選択 ーMy choiceー

氏姫漆莵

第1話 友人


ごぉー。




電車がトンネルに入ると聞こえてくる音だ。


静かな車内に響く音だ。


「どうしたの?気分悪い?」


ボックス席の向かいに座る友人がいつもより声を張り上げて話しかけてくる。


「何でもない。眠くて目を閉じてただけ。」


これもまた声を張り上げる。


トンネルに入ると話をしていた人は過ぎるのを待つか、声を張り上げる。


目の前の友人はどうやら、後者らしい。


「そう?良かった。」


「ありがとう。」


「何が?」


「心配してくれて。」


「いや、急に顔しかめて目を閉じれば誰でも心配するよ。」


「そう?でも心配してくれて嬉しかったからお礼言ってる。」


「かまってちゃん?」


「誰がかまってちゃんって?」


思わず席を立ち上がる。


「さあ、ねえ。」


「人がお礼言ってるのになんだよ!」


言ったと同時にぱっと視界が明るくなる。


車内に声が響き、少ない乗客が一斉に此方を見る。


「押し付けがましい。」


「うっ....。そういう意味じゃなくて、からかうなって言ってる。」


すっとフードを被り席に座るが恥ずかしくて体が、特に首から上が熱い。


まだちらりと此方を見ている他の乗客を尻目に、友人はにやり、と笑う。


「顔赤くない?熱あるの?あ、何か汗かいてない?」


「うっさい。」


「心配している人に対する態度かな、それ。」


「押し付けがましい。」


「押し付けがましい?何処が?諌(いさ)めてるんだよ。友人が、友情が壊れるのを覚悟して。」


「じゃあ、こっちも言うけどさ、人を貶(おとし)めるのと言うか、馬鹿にすると言うか、そういうの止めた方が良いと思うよ。」


「ごめん。悪かったよ。気を付ける。」


急にしゅんとする。まるで叱られた子犬のように。


「騙されない。絶対に。もう騙されない!」


「しーっ!他のお客さんに迷惑でしょ!」


指を唇に押し当てる。


「可愛い顔したって、可愛い態度取ったって騙されない。」


「捨てるの?もう、友人としての縁は切っちゃうの?」


周りの視線が痛い。奴が瞳を潤ませているからか。


「そういう意味じゃないけど、前科もんは赦さん。」


「前科もの?酷い!信じてくれないんだ....。友達なのに!そう思ってたのは僕だけ!?」


周りから可哀想という声が微かに聞こえる。


忌々しい。


「ちっ!わかったわかった。赦す赦す。」


「ホント?ありがとう!!」


途端に顔が綻ぶ。


その顔を見て思わず口元に僅な笑みを浮かべてしまう。




友人は愛らしい。見た目も心も何もかも。故に多くの人から愛される。見知らぬ他人にも。




一方で俺は根暗で、猫背で、卑屈で....人の親切を平気で金繰(かなぐ)り捨てる嫌なヤツで。他人からの視線も、他人に話し掛けられるのも嫌でフードを被り、イヤホンを耳に指している。そんなヤツだ。




