第17話『お花見-前編-』

 4月3日、水曜日。

 今日で入学前の休みが終わる。いよいよ、陽出学院高校の入学も目前に迫ってきた感じがする。

 その前に、今日はあけぼの荘の住人全員と花柳先輩でお花見。会場は昨日草むしりをして綺麗になったあけぼの荘の庭だ。

 朝から美優先輩は張り切ってお弁当作りをしている。

 何か手伝えることはないかと訊いてみたけど、今日のお花見は風花と俺の歓迎会も兼ねているから、主役2人はゆっくりしていてほしいと言われた。


「それで、由弦は何もせずにリビングのソファーでゆっくりしているんだ」

「風花だって、俺と紅茶を飲みながらゆっくりしているじゃないか。何か一つでもおかずを作ろうかと思ったんだけどさ」

「由弦は料理もできるんだっけ。ちなみに、何を作るつもりだったの?」

「玉子焼きだよ」

「甘いやつがいい!」


 風花は目を輝かせながらそう言ってくる。


「3歳年下の妹と一緒だ。これまで、玉子焼きはほとんど甘いものを作ってた」

「そうなんだ! 由弦の作った玉子焼きを食べてみたいなぁ。ねえ、うちに玉子焼き用のフライパンがあるし、卵もあるから作ってよ。お金はちゃんと払うから」

「風花の家にある卵を使わせてくれればお代はいらないよ。じゃあ、お花見を開いてくれたお礼に、甘い玉子焼きを作ろうか」

「やったー!」


 この喜びようは心愛にそっくりだ。喜んでくれる人がいると燃えてくるな。

 美優先輩に玉子焼きの話をすると、玉子焼きはまだ作っていないので俺達に任せてくれるとのこと。先輩も俺が作った玉子焼きを食べてみたいそうだ。

 風花の家にお邪魔して、さっそく玉子焼き作りに取りかかる。

 風花は玉子焼きを上手く作れないそうなので、風花に作り方を教えながら作っていく。


「これで完成っと」

「すごーい! あたしのお母さんみたいに綺麗にできてる!」

「それは嬉しい言葉だ。こうやってできるまで何度も練習したな。失敗したときは甘い炒り卵にしたよ」

「そうなんだ。ねえ、少しでもいいから今食べてみたい」

「えっ? しょうがないなぁ。じゃあ、端の方を薄く切るよ」

「ありがとう!」


 少し冷ました後、俺は玉子焼きの箸の部分を切り、それを風花に食べさせる。風花の口に合うかな。実家にいたときのように作ったから、甘い玉子焼きを食べたい彼女にはいいと思うけど。


「う~ん! ふわふわしていて凄く美味しい! まだ温かいから甘みも凄く感じられてあたし好みだよ!」

「それは良かった」


 甘い玉子焼きを食べて喜んでくれるなんて、本当に心愛みたいだ。2人ほどじゃないけど、雫姉さんも美味しそうに食べてくれたっけ。

 8人でお花見をするから、もう一回玉子焼きを作った方がいいかな。


「それにしても、こうして一緒にキッチンに立っていると、由弦と同居しているみたいだね」

「確かに、そんな感じがするね。このくらいの広さの家に住んでいるカップルとかいそうだよね」

「そ、そうだね! いそうだよね、カップル」


 あははっ、と風花は頬を赤くしながら笑っている。


「ここに来てからもこうやって料理するの?」

「実は、引っ越してからはまだ一度もやったことがないんだよ。美優先輩が俺のために料理を作りたいって言って。とても有り難いことだよね。ただ、飲み物は俺が淹れることが多いかな。特に日本茶は。美優先輩が料理をする姿は近くで見たことはあるよ」

「そうなんだ。じゃあ、引っ越してから料理するのはこれが初めてなんだ」

「うん。だからか、玉子焼き作ったのも楽しいし、それを風花に美味しいって言ってもらえて凄く嬉しかった」

「……そっか。何だかあたしも嬉しくなるな」


 えへへっ、と文字通りの嬉しそうな笑みを浮かべる。この玉子焼きで美優先輩も笑顔にできればいいんだけど。もちろん、近いうちに食事を作りたい。

 その後、もう一度玉子焼きを作って、再び端の方を風花につまみ食いさせた。



 お昼前になり、美優先輩からお花見のセッティングができたと連絡が来たので、風花と一緒に玉子焼きを持って庭に行く。

 すると、敷かれたシートの上に俺達以外のあけぼの荘の住人と花柳先輩が、お弁当やお菓子を囲むようにして座っていた。美優先輩と深山先輩の間が空いているから、そこに俺達が座るのかな。

