Case1 アンタレスと夏の大三角①
子供の頃から、星を見ることが好きだった。
それを見た両親が買ってくれた星座の本も穴が開くほど読んだが、それよりも太陽の光を反射し、遠く遠くの宇宙で光る星を眺めている時の時間が止まりそうな程にゆっくりと流れる感覚が好きなのだ。
幸い自宅は県の山中にある自然に囲まれた平屋であり、周りに街灯もほとんどない。
小学校に入る前はこの山に伝わる天狗の伝承を本気で信じていて、悪いことをすると天狗様に連れていかれるぞ、という親のお説教に恐れ慄いて泣き喚いていたのも、今ではいい思い出だ。
そんな静かな夜に、俺は自室の縁側から空を見上げている。
田舎独特の澄んだ空気は、晴れている時は星をはっきりと煌めかせていて、月明かりと併せて街灯すら要らなくなるほどに光り輝くが、悲しいことに今の空は薄雲ではあるが空を覆うように曇っていた。
月の光は薄ぼんやりとわかるが星の光は届かず暗い暗い夜空が俺の視界を埋めつくしていて、虫と蛙の鳴き声だけが響いていた。まぁそんな夜もあるよなぁ、と軽く笑いながら自室に戻り雨戸を閉める。部屋に戻った俺は、足元にあったリモコンを操作して部屋のライトを点灯させる。
証明に照らされた壁掛け時計は、21時11分を指している。寝るには少し早い時間だがテレビをつける気にはならなかった。どうせいつもの「ワイルド・チャレンジャー」が吹き飛んだ瞬間を延々と流し続けるニュースか、「ありがとう人類の歴史」のような名目で昔の名作映画をロードショーで放送しているかぐらいだからだ。
正直なところ、名作映画と言われても知識としては知っているのだが最近のCGを駆使したド派手な映画に比べてしまうと白黒の映画を観る気にはならない。クロサワ映画とかヘップバーンとか、時代が違いすぎてよくわからないというのが率直な感想だ。だからといって、「ワイルド・チャレンジャー」関連のニュースを観るのはさらに違う気もする。
世界が滅びてしまうということを半年ほど前にニュースで初めて聞いた時は、正直なところあまり実感というものはなかった。あまりな現実離れしている、それこそ漫画や映画のような告知を他人事のように聞いていた。ネットのニュースでよく見る、彗星が近づいていて地球の近くを通り過ぎる時にコースによっては衝突するかもしれないというデマに近いものだとすら感じていた。
発表された日も、その次の日までそんなニュースなど何事もなかったかのように、いつも通りに動き続ける世界の上で感覚が麻痺していたのかもしれない。そして、その感覚が急激に襲いかかってきたのが、「ワイルド・チャレンジャー」が爆発した瞬間であった。
発進するときは全てのテレビ局が生中継していたので否応なく見ることになっていたのだが、あの瞬間に何か。何かが抜け落ちるような感覚を覚えたのだ。
敢えてそれを言葉にするならば、諦めという感情が一番近い。もう、世界が滅びてしまうことを俺の頭の中の一番深いところが理解してしまったのだ。
その感情に蓋をしてこの数日をいつも通りに、なんとか笑いながら過ごしていた。それでも、滅びることを再認識させるあの映像は、もう見たくはない。
机の上のテレビのリモコンを一瞥して、予め敷いてあった布団に寝転がり枕元に放り投げていたスマートフォンのスリープを解除する。
待受画面は、数年前に寿命で死んでしまった愛犬のアスカの写真だ。俺が産まれる少し前に産まれたオスの柴犬であるアスカは、文字通り兄弟のように過ごしていた。一人っ子の俺にとっては物心つく前からずっと一緒にいたアスカは兄でもあり、親友でもあった。親の話によると、母よりもアスカにくっついて歩いていたらしいし、はじめて喋った言葉も「アスカ」だったとか。
画面越しの年老いたアスカはこちらに向かって舌を出していて、「頑張れよ」と言っている気がした。特に理由はない。思い込みかもしれないが、今の俺にとってはそんな気がした。そんな気がしたんだ。
再びスマートフォンをスリープ状態にして、天井を見上げる。
どんなに楽しいことがあっても、苦しいことがあっても。
太陽が昇れば明ければ朝になるし、沈めば夜になる。
アスカが死んでしまったその日、まだ中学生だった俺はずっとずっと泣いていたけど、気づけば朝日が自分の身体を照らしていた時になんとなく感じた。
どんなことがあっても世界は回っていくんだな、悲しくても辛くても太陽が廻り続けることによって時は流れて、それが思い出や経験になっていくんだな、と実感をして。
その繰り返しがひたすらに続いて、両親が亡くなっても、果ては俺が死んだとしても次の、また次の世代に引き継がれていく。それが世界が回っていく限り永遠に続いていくことが当たり前のことだと、漠然と思っていた。