どうして一緒に居るのか。何度聞いても


「君が好きだから。」


そう言って笑う。


「やめてくれ。」


そう思う。友人が俺を好きだと言えば言うほどそう思う。


だって俺は。


「お前が好きだ。」


「え?何、何?僕の事好きって?え?もっかい言って?」


「言わない。おちょくるな。」


思わず呟いた本音を冗談だと彼は捉えている。


だけど、俺は本気だ。


俺は同性愛者じゃない。異性愛者でもない。


俺が偶々好きになった人が目の前の友人なだけだ。


「おい、どうした?」


いつの間にか俯(うつむ)いていたらしい。


「急に暗い顔してどうしたんだよ。」


「ごめん、何でもないよ。」


思わず眉に皺を寄せ、眉尻を下げつつ答える。


「嘘つけー!!」


急に頬を指先で引っ張ってくる。


「痛い、痛い、痛い!痛いって!」


慌てて彼から逃げる。


「何すんだよ!いってぇ!」


「あはは!顔赤いぞ!」


「誰のせいだ!」


「君が困った顔するせいだろ。」


「む....うう....」


友人が好きだ。好きで好きで堪らない。


こんな駄目な俺を好きでいてくれる友人が好きだ。


これは友愛の好きでも、性愛の好きでも親愛の好きでもない。




崇敬だ。




そう、この感情に言葉をつけるとしたら敬愛だろう。そう思うことにしている。でないと、自分がよく分からなくなるからだ。



「そんなむくれんなよ。」


「うっせえ。」


「あ、着いた。降りよー。」


「あ、待てよ!」


慌てて走りながら下車する。


「飛び降り下車は危険です!」


「....は?飛び込み乗車のもじり?」


「....。」


びしっと敬礼して動かない。


「じゃ、俺帰る。またな。」


手をひらひら振って歩き始めると友人が慌てて追いかけてくる。


「待てよ!のれよ!!」


「やだ。絶対にやだ。」


「ちっ!」


口を尖らせる彼を見て思わず笑ってしまった。


「拗ねんなって。」


「やめろ!頭くしゃくしゃするな!背が高いですよアピールか!」


「別に?」


どうやらより腹を立ててしまったようだ。


「くっそ!腹減った!奢(おご)れ!」


面白そうだからもっとからかってやろう。


「ガリでいい?」


「は?ガリ?ガリってあの、寿司のガリか?」


「ああ。」


「きりってすんな!膨れるものにしろ!」


「オムライスで手を打て。」


「....子供かよ。」


「子供だろ。オムライス好きだろ。」


「....。」


「で、俺に焼き肉奢れ。」


「何でだよ!?僕も焼き肉がいい!!てか、何故僕が奢る!?」


「じゃ、オムライスで。割り勘で。」


「はあー??やだよ!何が悲しくてオムライス一皿を男とわけっこして食べないといけねぇんだよ。」


だったら男と二人で出掛けるんじゃなくて、女の子誘えよ!


