「そうなんだ。もし、うちでバイトしたいと思ったらあたしに言ってよ。店長に話しておくからさ」

「ありがとうございます。そのときはお願いします」


 自分なりに一生懸命やって、それを評価されるのはとても嬉しい。お店の雰囲気もいいし、佐竹先輩もいるからバイトをするときの選択肢の一つに入れておこう。

 それにしても、この喫茶店は繁盛している。平日の夕方という学校帰りの時間帯だからなのかな。満席になり、入口近くにある椅子にお客様が座っていることが多い。


「繁盛していますね。特に若い女性がたくさん来店されるんですね。以前、美優先輩や風花と一緒に来たときは、日曜日のお昼頃ということもあってか、家族連れや若いカップルとか老若男女来ていた印象がありますけど」

「普段から平日の今くらいの時間は女子高生や女子大生が多いよ。ただ、実は店長がさっきTubutterで……」

「えっ?」


 TubutterというのはSNSの一つだ。利用している人がとても多いからか、宣伝や告知のために利用しているお店や企業も多い。

 お客様から見えないところで、佐竹先輩から店長のスマホを見せてもらう。

 画面にはこのお店のアカウントのページが表示されている。つい1時間ほど前にも投稿されており、


『本日4/25限定!

 とてもイケメンな男の子・ゆづるくんが閉店まで接客しております!

 運が良ければ、ゆづるくんと話すことができるかも?

 是非、喫茶店・ユナユナにお越しください。』


 という内容である。ちなみに、この投稿はとても多くのアカウントに拡散されており、今も物凄い勢いで拡散されている。

 この投稿の影響で若い女性が多く来店し、外に入店待ちの列ができるほどになっているのかな。女性中心に話しかけてくるのもこのせいか。

 そういえば、俺のエプロンに付けている名札に名字の『桐生』ではなく、下の名前でしかもひらがなで『ゆづる』と書いてあるのが変だと思ったけど、それはこのためだったのか。


「……何だか、してやられた感じがします。ただ、さすがは店長ですね」

「商機と思ったんだろうねぇ。ただ、桐生君もさすがだよ。女性のお客様に優しく接していて。これも美優ちゃんと一緒に住んで、恋人になったおかげかな?」

「それもあるとは思いますけど、俺には姉妹がいますからね。それぞれの女性の友達とよく遊びましたし。女性と話すことには慣れてます」

「なるほどね」


 小さい頃から、歳の近い女性が側にいることが当たり前だったからな。そういう意味でも、このお店の雰囲気がいいなと思えるのかも。


「莉帆、桐生君。早く戻ってきて。オーダーはたくさん来るし、レジもやらなきゃいけないし」

「ごめんごめん。さあ、桐生君。ホールに戻ろうか」

「分かりました」

「由弦君! 抹茶のホットケーキとチョコレートパフェができあがったから、6番テーブルに持っていってくれるかな?」

「分かりました、美優先輩」

「よろしくね!」


 美優先輩は俺に向かってウインクをしてくる。何て可愛いんだろう。写真で撮っておきたかった。

 たまにキッチンの様子を見るけれど、美優先輩は楽しそうに、そして真剣にオーダーされた料理やスイーツを作っている。そんな彼女の姿はとても素敵だ。

 抹茶のホットケーキとチョコレートパフェを6番テーブルに持っていく。そのテーブルには、陽出学院高校とは別の制服姿を着た女性が2人座っていた。


「お待たせしました。抹茶のホットケーキとチョコレートパフェになります」

「うわあっ、美味しそう! もしかして、これはゆづるくんが作ったんですか?」

「いいえ、私ではなくキッチン担当の者が作ったものになります。ただ、こちらのホットケーキやパフェを食べていただき、お二人が笑顔になり、楽しい時間を過ごしてもらいたいと私も思っています」

「……ゆづるくんが笑顔で言ってくれるだけでお腹いっぱいかも」

「ははっ、スイーツも是非いただいてください。作ったスタッフの腕は確かですから。では、失礼いたします」


 俺は一礼して、6番テーブルを後にする。

 俺と話せるかもっていうTubutterで告知してあったし、特に女性のみのテーブルでは話しかけられると覚悟しておいた方がいいな。


「う~ん、ホットケーキ美味しいー!」

「もう、大きな声出しすぎだよ。でも、このパフェもとても美味しいな」


 6番テーブルのお客様は満足しているようだ。良かった。

 その後も、俺は花柳先輩や佐竹先輩と一緒にホールの仕事をしていく。Tubutterの告知効果が絶大なのか、多くのお客様から話しかけられた。オーダーを取るときや、コーヒーや紅茶などを運ぶときだけでなく、単に声をかけられることも。