だけど、だけどその繰り返しは、もうすぐ終わりを迎えることになる。
この世界が終わるまで、あと、15日程度。
学校は、カレンダー通りの夏休みだ。布団の上から視線を動かし、去年の年末で商店街で貰った日めくりカレンダーを見ると「7月29日」と記されていた。数日前の終業式では、いつもは退屈だった校長先生の長い話がこれで聞き納めになってしまうと考えるとなんだか複雑な気持ちになってしまい、柄にも無く真剣に聞いてしまった。
「私は貴方達よりも3倍ほど生きた。それでも、それでもやりたいことがたくさんあります。こんなところで終わってしまうのは本当に悔しいんです。いや、私の事なんてどうでもいいんです。貴方達は私以上にやりたいことや夢があったと思います。その美しい、輝かしい夢が潰えてしまうということが教育者である私……いや、私達にとってはこの事実が一番辛いし何より悔しいんです。これほど神様を憎んだことはありません。あまりに残酷だ。教師は聖職者だなんて言う人がいます。神が本当にいるとするならば、こんな、こんな神の為に貴方達を見守っていたわけではありません。これから私が言うことはただのエゴかもしれません。それでも言います。最後まで生きて、生きてください。悲観的にならないでください。最後は何をしていても構いません。それでも、笑っていてください」
来年で定年退職が決まっていた校長先生は、大粒の涙を流しながら笑っていた。
笑って、笑って最後を迎えよう。そう言いながら泣いていた。
「最後に、『たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私は林檎の樹を植える』ーー昔のドイツの宗教家、ルターの言葉を皆さんに伝えます。貴方達は私にとって、その林檎の樹です。どうか、いつも通りに笑って過ごしてください」
校長先生の最後の締めの言葉が、なんだか頭にこびりついて離れないのだ。
「林檎の木、かぁ」
正直なところ、よくわからない。
ひとつだけ理解出来ることは、俺が植えられた林檎の樹の1本だとしても、吹き飛んでいくという現実だけだ。死後の世界があるとして、アスカはそこにいるのだろうか。俺の事を覚えているのだろうか。
もやもやした気持ちを抱えながら布団の上で何回か寝返りをする。眠気がある訳ではない。なんだか、落ち着かないという感覚が一番近い。壁掛け時計に視線を送ると、時計はまだ15分しか経っていないことを示していた。まだ寝るには早いな、と意識して布団から立ち上がる。
とはいっても、特にすることは無いのだが。
「うーん」
とは言っても、もうすぐ世界が吹き飛んでしまうというのに惰眠を貪る……というのもなんだか違う気がする。家の外では蛙達が閉ざされたアルミ製の雨戸を隔ててもはっきりと分かるほどに大きな声量で輪唱を続けている。慣れていると思っているが、やはり喧しさを感じる程だ。
ふと、アスカは蛙の鳴き声があまり好きではなかったことを思い出した。年老いて耳が悪くなった晩年でも、この季節になるとこちらが暑い日中は酷だろうと気を回しても嫌がっていたものだ。そんなことを考えると今夜はアスカとの思い出をなぞるのも悪くはない気がしてきた。久しく回っていなかった散歩のコースでも歩いてみるか。
俺はハンガーに掛けてあるシャツを手に取り、着替えることにする。散歩のコースといっても自宅周辺だ。そこまで着飾る必要は無いだろう。適当でいいか、と寝巻きのTシャツを脱ぎ捨てた。
自宅のドアを音を立てないようにそっと開け、同じくそっと閉める。曾祖父が建てたこの木造の家は建てられた時こそ立派なものだったらしいが、今ではところどころにガタがきている。音を立てずにドアを開け閉めするだけでも、それなりの注意がいるのだ。
両親には何も言わなかった。わざわざ「散歩にしてくる」と宣言するのもおかしいだろう。というより既に寝室に居るようであった両親は、もう寝ているようであった。自分が言うのもなんだかおかしいが両親は仲が良く、よく喋る。寝室のドアの前に立つとなにか喋っている声がよく聞こえる、というのが常ではあったが今夜は聞こえかった。
寝ているのを起こすほど、野暮なことはない。そう胸の中で呟き、ゆっくりと廊下を歩き、玄関を抜けて門扉を開き敷地の外に出る。そこから坂を下り、川の周りを歩く。それが俺とアスカのいつもの散歩道だった。