「俺サンドイッチ頼むから店員に半分ずつにしてもらおう。」


「許す。」


「勿論、オムライスはお前持ち。」


「奢りは?!」


「いいだろ、別に。」


友人は少し不満げな顔をする。しかし、突拍子(とっぴょうし)もなく走り出す。


「早く行くぞ!腹減った!」


腹が鳴る。


「はいはい!転けんなよー。」


「何歳だよ!」


「お腹すいたから店までダッシュとか俺やだし。」


「....。」


「まあ、歩け、22歳児。」


「....。ぼく、に、にじゅうにちゃい!」


すっと友人の横を通りすぎる。


何か聞こえたな。気のせいだろう。うん。


「お....っ!おい!スルー!?」


横で歩きたく無くなってきた。


「待って!速い。いや、速い。」


無視だ、無視。


「ごめん、ごめんて。」


歩くスピード上げてやる。


「速っ!こけっ!!」


慌てて友人の襟をつかむ。


「あっぶねえー。さんきゅー。」


「次はない。」


「....。君がゆっくり歩いてくれたらな。」


無言でゆっくり歩き始めることにした。


「大体君は良いよなー!背が高くて足が長くてよーずりぃ。」


「....。」


「僕なんて身長が残念だって言われんだぞ!何だよ!」


「可愛い顔してるから良いんじゃね?」


「やだし!変なおっさんに声かけられるの堪えられるか?」


「おっさんは願い下げだな。」


「おっさん"は"って....じゃあ。」


悪い顔をしてにやついている。


「僕ならおっけー?」


「....。」


「黙んなよ!!」


「....。ごめん、俺お前に妖(あや)しいコトできねー。抱き締めるとかならいけるけど、そっからは無理だ....。」


「いや、いいし!求めてねぇよ!真剣な顔で返すなよ!!」


いや、真剣なんだが。


「あー....。お前は黙ってても女の子寄ってくるもんなー。ウラヤマシ。」


「....。君だってフード被らずにびしっとしてりゃ寄ってくんだろ。」


断じてそれはない。俺の性格を知っていれば尚更(なおさら)寄ってこない。


「要らねー。」


「だったら羨ましくねーじゃん!」


「ふん。」


「え、何、ふん?今ふんっ!って言った?」


「うぜぇ。」


「うぜぇ??どうしてそんな子になっちゃったの!?」


「俺、帰る。」


「え!!もう、店の前だよ!?」


「じゃあ、席別々にしよう。」


「なんで!!」


「さっきからお前目当てに女の子達がつけてきてるから。」


親指で後ろを指して興味を反らす。


「あ....。可愛い子がいっぱい!!」


「じゃーなー。」


さっさと店に入って一人で席に座る。


その瞬間友人は沢山の女性に囲まれ店に入ってくる。


ちらりと助けを求められたが無視して、注文をする。イヤホンをさし、かしましい耳障(みみざわ)りな高い声が入らないようにする。


俺は苦手だ。女性のきつい香水の匂いが。女性の耳に響く大きな高い笑い声が。もう少し、穏やかに笑ってくれたら良いのに。同様に、男の煩い大きな笑い声も、香水も汗のにおいも嫌いだ。