 そんなこともあって、あっという間に時間が経っていく。このまま閉店まで過ぎて、バイト代をいただきたい。

 ただ、外が大分暗くなり始めた頃だった。


「いらっしゃいませ……って、風花」


 制服姿の風花が3人の女子生徒と一緒に来店してきたのだ。


「おっ、バイトやってるね。部活が終わって、制服に着替えたときに例のメッセージを見たの。それで、お腹も空いているし夕食はここで食べようって話になって。水泳部の先輩や同級生と一緒に来たの。このお店のTubutterを見たら、今日限定のキャンペーンをやっているみたいだし。……ゆづるくん?」


 風花はニヤニヤしながら、普段とは違う呼び方をしてくる。

 これまでにも陽出学院高校の生徒が来店したけれど、知り合いじゃないから何とも思わなかった。ただ、隣人でクラスメイトの女子に来られると途端に恥ずかしくなるな。


「あら、風花ちゃん。水泳部の帰り?」

「そうなんですよ、瑠衣先輩。実は由弦から、先輩方とここでバイトの助っ人をしているってメッセージが来て。それで、部活帰りに来たんです」

「そうなんだね。部活お疲れ様」

「すみませーん、オーダーいいですか?」

「はーい。じゃあ、桐生君。風花ちゃん達を案内して」

「分かりました」


 良かった、花柳先輩もからかうようなことがなくて。


「何名様ですか?」

「4名だよ。……ゆづるくん」

「4名様ですね。席までご案内します」


 俺は風花達を4人までOKの10番テーブルまで案内する。

 風花達を案内しお水を出して、俺は花柳先輩のいるカウンターの方に。


「風花ちゃんにメッセージを送ったんだ」

「ええ。たまに宿題を手伝ってと言われるので。あと、Tubutterで店長が投稿した内容も知っているみたいです」

「それは莉帆から聞いた。Tubutterの力は凄いね。閉店まであと1時間くらいだから最後まで頑張ろうね。……ゆづるくん」

「花柳先輩まで……」

「すみませーん、注文したいんですが。ゆづるくーん」

「ほら、風花ちゃんが呼んでるわよ、ゆづるくん」

「……行ってきます」


 くそっ、みんな面白がって。平成の間に風花や花柳先輩に仕返しをしたいけれど、いい方法が思いつかないので止めておこう。

 風花達の注文を取り、それをキッチンにいる美優先輩達に伝える。あと、風花が来たことを美優先輩に伝えると、


「より気合いを入れて作らないとね!」


 と張り切っていた。そんな美優先輩に癒され、惚れ惚れする。

 美優先輩に元気をもらって、風花達の視線を受けながらも「ゆづるくん」として接客をしていく。彼女達のテーブルから笑い声が聞こえるけれど気にするな。ただ、風花達の頼んだアイスティーを運んでいったけれど、そのときは風花だけでなく、みんなから「ゆづるくん」と言われてしまった。


「はあっ……」

「どうしたの、桐生君。顔色があまり良くないけれど。休み無しでずっと働いていたから疲れた? 今日が初めてのバイトだもんね。もし疲れていたら、休憩に入っていいよ」

「体力的には大丈夫なんですけど、精神的にちょっと。あの、佐竹先輩って友人やクラスメイトが来ると途端に恥ずかしくなったりしませんか? 気付いていると思いますが、今、風花が水泳部の方達と来店していて。彼女、例の投稿を見たそうで、普段とは違ってゆづるくんって呼んできて」

「あぁ、そういうことね。あたしもバイトを始めたときは、友達が来ると気恥ずかしいことがあったな。ゆづるくんって呼ばれるのは……ご愁傷様。あと1時間頑張って。ただ、疲れたら休んでいいからね。そのときはあたしに一声かけてね」

「分かりました」


 佐竹先輩の言う通り、あと1時間ほどでバイトが終わるんだ。そうすればバイト代もいただけるし頑張ろう。


「由弦君、莉帆ちゃん。風花ちゃん達のいる10番テーブルのメニューができたよ。気合い入れて作ったよ」

「OK、美優ちゃん。4人分あるから、あたしと一緒に運ぼうか、桐生君」

「分かりました」


 俺は佐竹先輩と一緒に、注文したメニューを10番テーブルへ持っていくことに。

 そういえば、風花はボロネーゼを頼んでいた。さっきの仕返しで大量にタバスコを入れてやろうか……と考えたけど、辛さに悶える風花を想像したら可哀想になったので止めておくか。そうだ、風花への仕返しは宿題を助けないことにしよう。


