第1話『管理人さんとお隣さん』

 3月30日、土曜日。

 俺はあけぼの荘の管理人・白鳥美優さんと101号室で一緒に住むことに決まった。そのことを引っ越し屋のおじさんに伝えると、


「おぉ、これから女の子との同居が始まるのか! やったじゃねえか! 早く作業が終わるように、おじさん頑張っちゃうからな!」


 おじさんは張り切った様子で引っ越し作業を始める。

 さっき、管理人さんが言ったように、彼女の部屋は俺が入居しようとした部屋よりもかなり広い。管理人さんの話だと1LDKらしい。

 引っ越し屋のおじさんの頑張り、管理人さんの素早くも的確な判断、実家から運んできた俺の荷物があまり多くなかったこともあって、荷物運びは結構早く終わった。


「おじさん。今日はありがとうございました」

「なあに、いいってことよ。新しい住まいが見つかって良かったな、兄ちゃん!」

「はい。ありがとうございます」

「こちらの不手際で作業を始めるのを遅らせてしまい、申し訳ありませんでした」

「20分くらい全然気にするな! それに、本来住むあけぼの荘に住めるんだからいいってことで。じゃあ、兄ちゃんもお嬢ちゃんも楽しい高校生活を送れよ! お嬢ちゃんは管理人の仕事頑張りな!」


 おじさんはニッコリと白い歯を見せながらサムズアップして、トラックであけぼの荘を後にした。いい人に引っ越し作業を手伝ってもらったと思う。


「荷物を家の中に運んだから、少し休憩にしよっか。由弦君」

「はい」


 管理人さんと一緒に101号室の中に入り、リビングへ向かう。

 ソファーにくつろいでいてと言われたので、俺はソファーに腰を下ろした。何時間もトラックの助手席に座り、ついさっきまで荷物運びをしていたからとても心地いい。


「はい、冷たい麦茶だよ」

「ありがとうございます。いただきます」


 管理人さんは俺のすぐ側に腰を下ろして、自分と俺の前に麦茶の入ったコップを置いた。すぐ近くに管理人さんがいるから甘い匂いがしてくる。

 俺はさっそく麦茶を一口飲む。


「冷たくて美味しいですね」

「美味しいよね。体を動かしたからかより美味しく思えるよ。そういえば、荷物、意外と少なかったね。ベッドとかもなかったし」

「家具とか家電は寸法を測って、春休み中に近くのホームセンターやショッピングセンターで買おうと決めていましたから。この101号室に住むので、その必要もあまりなさそうですけど。俺の服を入れるタンスくらいでしょうか」

「そうだね」

「俺はベッドでもふとんでも眠れるので、寝具についてはふとんを一式持ってくれば大丈夫かなと」

「なるほどね。ふとん一枚なら、私の寝室に敷くスペースがあるから大丈夫だよ」


 今の話からして、管理人さんと一緒の部屋で寝ることはもう決定しているのか。俺は姉妹と一緒に寝たりして慣れているからいいけど、管理人さんは大丈夫なのだろうか。ダメそうなら、リビングにふとんを敷くか、このソファーで眠ればいいか。


「ねえ、由弦君。今更なんだけどさ」

「はい、何でしょう?」

「由弦君には……こ、恋人っているのですか!」


 管理人さんは大きな声で俺にそんなことを訊いてきた。表情は真剣だけど、頬を真っ赤にしていることが可愛らしい。


「真面目に訊いているのに、答えずに笑わないでよ。恥ずかしくなってくる」

「すみません。ただ、管理人さんが可愛いなと思って」

「か、可愛い?」

「ええ。もちろん、可愛いのは今だけじゃないですけど」

「あううっ……」


 そんな可愛らしい声と共に、頬の赤みが顔全体に広がっていく。ますます可愛らしい人だなと思うよ。


「私が可愛いかはともかく、今の質問に答えてくれる……かな?」

「今更な質問をされていましたね、俺に恋人はいません。今までに一度もできたことがありません」

「そうなんだ。良かった、恋人がいなくて。これで一緒に住んで本当に大丈夫。私も恋人はいないし、今までに誰かと付き合ったことはないよ」


 管理人さんはほっと胸を撫で下ろして、残りの麦茶をゴクゴクと飲んだ。

 俺も管理人さんに恋人がいなくて安心した。一緒に住むという意味で。きっと、恋人がいたら、一緒に住みませんかって俺に提案しないだろうけど。


「でも、意外だな。由弦君に恋人が今までいないなんて。その……由弦君はかっこいいし、真面目そうだし、女の子に可愛いってさらっと言えちゃうし。恋人がいないだけで、告白をされたことはあるの?」

「何度かはありますけど、その子達のことが特別に好きになれそうな気が全然しなくて。姉や妹、それぞれの友達と遊ぶことが多かったからかもしれませんが」

「女の子と一緒にいることに慣れているんだね。だから、初対面の私と一緒にこうして隣り合って座っていても、落ち着いていられるんだ」

「さすがに初対面ですし、一緒に住むんですから緊張はしてますよ。でも、管理人さんは優しそうですし、一緒に暮らしていけそうな気がしています。俺には姉がいますし、管理人さんも2年生で1年お姉さんですから」