 また、その近くにはサブロウがのんびりと眠っている。

 あと、これで俺達が来てあけぼの荘の住人が揃ったってことになるのか。


「おっ、主役達の登場だな」

「ええ。ほのかな甘い匂いと共にやってきたわ」

「美優ちゃんが言っていたじゃないですか、小梅先輩。桐生君と風花ちゃんが玉子焼きを作ってくれるって」

「……そうだったわね」


 玉子焼きの件、美優先輩がみんなに伝えておいてくれたのか。


「由弦君に風花、こうやって実際に会うのは初めてだね」


 そう言うと、松本先輩はゆっくりと立ち上がって、俺達のすぐ目の前までやってくる。


「改めて、201号室に住む2年生の松本杏です。これからよろしくね」

「よろしくお願いします! 杏先輩!」

「よろしくお願いします」

「うん、2人ともよろしくね!」


 松本先輩は風花、俺の順番で握手を交わした。テニスをやっているからなのかもしれないけれど、握力が結構あるな。

 松本先輩が自分の場所に戻ると同時に、俺達もシートの中に。俺は美優先輩と風花に挟まれる形で座った。


「じゃあ、全員揃ったところで。今日はお集まりいただきありがとうございます。よく晴れ、桜もまだあまり散ってない中でお花見をすることができて、管理人として嬉しい限りです。若干、1名と1匹は外からの人や猫ですが、ここにいる人達が2019年度のあけぼの荘のメンバーになります。みなさん、1年間よろしくお願いします。1年生の由弦君と風花ちゃんは明日から、2年生と3年生は明後日から、それぞれの学校生活を楽しみながら頑張りましょう。このお花見は歓迎会を兼ねているし、1年生の2人はここで自己紹介をしてもらおうかな。名前と住んでいる部屋と、趣味とか」

「……由弦、先にお願い」

「分かったよ。明日、陽出学院高校に入学する桐生由弦です。静岡から来ました。事情があって、美優先輩と一緒に101号室で住んでいます。趣味は……音楽や映画鑑賞、本も読みます。あとは料理やスイーツ作りも好きです。このお花見のために何か作りたいと思って、風花の家にあった材料を使って甘い玉子焼きを作りました。後で食べてみてください。よろしくお願いします」


 お辞儀をするとみんな拍手を送ってくれた。

 先輩達を前にすると緊張したけど、何とか自己紹介できて良かった。玉子焼き作ったのもいいネタになったかな。ここで自己紹介できたら、きっと明日か明後日くらいにあるクラスでの自己紹介も何とかなりそう。


「えっと、由弦と同じく明日入学する姫宮風花です。千葉の南の方から来ました。102号室に住んでいます。一番好きなことは泳ぐことなので、高校では水泳部に入部したいなと思っています。あたしは料理やスイーツは作る方よりも食べる方が大好きです。これからよろしくお願いします」


 風花が軽くお辞儀をして、彼女に拍手を送った。


「由弦君に風花ちゃん、いい自己紹介だったよ。ありがとう。では、これからお花見と2人の歓迎会を始めたいと思います。それではみなさん、お手元にある麦茶の入った紙コップを持ってくださいね。……いいですか? せーの、カンパーイ!」

『カンパーイ!』


 こうして、2019年度のあけぼの荘のお花見が始まった。

 もし、美優先輩が一緒に住もうと言ってくれなかったら、この場にいなかったかもしれない。そう思うと嬉しい気持ちになるな。


「さあ、由弦君も風花ちゃんもたくさん食べてね!」

「いただきます。俺も風花の家にある材料で玉子焼きを作ったので、食べてくださいね」

「すっごく美味しいですよ、美優先輩!」

「そうなの? 見た目は綺麗に黄色くて、ふわふわしていて美味しそう。さっそくいただきます」

「あたしもいただくわ、桐生君」


 美優先輩と花柳先輩が俺の作った玉子焼きを一切れずつ食べる。風花が美味しいと言ってくれたとはいえ、緊張してくるな。


「うん! 風花ちゃんの言うとおりとっても美味しいよ!」

「やるわね、桐生君。上手すぎて悔しいくらい」


 美優先輩と花柳先輩に高評価をいただけて良かった。

 気付けば、佐竹先輩、松本先輩、深山先輩、白金先輩も俺の作った玉子焼きを食べていた。美味しいと言ってくれたり、ピースやサムズアップしてくれたり。嬉しいな。


「あなた、料理が趣味だって言っていたし、こんなに美味しく作れるんだから、たまには食事を作りなさいよ。美優ばっかりに作らせてないで」

「そうですね。美優先輩の料理も美味しくて好きですけど、たまには俺の作った料理を美優先輩に食べてほしいです」

「じゃあ、少しずつそうしてもらおうかな。でも、まだまだ由弦君には食べてほしい料理があるから、主に私が作るからね。私も料理を作るのが好きだし、由弦君に美味しいって言ってもらえるのも好きだから。さあ、私の作ったお弁当も食べて。お弁当の定番や好きそうなおかずをたくさん作ったから」

「はい、いただきます」

「いただきまーす!」


 美優先輩が作ったお弁当のおかずの中で、最初に箸が伸びるのは大好物のハンバーグ。この前とは違って一口サイズになっていて可愛い。


「……うん、ハンバーグ美味しいです」

「ふふっ、やっぱり最初はハンバーグだったね、由弦君。この前作ったときに大好物だって言っていたから作ったんだよ」

「ありがとうございます。本当に美味しいです。そっちにある唐揚げも大好きなのでいただきますね」

「ふふっ、お腹を壊さない程度にたくさん食べてね」

「……幸せな空気を醸し出しちゃって。羨ま……微笑ましいわね! まったく!」


 花柳先輩から鋭い視線を向けられるけど、美優先輩の作ってくれたお弁当が美味しいことには変わりない。

 温かな陽差しに、涼しくて柔らかな風、そして目の前に見える満開の桜。今年も春になったんだなと今一度思うのであった。

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