「お待たせしました。オムライスとハヤシライスです」

「あと、サンドウィッチにボロネーゼになります」


 俺と佐竹先輩が料理を置くと、みんなから「美味しそう」という声が。作ったのが美優先輩だと分かっているからかとても嬉しい気持ちになるな。


「美味しそうだね。……ゆづるくん」


 風花め、依然としてニヤニヤしながらそう言ってくる。まったく、自分が客で俺が店員だからっていい気になりやがって。お客様は神様じゃなくて店員と同じく人間なのに。よし、こうなったら風花にチクリとやるか。


「……お客さま。私は店員である以前に人間ですから、あまりにふざけていると私も怒ってしまいますよ? 店長に頼んで、今後は入店お断りにしてもいいんですけどね……ふうかちゃん?」


 周りには他のお客様がいるので露骨に怒ることはせず、笑顔のまま落ち着いてそう言う。

 すると、風花の顔色が急に悪くなり、それまでの笑顔がさっと消えていく。ようやく自分がどんなことをしてきたのか分かったみたいだな。


「ご、ごめんなさい、由弦。アルバイトをする由弦は初めてだし、Tubutterの投稿も見たからつい調子に乗ってしまいました。なので、ここに来られなくなることだけは勘弁してください」

「分かってくれればいいんですよ。ふうかちゃん」


 俺は風花の頭を優しく撫でる。水泳部の練習後だからか、彼女の汗の匂いがほんのり感じられるな。


「ね、ねえ。そろそろ止めてくれない? みんながいる前だし、恥ずかしいんだけど」

「……そういった感情を私も抱いたんですよ。ふうかちゃん」

「分かった。分かったから! ううっ、いつもと違う呼ばれ方なのも恥ずかしいな」

「……今度から気を付けてくださいね。こちらのメニューはキッチンスタッフの白鳥美優が作ったものになります」

「そうなの?」

「ええ。より気合いを入れて作ったと言っていました」

「そうなんだ……」


 風花はワクワクした表情でボロネーゼを一口食べる。


「とっても美味しい!」

「ありがとうございます。白鳥に伝えておきます。では、ごゆっくり」

「うん!」


 風花が嬉しそうに食べてくれて良かった。風花と一緒に来た部員達もそれぞれ美味しそうに食べている。

 ホールを離れてキッチンに向かうと、美優先輩と目が合う。


「風花達、料理を美味しそうに食べてくれています」

「そっか。とても嬉しいな。最後まで頑張る元気をもらったよ。由弦君、2番テーブルのフレンチトーストができたから運んでくれるかな」

「分かりました。最後まで頑張りましょう」

「うん!」


 その後も、Tubutterの投稿もあってか、閉店時間まで満席となる時間帯が多かった。なので、休みを入れることなく、俺はホールスタッフとして働き続けた。

 午後8時過ぎになって全てのお客様が帰った後、俺はスタッフルームで美優先輩達が作ったまかないのボロネーゼを食べた。

 また、キッチンを入っているときに俺、美優先輩、花柳先輩は今日のバイト代をもらった。想像よりも多くもらえて、その驚きで顎が外れそうになった。


「4時間ぶっ通しで働いたので疲れましたね」

「うん。でも、料理やスイーツ作りは楽しかったからいい疲れだよ」

「バイト代もたくさんもらえたしね。あと、接客する桐生君は頼もしかったな。いや、あのときはゆづるくんだったか」

「大活躍だったよね、瑠衣ちゃん。店長も桐生君のことをバイトスタッフとして雇いたいって言っていたよ」

「そうですか。先輩方と一緒に働いて楽しかったですし、考えておきますね」


 初めてのバイトだったけど、店長さんから高評価をいただけたことは嬉しい。ただ、店長さんの場合、仕事ぶりだけでなくお客さんがたくさん来たというのもありそうだけど。

 休みなく働き続け、色々なことがあったのでとても疲れた。ただ、美優先輩の言うようにいい疲れなので、今日はぐっすりと眠れそうだ。そんなことを考えながら美優先輩の手を握り直し、伯分寺の夜道を歩くのであった。

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