まずは川の方へ歩いていこう、と運動靴を履き直して足を前に出していく。川まではここから歩いて5分程度かかるが、そこまで距離があるというわけではない。ゆっくりと、のんびりといこう。空を見上げると、先程と同じく少し厚い雲が空を覆っているが、雲の動きが早い。暫くしたら雲が晴れて星が見えるだろう。これで星が見えたらデネブ・ベガ・アルタイルの3つの光り輝く星が構成している夏の大三角がはっきりと見えて、美しい星空が俺の見上げる視線を埋め尽くすかもしれない。
その光景を想うと同時に、あと二週間程度で旧暦の七夕があったことを思い出す。彦星はアルタイルで、織姫星がベガ。そしてその二人を見守るはくちょう座の尾にあるデネブ。織姫と彦星が天の川で出逢うのは今年以降人類が観ることはもう叶わないが、それでも二人は一年に一度、白鳥が翔ぶ星の海の上で逢い続ける。何年も、何百年も、それこそ何万年も。
ゆっくりと歩いていく。俺の歩くペースは同年代の友人に比べては遅い。加齢により足が衰えてしまったアスカに合わせてスローペースで歩いていたら、気が付いたら彼に歩調が合うようになっていた。だが俺はこれまでも、このペースを変えることは無かったし、これからも無いだろう。俺のこのゆっくりとした歩調がアスカの生きていた証のひとつだから。俺を形作った大きなもの。それは、絶対に欠かしてはいけないものだ。
気付けば川の近くの土手道まで俺は足は歩みを進めていた。土手道といっても、一応アスファルトで舗装がされていてその舗装はところどころ沈下したりしているが、足元に気をつけないと軽くつまづく程度なので暗がりでもさほど問題は無いだろう。こちらも道がそこまで広くない故に車がぶつけたのか一部が変形しているがその分強度は保証されている鉄製のガードレールも道路の両側にしっかりと立っている。
7、8年ほど前に近所に住んでいた土木作業員の島本さんが雪も降りそうな真冬の夜中に酔っ払ったまま千鳥足でこの道を歩いていてバランスを崩したのか土手に転がり落ちて亡くなってから以来、このガードレールが設置された。脂の乗った働き盛りに亡くなってしまった島本さんには悪いが、気をつけて歩けば彼のような間抜けなことにはなることはもう無いだろう。このまま川の流れる方向に歩いていくと、進行方向の右側に小さな公園がある。そこで一通り遊んだ後に来た道を戻って帰るーーというのが俺とアスカの散歩道だった。
公園までは、歩いて大体15分程度。そこそこの距離がある。実際のところ少しだけ面倒になってきたが、まぁこれもやり残してしまうと後悔してしまう気がする、と思って歩みを続けていく。
道路の左側にあるガードレールの先には土手の斜面があり、その斜面の終わるところにある川が大量の水を運んでいる。この川は南久我川といって、この山に囲まれた俺達が住む田舎町を象徴する二級河川だ。そこまで川の幅は広くはないが、透明度の高い透き通った水が流れていく。
その南久我川の流れに進むように歩いていく。川の近くなのか蛙の鳴き声が何重にも輪唱を奏でていて、それに触発されるように虫たちのさざめきと川の流れる水音ともに夏独特のオーケストラのような旋律が流れている。その音に耳をすませながら、灯りの落ちた町を1人進んでいく。
何分か歩いていたか。公園に向かう道中、近くに幼稚園があるからか段々と電柱が増えていく。
雲に隠れていても月の明かりが何となく分かるほどに包んでいた暗闇が、少しずつ輪郭を帯びていく。当然、その明かりによって見えてくるものも増えてくる。民家の門柱の上に置かれたプランターに植えられた名前の分からない花とか、猫避けの水が入ったペットボトルなど、だ。
そして、俺と同じようにこの夜を歩いていく人も。
「……風間くん?」
歩いてきたのは、数日前に見た顔の持ち主だった。
最後の終業式の日にクラスの隅で見た、クラスメイト。栗色のショートヘアが可愛らしい子という印象ではあるが、正直なところ顔と名前が一致する程度の認識の女の子だ。接点がないというか、教室の隅で大人しそうな女子とずっと一緒にいたなぁ、という認識だ。男友達とゲラゲラ笑って過ごしていた俺と会話したことなど、数回しかなかったと思う。
「あぁ、山石さん――か。どうしたの?こんな夜に」
山石琴里。それが彼女の名前だ。
ちょっと眠れなくて、という山石さんは小さく笑っていた。
近くの公園に向かっているところということを話すと、折角だから自分も着いていくと彼女は身体の向きを反転させる。
二人で夜の道を歩いていく。深夜ーーという程ではないが、川の反対側には民家が点在する道路だ。
俺も山石さんも、何も話さずに公園に向かっていく。
気が付いた時には夏の夜空を包んでいた雲は一部だけが抜け明けていて、さそり座のアンタレスが光り輝いていた。
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