「……そっか。私は妹2人で兄や弟はいないけど、由弦君となら……何とかなるかも。年の近い男の子と一緒に暮らすのはこれが初めてだけど」


 はにかみながら管理人さんは言う。俺と一緒に暮らすと決断したことに後悔させてしまわないよう気を付けないと。


「じゃあ、そろそろ荷解きしちゃおっか」

「分かりました」


 それから、管理人さんと一緒に荷解きをしたり、タンスを買うために寸法を測ったりした。それも陽が沈む前にだいたい済んだ。

 一時はどうなるかと思ったけれど、あけぼの荘に住むことができて、明るいうちに引っ越し作業の大部分を終わることができた。それは管理人さんが一緒に住まないかと提案してくれたおかげだ。


「これで一段落だね」

「そうですね。手伝ってくださってありがとうございます。あと、男の俺を迎えて入れてくださって。これからお世話になります」

「うん。これからよろしくね。それに、気にしなくていいんだよ。管理人として責任を取るためだし、私のやりたいことでもあるから」

「……本当にありがとうございます」


 俺は管理人さんに対して深く頭を下げた。ここに住まわせてもらうんだから、管理人さんの仕事を少しでも手伝っていかないと。


「さてと、102号室の風花ちゃんの様子を見に行こうか。もし、向こうも一段落していたら、あけぼの荘に住んでいる人達に挨拶しに行きましょう」

「分かりました」


 外に出ると、夕方だからか空気がひんやりしている。

 管理人さんは102号室のインターホンを鳴らす。

 改めて管理人さんのことを見ると、あけぼの荘の管理人の仕事をしていることもあってか、とても大人っぽく見えるな。1学年上の先輩であることが未だに信じられない。制服姿を見れば少しは印象が変わるのかな。

 インターホンを鳴らして30秒ほどで、102号室から姫宮さんが出てきた。


「はい、どうかしましたか? 管理人さん」

「引っ越し作業の調子はどうかなと思って。こっちはもう終わったけれど」

「荷解きも一段落しました」

「それは良かった。ただ、もし何かあったらいつでも言ってきてね」

「ありがとうございます! 可愛い管理人さんが隣に住んでいるのは心強いです」


 女性同士ということもあってか、さっそく仲良くなっているな。今の姫宮さんの姿を見るだけでも、102号室に彼女が住むことになって良かったと思える。


「では、これからあけぼの荘のみなさんにご挨拶しましょう。みなさん、2人が入学する陽出学院の生徒さんですよ」


 そういえば、不動産屋さんでこの物件を見たとき、学生さんで一人暮らしを始める方は歓迎するっていう説明があったな。まさか、全部屋が陽出学院高校の生徒だとは。


「ただ、その前にこの3人の中で自己紹介しましょうか。きっと、入学したらクラスで自己紹介するだろうから、その練習も兼ねて。私はこのあけぼの荘で管理人をしている白鳥美優です。契約や金銭関係については伯父夫婦がやっていて、私はアパートの点検や清掃などの担当をしているの。あと、4月から陽出学院高校の2年生になるから、アパートだけじゃなくて学校でもよろしくね。じゃあ、次はあけぼの荘へ先に来た風花ちゃんから」

「は、はい!」


 すると、姫宮さんは急に緊張した面持ちに。ここにいる3人だけでも、自己紹介するのは緊張しちゃうか。


「102号室に住むことになった姫宮風花です。千葉のかなり南の方から来ました。この4月に陽出学院高校に入学します。高校では水泳部に入ろうと決めています。二重契約のことを知ったときは驚きましたけど、桐生君に譲ってもらってあけぼの荘に住むことができることに安心しました。あと、桐生君の住まいも見つかって良かった。……これからよろしくお願いします」

「よろしくね、風花ちゃん」


 姫宮さんはもう水泳部に入部しようと決めているのか。彼女のことが眩しく見える。


「じゃあ、次は由弦君ね」

「はい。桐生由弦です。静岡から来ました。俺も陽出学院高校に入学する予定です。部活は具体的には考えてないですけど、入るなら文化系にしようかなと。二重契約は驚きましたけど、管理人さんのお宅ですが俺もこのあけぼの荘に住むことができて嬉しいです。これからよろしくお願いします」

「うん、よろしくね、由弦君。2人ともいい自己紹介だったよ」


 管理人さんは嬉しそうな笑みを浮かべて拍手を送っている。マイペースなところもありそうだな。


「あと、2人とも私のことは名前で呼んでくれていいんだよ。このアパートの管理人なのは間違いないけど。それに2人のことを名前で呼んでいるし」

「確かにそうですね! じゃあ、美優先輩で。あと、由弦もあたしのことを名前で呼んでいいからね」

「分かったよ。……風花。俺も管理人さんのことを美優先輩と呼びますね」

「うん! 後輩からは先輩って呼んでくれるのが気持ちいいね」

「あたしも初対面の男子に名前呼びされるのは悪くないかも」


 そうは言っているけど、風花の口元は笑っている。結構気に入ったのかな。

 その後、俺達は連絡先を交換する。ただ、この連絡先が発揮されるのは陽出学院高校に入学してからかな。特に美優先輩の連絡先は。


「じゃあ、各部屋に住んでいる人に挨拶しようか」


 美優先輩と俺の部屋、風花の部屋以外に4部屋あるのか。どんな人達が住んでいるのか楽しみだな。

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