第64話『ぬくもり-後編-』

 髪と体を洗い終わったので、俺は美優先輩とポジションチェンジ。


「美優先輩。髪と背中、どちらを先に洗いましょうか」

「そうだね……まずは髪をお願いします」

「分かりました」


 美優先輩の希望通り、まずは先輩の髪を洗うことに。恋人になったのもあって、温水浴をしたとき以上に緊張する。

 美優先輩が使っているシャンプーで丁寧に髪を洗い始める。俺の使っているシャンプーよりも甘い匂いがしていいなぁ。先輩の頭を撫でるといい匂いがするのも納得だ。


「どうですか?」

「とても気持ちいいよ。こんな感じでお願いします」

「分かりました。かゆいところはありませんか?」

「ううん、ないよ。あぁ……凄く気持ちいい。由弦君は髪を洗うのが上手だね」

「ありがとうございます」


 気持ちいいとか上手だとか言ってもらえると気合いが入るな。ただ、今は美優先輩の髪を洗っているので、変に力を入れてしまわないように気を付けなければ。

 それにしても、美優先輩の背中って白くて綺麗だな。雫姉さんに負けないくらい。この前は競泳水着を着ていたから、そんなことは考えなかったけど。この背中を見ていると、指でなぞりたくなるなぁ。


「あぁ……凄く気持ちいいから眠くなってくるよ」

「ははっ、そうですか。実は俺も髪を洗ってもらっているとき、気持ちいいので眠くなりました」

「そうだったんだ。自分でやるときは、当たり前だけど両手を動かしているからそんなことはないんだけどね。誰かにやってもらうことって、本当に気持ち良くて有り難いよね」

「ですね。洗ってくれるのが恋人だと幸せな気持ちにもなります」

「私も幸せだよ」


 鏡越しで見る美優先輩の笑顔はとても可愛らしい。


「さあ、泡を流すので目をしっかりと瞑ってください」

「はーい」


 シャワーで美優先輩の髪に付いているシャンプーの泡を落としていく。タオルで拭いていくと、再び艶やかな髪に。ヘアクリップで髪を纏めるとき、シャンプーの甘い匂いがふんわりと香ってきた。


「髪はこれで終わりですね。次は背中を流していきましょうか。美優先輩はその桃色のボディータオルを使っているんですか?」

「うん。でも、由弦君なら手で洗ってくれてもいいんだよ?」

「素手だと、緊張して上手に洗える自信がないですね。それに、ボディータオルを使った方がより綺麗になりそうな気がしますから、今日はボディータオルにしましょう」

「分かった。じゃあ、今日はボディータオルでお願いします」


 振り返ってそう言ってくる美優先輩がとても可愛らしい。あと、「今日は」っていう部分を強調するということは、いつかは素手で背中を流してねってことかな。

 俺は桃色のボディータオルを使って、美優先輩の背中を流していく。ここまで綺麗だと自分の洗い方で傷付いてしまわないかどうか不安になる。だから、自然と力が弱くなってしまう。


「先輩、どうですか?」

「う~ん……とっても丁寧だね。もうちょっと強くして大丈夫だよ」


 やっぱり弱すぎたか。訊いてみて正解だった。

 とりあえず、雫姉さんや心愛の背中を流していたときくらいの強さにしてみる。


「……このくらいだとどうですか?」

「うんうん! 気持ち良くなったよ! このくらいがいいね」

「分かりました。覚えておきますね」


 これまで数え切れないほどに姉や妹の背中を流していて良かったと初めて思った。まさか、恋人の背中を流すときに役立つとは。


「背中はこのくらいで大丈夫でしょう」

「ありがとう、由弦君。あとは自分で洗うから、由弦君は湯船に入っていいよ」

「分かりました。では、お言葉に甘えて先に入りますね」


 美優先輩にボディータオルを渡し、ボディーソープの泡が付いた手を洗い落としてから湯船に浸かる。

 ここからだと、斜め後ろから美優先輩のことを見る形に。泡が付いているけれど、先輩はとても綺麗だな。こういう姿は花柳先輩など女性の友人は見たことがあるだろうけど、男性は俺しかいないんじゃないだろうか。そうであってくれ。

 このまま美優先輩のことを見続けると色々な意味でのぼせそうなので、目を瞑って、念のために右手で両眼を覆うことに。そのことで耳に集中するようになり、先輩の鼻歌や体を洗っている音がはっきりと聞こえてくる。


「どうしたの? 手で両眼を隠して」

「……のぼせ防止で」

「ふふっ、そうなんだ。そのまま眠って溺れちゃわないように気を付けてね。あと、シャワーで泡を落としたら、私も湯船に入るからね」

「分かりました」


 眠らないようにねと注意されたら、急に眠くなってきた。温かい空間の中で目を瞑るのは危険だな。手で覆っているから、目は開けておくか。

 美優先輩の鼻歌が聞こえる中で、シャワーの音が聞こえてくる。さっきの姿を見てしまったからか、泡を落としている姿を想像してしまうな。


「……よし、これで落とせたかな」


 美優先輩がそう言うので、俺は体操座りの形にする。


「私のために空けてくれているんだね。ありがとう」


 そんな言葉が聞こえてすぐに、湯船の水位が上がっていく。足元に何か柔らかいものが触れているので、美優先輩が湯船に浸かったのだろう。

 右手を両眼からゆっくりと離すと、そこには肩くらいまで湯船に浸かっている美優先輩がいた。彼女は俺と目が合うとにっこりと笑う。


「気持ちいいね、由弦君」

「……そうですね。お風呂がまだまだ気持ちいい季節ですね」

「そうだね。あと、温水浴したときよりも気持ちいいよ。水着を着ていなくて、体も洗ったし。何よりも目の前にいる由弦君が私の恋人になってくれたから。凄くドキドキするけれど、それが心地いいというか。一緒にお風呂に入ってくれないかって言ったときは、大胆なことを言っちゃったなとか、恋人になったその日だと早いかなとか色々と考えたけれど、一緒に入ってみて正解だった」