サンドイッチが運ばれてくる。


口に含むと柔らかな卵サラダが口内に広がる。


濃厚な卵の味と爽やかな甘さが堪らない。


しっかりと、アーモンドの味がするコーヒーに良く合う。


ああ、他の物も頼んでおいて正解だ。あっという間に平らげてしまう。


すっとハムサンドに手を伸ばした時、獲物は俺以外の手によって拐われてしまう。


「おい。俺のだ。お前はあそこの五月蝿いのと遊んでろ。」


残ったハムサンドを持ち、余った指で友人の後ろ、自分から見ると正面を人差し指で差す。


「やだよ。君が居ないとつまんないし。」


「お前が来たらこっちに来るだろ。ほら。」


いつの間にやらじりじりと女性が近づいて来ている。


「....。」


「どうにかしろ。やだぞ俺は。」


そう言ってこれ見よがしに、フードを目深に被ってやった。


すると友人は、ばっ!と席を立ち、両手を広げて振り返った。


「可愛い子ちゃん達!僕、子猫ちゃん達を囲う趣味ないから諦めて?」


馬鹿か、こいつ。


「あれ....?え?何でこっち来んの!」


「子猫ちゃんはお前だろ。」


「え?僕が子猫ちゃん....?」


しゅんとした顔で見つめてくる。やめろよ。


「あの人達はお前に囲われたいんじゃなくて、お前を囲いたいんだよ。」


「え....。」


顔が一気に青ざめる。


「そんな....嘘、だろ....?」


「本当だ。」


「そんな....。僕を巡って血みどろの争いが始まるの....?」


友人は俯き、ばっと顔を手で覆(おお)った。


「そんな、そんなのって....」


ぱっと顔を上げる。


「最高だあーーー!!!」


両手を広げ満面の笑みを浮かべながら、天井を見上げ、高ぶりの色を隠せない変態。


これが友人なのか。思わずため息をつく。


「最っ高じゃないか!さあ、やってくれ!僕に見せてくれ!」


友人ながら引く。これには毎度毎度引く。


そんな事言われても、全員で囲ってやるとでも言わんばかりに近寄ってくる女性たちにも。


「会計お願いします。」


「え、あれ?帰るの?残ってるよ?」


「あれ、包んで貰えませんか?近くの公園で食べるので。あと、アイスティーつけて下さい。」


「畏まりました。少々お待ちくださいませ。」


テイクアウト出来る店で良かった。


「おい!帰るの!?」


「公園で食べる。」


「俺も!」


「あれ、どうにかしたらな。」


「子猫ちゃん達!解散だよ....っ!?へ!?」


あっという間に揉みくちゃにされている。


「あの、お客様、お連れ様は大丈夫ですか?」


「すみません。ご迷惑お掛けして。でも、俺じゃどうしようもないので、何かあれば揉みくちゃにされてる奴に言って下さい。」


店員は困惑した顔をする。


「これ、奴の電話番号です。」


「えっと....。」


「ああ見えて良いとこの坊っちゃんなので、破損とか営業妨害とか諸々保証してくれます。まあ、何もしなくても後から係の人来ます。」


「ええと....。」


益々困った顔をしてしまった。


「奴なら大丈夫です。いつもの事なので。」


「はあ....?」


「ちょ!助けてよ!」


包まれたサンドイッチ達を受け取り、店員に礼を言う。


「ありがとうございます。」


「待てよ!おい!!」





店を出ると、係の人....あいつの爺やがいた。


「いつものごとくなので宜しくお願いします。俺はそこの公園の東屋で食べてるので。」




そっと椅子に座る。


あいつに出会うまで、日本に爺やなんて存在しないと思っていた。執事なんて、メイドなんて存在しないと思っていた。


本物の金持ちの所にいたんだな。


金持ちで、メイドや執事を抱えていて、一族全員顔立ちが美しいから、雑誌にTVに引っ張りだこだ。




そんなあいつが、何故俺の側に居たがるのか全くわからない。


そんな事をつらつらと考えていると太腿に冷たさを感じた。


持っていたアイスティーの氷が溶けてパキパキと音がしている。そして雫が垂れ、ズボンに染みを作っていた。


ぼーっとそれを見る。小さな染みが、布地に染みてじわりと広がる様を見る。そうしているうちに次々と水滴が落ち、染みが増え大きくなっていく。


「暗っ!何してんだよ!」


「あ?」


顔を上げると丁度、彼の濡れた鴉の黒羽のように艶やかな髪がさらり、と垂れる。魅惑的で今にも俺を吸い込みそうな、どこまでも続いているかに思える瞳が此方をじっと見ている。


「なんだよ!気持ち悪いな!こっち見るな!」


「は?」


仕方ないだろ!綺麗だったんだから。てか、こっち見るなってなんだ。自分が話し掛けてきたんだろ。


「....ごめん。だからそんなメンチ切るな。」


「....。」


「眉間に皺が出来るぞ。」


よし、場所を変えて食べよう。美味しいご飯が台無しだ。


「ま、ま、待って!やっと振り払って来たんだから!」


「振り払って貰ったんだろ。」


「う....。」


「嘘ばっか言ってると天狗に拐われるぞ。」


「いつの時代だよ!しかも何で天狗!?閻魔様に舌引っこ抜かれるとかじゃなくて!?」


「あ、そっちのが良かったのか?変わってるな。」


「いやー僕、虐められるのが好きでー....って引くなよ!冗談なの分かってるだろ!」


「あ、ごめん。冗談だったのか?俺は別に良いと思うぞ。性癖は人それぞれだし。俺は、無理だけど。」


「だから、違うって!」


「おい、偏見か?良くないぞ、それ。」


「だー!違うって!」


頭を抱えながら言う友人を見て、笑ってしまった。


「何だよ。何なんだよ。食わせろ。」


そう言ってサンドイッチをするすると食べてしまう。


「....。ところで、飲み物は?僕の分は?!」


「何でお前の分も買わないと駄目なの?」


「えー!!本当に君だけで食べるつもりだったの?酷いよ!」


「....。飲む?」


ぱたぱたと水滴が垂れるアイスティーを差し出した。


「要らね!飲みかけとか関係無しに見るからにぬるい!てか、君の手に包み込まれて温かくなってること間違いないし!」


「いや、飲んでねーよ?」


「だから、ぬるそうだから嫌だってんの!」


「あ、そー。」


目の前でとても美味しそうに飲んでやる。


「あー。美味しいなー。」


「....。」


「いや、本当に旨いな、これ!」


滅茶苦茶美味しい。何だこれは!


