第48話『健康診断』
4月16日、火曜日。
今日は健康診断の日。授業がなく、お昼前に帰れるのはとても嬉しい。だけど、採血があると思うと気が重くなる。インフルエンザやはしかのワクチンなど体に入れるのはまだしも、血を抜かれるのは怖い。今回が初体験なのでより怖い。
「はあっ……」
これで、起きてから何度目のため息だろうか。一人きりならまだしも、側に美優先輩がいるのに。本当に情けない。
「由弦君、大丈夫? いつになくたくさんため息をついて。顔色もあまり良くないし」
「……採血が怖くて。あと、普段と違って朝食を食べていないので、お腹が空いていることも原因の一つかもしれません。ごめんなさい。美優先輩がいる前なのに、ため息をいっぱいついてしまって」
「ううん、いいんだよ。それに、あからさまに元気のない由弦君を見るのは初めてだから新鮮でいいなって。もちろん、元気なのが一番だけどね」
美優先輩は優しい笑顔でそう言ってくれる。そのことで、気持ちが少し落ち着く。あと、元気がない俺が新鮮でいいって……先輩ってSな部分があるのかな。
「美優先輩は注射ってどうですか?」
「小さい頃は苦手だったよ。でも、朱莉や葵と一緒に予防接種に行くと、2人が泣いたりするから自然と落ち着いて。今は針が刺さったら痛いのは当たり前だって割り切ってる。だから、採血もそんなに怖くないかな。もちろん、やらなくていいならやらないのを選ぶけど」
「そうですか。美優先輩は強いですね」
「そうかなぁ。私だって痛いのは嫌だよ? じゃあ、少しでも気持ちを落ち着かせるために、私のことを抱きしめてみる? 私、小さい頃に注射の前にお母さんのことを抱きしめたら、怖い気持ちが小さくなったから」
「心愛がそんな感じでしたね。分かりました。抱きしめてみましょう」
俺は制服姿の美優先輩のことをぎゅっと抱きしめてみる。そのことで、先輩の温もりや甘い匂いが感じられて。不安な気持ちが少しずつ小さくなっていく。
美優先輩が背中に両手を回してくれたのか、背中からも温もりが伝わってきて。だからか、抱きしめる前よりも結構落ち着いてきたかも。
抱擁を緩めて、美優先輩のことを見ると、先輩ははにかんで俺のことを見てくる。
「……少しは落ち着いた?」
「はい。思った以上に気持ちが落ち着きました。ありがとうございます。美優先輩はどうですか?」
「……由弦君に抱きしめられたから、ちょっとドキドキしてる。躊躇いなく抱きしめてくるんだもん」
「採血が怖いので」
そう言われると俺もドキドキしてきたな。美優先輩のことを離すけど、インターホンが鳴るまで先輩が俺の目の前から離れることはなかった。
今日も迎えに来た風花や花柳先輩と4人で学校に行くことに。花柳先輩も昨日よりも元気そうで一安心だ。
「今日は健康診断だから授業がないのはいいけど、部活がないのは寂しいな。昼前に終わるし、たっぷりと泳ぎたかったな」
「本当に水泳が好きなんだな、風花は。採血とかもあるし、大事を取って休みにしたのかな」
「そうかもね。定期試験以外だと早く学校が終わって、部活もない日はあんまりないだろうから、午後はゆっくりとしようかな」
「それもいいと思うよ、風花ちゃん。健康診断が終わって家に帰ったら、2人の分のお昼ご飯も作るよ」
「ありがとうございます! 朝食を食べることができませんから、本当にお腹が空いていて。お昼ご飯を作ってくれるって話を聞いたら更にお腹が空いちゃいました」
「もう、風花ちゃんがお腹空いたって言うから、あたしも凄くお腹が空いてきちゃったよ」
あははっ、と女子3人は楽しそうに笑っている。
俺もお昼ご飯の話を聞いたら、お腹が空いてきたな。採血は不安だけれど、その後に美味しいお昼ご飯が待っていると思えば頑張れそうだ。採血のせいで気分が悪くなって食欲がなくなってしまったら悲しいけれど。
学校に到着すると……見たことのない大きな車が何台も駐車しているな。バスくらいの大きさだけれど。