 美優先輩は頬を朱色に染めながらも、俺のことをしっかりと見つめてそう言った。そんな彼女は誰よりも可愛らしい。


「俺も美優先輩と一緒にお風呂に入っていることにドキドキしています。ただ、嬉しい気持ちや幸せな気持ちもあって。先輩と一緒にお風呂に入って正解でした。たまにでもいいですから、これからも一緒に入りましょうね」

「うん! 由弦君がそう言ってくれて嬉しいよ」


 すると、美優先輩は言葉通りの嬉しそうな表情を浮かべて、俺のことをぎゅっと抱きしめてくる。

 温水浴のときとは段違いの柔らかさを感じる。これが彼女の持っている本当の柔らかさなんだな。髪や体を洗ってすぐということもあってか、甘い匂いを強く感じて。それらが愛おしさに変わる。そんな美優先輩のことを離したくないし、誰にも渡したくない。両手を彼女の背中に回した。


「大好きです、美優先輩」

「……私も由弦君のことが大好き」


 少しの間、見つめた後に俺の方から美優先輩にキスをする。その瞬間に美優先輩の抱擁が強くなって。本当に温かい。いつまで包まれていてものぼせることのない優しさがあるように思える。

 それから湯船から出るまではずっと抱きしめ合い、たまにキスを交わして。そういうことができるような関係になったことを幸せに想い、いつまでも続くようにしたいと胸に誓った。



 お風呂から出ると程良い眠気が来たので、今日はもう眠ることにした。もちろん、美優先輩と一緒に彼女のベッドで。

 お互いの髪をドライヤーで乾かし、歯を磨いたら俺達はベッドの中に入る。


「お風呂から出てすぐだし、由弦君と一緒だからかとても温かいね」

「そうですね。あと甘い匂いに包まれています」

「ふふっ、そうだね。……これからは、私のベッドか由弦君のおふとんのどっちかで寝ることにしようよ。ちょっと狭いかもしれないけれど」

「もちろんいいですよ。いずれはダブルベッドを買いましょうか? ここに住むおかげで、引っ越し資金は結構残っていますし」

「……いずれはね。でも、今はこの広さが心地いいの。だから、しばらくは今のままがいいな」

「分かりました。俺も美優先輩が相手ならこの広さでもかまいませんし。寝具についてはいずれ考えてみることにしましょうか」

「うん!」


 この至近距離で笑顔を向けてくるのは反則だろう。

 今はこうして寄り添うことの温もりが心地いいからいいか。ただ、段々暑くなってくるので、買い換えるとすれば夏休みとかになるのかな。


「やっぱり、眠るときに、由弦君がこの部屋にいると幸せだな。昨日の夜は1人で寂しかった。由弦君がリビングで眠った理由が、私のことが好きなことを自覚してドキドキしちゃうって分かった今は微笑ましいんだけどね」

「昨晩はドキドキしましたよ。眠るまでに時間もかかっていまいましたし。ただ、今もこうして一緒にいるからかドキドキしていますけど。でも、今は心地いいです」

「……そっか。昨日の夜は、まさか翌日に由弦君と恋人として一緒に眠ることができるとは思わなかったよ。だから、本当に嬉しいの」

「美優先輩……」

「……改めて、これから恋人としてよろしくお願いします。由弦君」

「はい。こちらこそよろしくお願いします。美優先輩」


 美優先輩と見つめ合い、笑い合い、そっと唇を重ねる。

 昨日の夜は美優先輩に告白する勇気を持ちたいと考えていた。次の日の夜にどうなっているかなんて考えられなくて。だから、告白することができて、気持ちが重なっていることが分かって、恋人になることができて。先輩と同じくとても嬉しい。


「由弦君、私のことを抱き枕代わりにしていいからね。なかなか眠れないときとか」

「気持ち良く眠ることができそうですね。……では、さっそく」


 美優先輩のことを抱きしめると、先輩は「あっ」と声を漏らした。恥ずかしいのか、先輩は俺の胸の中に顔を埋める。そんな先輩の頭を優しく撫でると、段々と気持ちが落ち着いてきたのか、俺の胸から顔を離して笑顔で俺を見てきた。


「……由弦君に抱かれるのはいいなって改めて思ったよ」

「そうですか。随分と可愛い抱き枕だと思いました」

「……もう、由弦君ったら。この抱き枕は由弦君専用です」

「嬉しいですね。これならぐっすり眠れそうです」

「それなら良かった。じゃあ、おやすみなさい」

「はい。おやすみなさい」


 美優先輩の方からおやすみのキスをする。そのことでドキドキして、ちょっと眠気が飛んでしまったけれど。

 優しくも愛おしい温もりと匂いに包まれて、俺は美優先輩のことを抱きしめながら眠りにつくのであった。

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