「だろうな!!名物だもんな!」


ばっと奪い拐われる。


「美味しい....ぬるい....。」


「おい、人様からかっさらってその言い草はないだろ。」


「これ、僕にちょーだい。」


「ふざけるな。ちょーだいじゃねぇよ。可愛い子ぶんな!」


可愛いな、この野郎。


「ちょーだい....。」


口を尖らせ、少し上目遣いでねだってくる。


風で髪がしゃらしゃらと騒ぐ。


黒瑪瑙(オニキス)の瞳を少し潤ませそっと近づいてくる。


「ちょーだい?」


「....。気持ち悪い。近づくな。やる。」


アイスティーを押し付け自分から離れさせる。


「気持ち悪いとは何だ!僕の必殺技だぞ!」


「うーわー。気持ち悪くて死にそー。」


「酷いよ!」


ふと、思った事があった。


「おい。」


「何?真剣な顔して。」


友人の肩をがっしりと掴む。


「マジで気持ち悪いからさっきの表情はやめた方が良いと思うぞ。」


「何だよ!酷いな!」


「友人としての忠告?」


「傷付いた!僕の!僕の硝子のハートにヒビが!」


嘘つけ。


「お前のは粘土だろ。」


「ひっでぇ!ひっでぇよ!」


怪しむかのように目を細めて友人を見る。


「痛い......。」


「....。何処が?」


聞くと友人は胸を押さえながら言う。


「うっ!痛いよ!ここだよ!」


「マジか!病院行こうか!ヤバイよ!」


「....は?」


「心臓が痛いんだろ!病気じゃん!」


友人は目に見えて憤った。頭からポコポコ湯気が出そうだ。


「病気じゃん!じゃないよ!!」


ここは、仕方ない、謝っておこう。


「ごめん。ごめん。」


「不本意そうだな。」


バレたか。


「別に?そう見えるのは心が腐ってるからじゃない?」


「そんな馬鹿な!僕の心が君みたいに腐ってるわけない!!」


おい。失礼だな。こいつ。


「あれー?あいつどこ行ったー?おっかしいなー。」


ベンチから立ち上がってキョロキョロあちこちを見渡す。


「おい!あれは言わないぞ!絶対に言わないぞ!」


「どこ行ったかなー....。」


「くっ....!みーさーげてぇっ!?いってえ?!」


「やめろ。関西人にしか分からんネタはやめろ。」


そして色々著作権とか引っ掛かりそうだから!