「美優先輩、花柳先輩。あの大きな車って何なんですか? 健康診断に関係あるんですかね?」
「あれはレントゲン車だよ。車の中にレントゲン写真を撮る機械があってね。瑠衣ちゃんや私はもちろん去年の健康診断でやったよ」
「車の中で服を脱ぐから変な感じだったな」
確かに、車の中で服を脱ぐことなんて全然ないから、変な感じになるという花柳先輩の気持ちも分かる気がする。
クラスや性別で健康診断の回る順番が違うそうなので、各自終わったらグループトークにその旨のメッセージを入れて、あけぼの荘に戻ることに決めた。
教室に行くと、授業がなくてお昼には終わるからか、みんな普段よりも明るい雰囲気だな。ただ、俺のように採血が怖いという女子の話し声を小耳に挟む。俺だけじゃないのだと安心する。
「おはよう、桐生」
「おはよう」
「今日は健康診断で授業ないからいいよな。昼過ぎで終わるし。部活がないのが残念だけど」
「サッカー部もないんだ。風花から水泳部の活動がないって聞いたからさ」
「どの部活もないのかもな。採血があるからかな。あと、先輩方の中には午後から健康診断の人もいるし、今日はなしにしたのかも」
「午後からやるクラスもあるのか」
陽出学院高校は生徒数がかなり多いから、スムーズに健康診断を進めるためにクラスで時間を分けているのかな。
「サッカー部の先輩の話だと、男女分かれて健康診断をやるそうだ。だから、今日は俺と一緒に回ろうぜ。出席番号も近いし」
「ははっ、そうだな。……ところで、加藤って注射はどう? 苦手か?」
「昔からそんなに苦手じゃないな。あと、注射の針は刺されたら痛いんだし、得意ってヤツはあんまりいないんじゃないか? Mなヤツならその痛みが快感になるのかもしれないけど」
「それは言えてるな。ちなみに、俺は……注射は結構苦手な方だ。血を抜かれるなんて初めてだから不安でさ」
「へえ、意外だな。桐生ってそういうことには強いイメージがあったけど。痛みが感じるのは避けられないから、せめても目を瞑っていれば少しは楽になるんじゃないか? 抜かれる血を見るのは結構くると思うぞ」
「……そうだな。覚えておくよ」
実際に目を瞑ることができればいいけれど。痛みだったり、刺されている部分が気になったりしてガン見してしまいそうだ。
それから程なくして。霧嶋先生が教室にやってくる。加藤の話の通り、今日の健康診断は男女で分かれて行ない、終わり次第下校してよいとのこと。
霧嶋先生の話が終わると、先生と女子生徒は教室から出て行く。その際、風花から「採血頑張ってね」と激励された。
体操着姿になって、俺は加藤などクラスメイトの友人達と一緒に健康診断を受けることに。
身長、体重、血圧測定、視力、聴力、内科など、スムーズに流れていく。一つ一つ部屋が設けられており、学校の中が病院になっているような気がした。
たまに体操着姿の美優先輩や花柳先輩、風花、橋本さんはもちろん、あけぼの荘のメンバーの姿を見かけることもあった。そのときはお互いに手を振り合った。
そして、いよいよ採血の部屋に到着する。あぁ、気が重い。胃が痛い。
「桐生、大丈夫か? 顔色が悪いけど」
「……なあに、大丈夫さ。ここまで来たし、覚悟と諦めがついたから」
「なるほど。大丈夫じゃないってことは分かった。安心しろ。俺達も一緒に採血も受けるから」
加藤がそう言うと、何人ものクラスメイトが笑いながら俺の肩や背中を叩く。俺のことを気遣ってか、友人達に挟まれる形で並ぶ。入学してから一番、彼らからの友情を感じている気がする。嬉しいけど、何だか切ない。
採血会場となっている部屋に入る。見たところ、看護師さんとの1対1の対面形式のようだ。数席あるので、これなら加藤の言うようにみんなで採血を受けられそうかな。
もう少しゆっくりと進めばいいのにと思うほどに列の流れは順調で、あっという間に俺の番が来てしまうのであった。
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