「だからって叩かなくても!」


思わず叩いていたらしい。


「お前が悪い。」


「なんだよ!フリだろ!あんなの!」


黙れ。関西人にしか分からんネタでウケるものか。


「聞くが、何故フリだと思った。あ?」


「え、だって急に俺の事探し始めるから。」


キョトンとした顔でさも当然のように言う。


「ふーん。」


目を細め、少し意地悪な顔でこう言ってやった。


「構ってちゃん?」


みるみると友人は顔を赤らめる。


「な!?い、良いだろ!構ってちゃんでも!」


そんな回答が返ってくるとは思わなかった。


「俺、構ってちゃん嫌い。」


「えええ!じゃあ、僕の事も嫌い....?」


途端に主人に叱られた飼い犬のようになる。


「かもな。」


「そんな淡々とした顔で言われたら信じちゃうでしょ!ねえ!?やめてよ!!」


「あ、ごめん 」


「全っ然反省してないな!謝るつもりないな!」


「うん。」


「半分嘘だけど、半分本気なの腹立つう!!」


無言でフードを被ることにした。


「あ、逃げるつもりだな!都合が悪くなったから逃げるつもりだな!」


バレたか。


「そうはさせないからな!!おらあああ!!」


無理やりフードを引っぺ剥がされた。


「止めろよ。」


「いや、今日こそは許さねえからな!!」


「だったら俺とつるむの止めれば?」


しまった。そう思った。


「やだねーーー!!死んでもやだねーー!!」


驚いた。


「子供か。」


救われた。どんなに酷(ひど)いこと言われても挫けず、俺が気を使う必要性をなくしてくれる。友人のそういう所に救われているのだと痛感した。


「そうだよ!子供だよ!まだまだ子供だよ!」


「じゃあ、お子様はもう帰る時間だな。」


「はあ!?」


そっと腕時計を見せる。


「17時だ。そろそろお家に帰って、おまんま食べて、おねんねしなきゃな。」


途端に頬を膨らませる。


「馬鹿にしてるだろ、君。僕は22歳児だ!」


「....。」


そっと再びフードを被ることにした。


「お前はどうして俺と一緒にいるんだ。」


「それは君が好きだからだよ。」


いつもの質問。いつもの回答。


「......。俺はお前のそういうトコ、好きだけど嫌いだ。」


「どういう事?」


キョトンとして友人は尋ねた。


「俺には眩(まぶ)しすぎる。」


この言葉に思わず、といったように友人は眉をひそめた。


「眩しすぎる?」


だから正直に答えた。


「羨ましいよ。」


訝しげにこちらを友人が見るのがわかった。


「よくわからないけれど、眩しがったり、羨ましがったりする必要ってないと思うけど。」


わかっている。でも。


「お前に、俺みたいな奴は相応しくない。」


その言葉に珍しく友人は熱くなったらしく、胸ぐらを掴んできた。当たり前だ。だって、彼の嫌いな言葉のひとつだから。


「君みたいな奴って何だよ!相応しくないって何だよ!僕は僕で、君は君だろ!違って当たり前だろ!優劣なんて存在しない!」


怒りの顔から寂しげで、心配そうな顔に変わった。胸ぐらを掴む手にグッと力が入る。


「全ては選択で決まるんだ。例え他人任せにしてもそれは選択のうちの一つだ。相応しさなんて関係ないし、存在しない。僕は、僕の選択で君の側にいるんだ。」


胸ぐらから手が離れた。その反動で思わずよろめいた。


「でも、君が僕を拒(こば)む選択をするなら、僕は君から離れるよ。君は僕の事どう思っているんだ?本当の事を教えてくれ。」


深淵がこちらを覗き込む。どこまでも堕ちてしまいそうな深い闇が誘ってくる。醜くも、優しくて甘い世界。


俺は近づけない。いや、近づかない。


「......。帰れ。嫌いだ。付きまとうな。」


「わかった。もう付きまとうのは止める。」


酷く傷付いた顔でそう、言われた。


「もう二度と君には近づかない。」


傷付いた友人の顔を見ることが出来なかった。


「親友だと思っていたのは僕だけだったんだな。」


そして立ち去る友人の背を見つめることさえも出来なかった。


「何だよ。クソが。」




こんなにあっさり、彼が離れていくとは思わなかった。






心が哭いている。


溢れる涙を止めることも拭(ぬぐ)うことも出来ず、ただ、大切な"もの"を失った感覚に飲み込まれていく感じがした。




砂が手から溢れ落ちる感覚がわかった気がした。






ー息子から離れてくれないかー


突然そう告げられた時、俺はどんな顔をしていたのだろう。


「息子には然るべき地位を持った女性と婚姻してもらう。だが、君のような存在が息子の近くにいると困る。」


意味がわからなかった。


「俺のような存在、ですか?」


「ああ。君のように息子に懸想(けそう)している存在だ。」


ドクン、と心臓が大きく波打つ。


「俺は......そんなつもりは......。」


ない。本当に?


「バレていないと思ったのか。息子を見る君の視線は友を見るそれではない。」


呼吸が早まる。乱れる。


「息子にはそのような気は一欠片もない。だか、どうやら君の事は好きなようだ。友としてな。」


冷や汗が出てきた。


「友を傷付けないために息子が君を受け入れる可能性はどのくらいだ?」


ヒヤリと身体が底から凍えるような感覚がした。


「どうすれば良いかわかるな。」


動悸が止まらない。手指の感覚がわからない。


「はい。」


気付いたらそう答えていた。




明るい道を進む友人。


暗い道が好きで表舞台が嫌いな自分。


友人には俺みたいな奴は相応しくない。


俺には友人は輝きすぎで、眩しすぎるのだ。




だから決心した。




己の道に友人を巻き込まないことを。


友人を傷付けても離れることを。


仄かに芽生えた気持ちを摘んでしまうことを。




これが俺の選択だった。






ー彼から離れなさいー


父にこう言われた時、腹が立った。何故父にそれを決められなければならないのか。彼と一緒にいるかどうかは僕の選択で、父が選択する必要はない。そう思った。


「彼がどうしてお前と一緒に居るのかわからないのか。」


こう父は言った。


「意味がわかりません。僕が僕の選択で彼の側にいるのと同じです。彼もその選択をしたのでしょう。」


こんな下らないこと聞くなんて馬鹿げている。


「彼の気持ちを聞いたことがあるか。」


「はあ?もしかして父さんは、彼が僕と一緒に居たくないとでも?そんな事......。」


ありえない。そうだろうか。


一度だって僕は彼の気持ちを聞いた事がない。もしかしたら彼は、僕の気持ちに押されているだけかもしれない。


「彼がどんな気持ちでお前の側に居るのか。お前にそれがわかるか?」


わからない。てっきり僕は、彼も僕と同じで一緒に居たいと思ってくれていると思っていた。いや、思い込んでいた。でも。


「ずっと一緒に居た僕ならわかります。彼は僕と一緒に居たいと思っています。」


父は大きく、ため息をついた。


「お前には彼が苦しんでいるとわからないのか。」


「苦しんでいる?」


父は呆れたように首を横にふった。


「彼の気持ちを理解できないなら離れなさい。それが彼のためだ。どちらにしろ共に居るか居ないかの選択を迫られる。」


意味がわからない。本当に。


「何を言って......。」


ああ。本当は気付いている。知っている。




彼の気持ちも。


彼が苦しんでいることも。




でも、僕には......僕にはどうすれば良いかわからない。だからずっとその事実から目を背けてきた。




「どうすれば良いかわかるな。」


わからないから目を背けた。でも違う選択をしよう。


「はい。」


わからないのなら、彼に選択を委ねよう。


例えそれがどんな結果であろうとも、受け入れよう。




彼が僕を望むのなら僕はそれに応える。


彼が僕を拒むのなら僕はそれも受け入れる。




彼の選択を惑わせるようなことはしない。




これが僕の選択だった。






「俺の選択は正しい。」


「僕の選択は正しい。」




そう思っていた。




でも。


"正しい選択"というものは存在するのだろうか。








時間は戻らない。




ゆえに、選択しなかったものはその日、その時、その瞬間に経験した事がないものになる。


選択したものと比べることはおろか、正しいとも、間違ったものとも判断できない。


ゆえに、選択したものが正しいとも判断できない。




死が正しい選択か。


生が正しい選択か。




どちらも正しい。




だって結局、生物の行き着く先は死だから。




生き物は、必ずやって来る死のために生きるのだ。




人の命を救うのが正しい選択か。


人の命を奪うのが正しい選択か。




わからない。




人間は愚かな存在だ。


味噌汁が熱いだけで人を殺せる。


早く死にたいと自害する。


命を救いたいと医療が発展する。


長く生きたいと延命する。




どの考えも否定しようとは思わない。




そう。ただ、選択したものに身を委ねるしかないのだ。








失ったものは戻らない。




器から溢れた水が戻らないように。


手から溢れた砂が戻らないように。




かき集める事はできてもそれは、溢れてしまったものとは同じではない。




何度も何度もかき集める度に塵が混ざり、純粋さを無くしていく。


やがてそれは薄汚いものになる。






一度傷付いたものは元には戻らない。




酷い怪我にあとが残るように。


捻挫が癖付けられるように。




必ずあとが残る。




いくら修復してもそれは完全に前と同じにはならない。


何かの拍子に崩れさってしまう。


何度も繰り返す度にどんどん脆くなる。








ー僕は何て愚かな選択をしたのだろうー


何も考えずこれが正しい選択と信じて疑わなかった。


彼の選択を惑わすまいとして、彼に追求しなかった。


それは彼が苦しんでいると思ったから。その苦しみから解放してあげたいと思ったから。




何て傲慢なのだろう。


何て愚かなのだろう。




そう。僕は......。






ーこれが友人のためだー


友人は俺の苦しみを理解してくれていた。


俺を苦しみから解放しようとした。




俺は友人から離れることで、苦しみから逃れた。友人を傷付けたとしてもこれで良かったのだ。




何て自分勝手なのだろう。


何て愚かなのだろう。




そう。俺は......。






彼とはもう二度と会わない。


友人とはもう道が交わることはない。






どんなに恋しくても。


どんなに後悔しても。




どんなに愛を伝えたくても。






例えどんなに愚かで、傲慢で、自分勝手でも。




これが相手のためになると信じているから。




そう、選択したから。



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