第7話
何もない空間から、笑った声が聞こえてくる。
『これが二頭姉妹の片割れか。あの陰陽師どもの全盛期で退治もできないなんて、どんな
顎を開けていた小鼓音が瞼を小さく反応させた。次の瞬間、鉄骨の数本がくの字に折れ曲がっていく。放つ尾からの一撃によって、廃工場の半分近くが薙ぎ倒される。
『外れですか。ではこちらは?』
今度は違う方向に尾が振るわれる。
敬明が穴から這いだす。先ほどまで捕まっていた二階部分の部屋が、強烈な一薙ぎで全壊になるのを目撃した。小鼓音の着ていた服を引っ掴むと、慌てて四隅の一角へと跳びこむように隠れる。
どこからともなく笑い声が聞こえてくる。
『アハハハハ! 派手だけど、ノーコンじゃ意味ないわね。余裕ぶったプライドごと、鱗を引き剥がしてやるわ!』
工場内が燃え上がるようにして、多量の火球が乱舞しながら飛来する。白大蛇となった小鼓音が被弾を最小限に抑えるべく、巨体を地上で這わせながら回避に徹っしていく。直撃してしまうものもあるが、鋼のような鱗を貫通しきるには威力が足りないようだ。だが、ずっと耐えるには厳しいものがある。
姿の見えない敵に、敬明が焦って頭を抱え込む。息巻いて戦闘に参加しようとしたが、全く役に立っていない。それどころか、先程からずっと足手まといにすらなっている。
「全く加勢になってねーよ、マジでどうすりゃ!?」
時間の流れが止まることなく、戦闘はリアルタイムで進んでいく。屋内で二体のサカが暴れ回るには、余りにも狭すぎる檻でしかないらしい。もともと廃墟同然だった廃工場は老朽化が著しかった。
二体が動き回るたびに、繋ぐボルトのへし折れる音と鉄骨の軋む音が連続で鳴り続ける。
考えろ、焦ってもいいから考えろ。もっと、もっと、なにかないか探せよ!
不意に握り込んでいた鏡が反射して、敬明の目に光が差し込んだ。磨き抜かれて像を映し出すのは、困り顔で情けない自身のものだけだ。いやまて、もしかしてと工場内を反射の要領で鏡の中に流し込む。
じれったさで、急な動きにしたくなるのをぐっと我慢する。こい、こいと願いながら流れる景色のなか、ある一点で鏡の動きにブレーキをかけた。振り返りざま、ありったけの大声を張りあげて叫ぶ。
「小鼓音、クソヤロウが天井の左端で張り付いてるっ!!」
『よくやりました、敬明。小狐、幻術も
巨躯から放たれる大ぶりの一撃が、敬明の指示した場所を根こそぎ薙ぎ払う。外壁が上空を駆け上がるように弾け飛び、巻き込まれるようにして獣の潰れた声が漏れた。
化狐の姿をした千切が景色の同化から剥がれるようにして姿を現す。地面に着地して、口から血を流していく。聞こえてくるのは快楽を貪り尽くす、甘美を味わうかのような声だ。
『ああ、いいわ、とってもいい。楽しい、もっと楽しくしたいわ。ここまで私の幻術を見破られたのは、生れて初めてよ』
泥酔者が語る、呂律がぎりぎりで回っているかのような喋り方をしている。四つの目が紫色に怪しく輝きだす。
『もっと、もっと欲しい。この強者に殺されるか殺せるかわからない、スリルが堪らないわ』
『敬明、今すぐここから逃げなさい。小狐の
ハッハッと、熱く荒く生臭い息が敬明の真横から聞こえてくる。食われると気づけたのは、生存本能のなせる業だったのかもしれない。どこに避ければいいかなんてわからず、ただその場に体を倒しきる。
頭上でギロチンが落ちたような音がした。続けざまに風圧を感じ、白く巨大な物体が通過していく。小鼓音の尾によって千切が勢いよく吹き飛ばされた。だが遠くで何事もなかったかのように着地しきる。ある程度のダメージが入っている筈なのに、興奮が痛みを凌駕しているようだ。一種トランス状態に近いのかもしれない。
『逃がさない、はあ、二人とも必ず食いちぎってやる、はあ、はあ、あはっハハははハはっはハハハ!』
『本性は狂人の類でしたか。敬明、この一帯を全て崩します。走りなさい』
「まじで勘弁してくれ!」
敬明が裏口となる錆びたドアを蹴破って外に脱出する。同時に小鼓音がアメフラシのように、口から毒の雨を撒き散らす。背中から建物の崩れる壮絶な音と衝撃が伝わってきた。荒い呼吸を整えるため、地面に手をつ着ながら振り返る。多量の瓦礫が散乱し、それなりの背丈があったであろう建物が見る影も残っていない。
瓦礫を吹き飛ばすようにして、小鼓音が顔を覗かせた。そのまま一点めがけて躊躇なく尾を叩きつける。打ち込まれた部分を中心にして、様々なものが飛び散る。
『アハハハハ、ハズレェ!』
小鼓音の正面から声が響く。実態を現した千切が、小鼓音の喉元へと盛大に食らいついた。
『アの皮膚は固いでしょう? 刃も矢も通したことがないのは、ささやかな自慢です』
熊の何倍も大きい牙が半分も通らず、涼しい声が夜空に響く。千切は狂ったように噛み付きをとこうとしない。
『小狐、これにて
小鼓音が全身を伸縮させて
呆気にとられている敬明の元まで走ってくると、服を引っ手繰りながら真顔で告げてきた。
「信楽が施した呪いの効果で、本来の力が出せなくなりました」
「ええ!?」
「制限を受けている、今のアでは勝てません。逃げます」
締め上げられかけた千切も敬明と同じだったらしく、しばらくその場から動かなかった。数秒して持ち直したらしい、恐ろしいほどの怒鳴り声が聞こえてきだす。
『ふざけるな、途中で終わりなんて許さないぃいいいいっ!!』
もはや隠す気もないらしく、空中でいくつもの火球が踊り舞う。数は少ないが、一つ一つが普段放たれてくるものより規模が大きい。敬明が遮蔽物となる廃車を見つけ、千切を背にするようにして小鼓音を引っ張り込む。続けざまに寄りかかっていた車が激しく揺れる。火球が当たるたびに、原型を留めていない車のボディが、ひしゃげるようにして削られていく。小鼓音が服を着込みながら、溜息を吐く。
「見境無しですね。人目を憚ることなく、灯りをはべらせるとは」
「小鼓音だって、工場破壊してるじゃん」
「アが小狐を引き付けます。後で追いつきますから、隙を見て離脱してください」
「流すのね……、悪いけど小鼓音の提案はなしで。さっきだって二人だからあいつを追い込めたんだ。考える時間をくれよ、なんとかしてみせるから」
小鼓音が一つ笑って見せる。
「良い覚悟です。稼げる時は三分ていど、非の打ちどころがない答えを期待していますよ」
「ああ、出来るだけは頑張る」
敬明が笑って返すと、さことが車の側面から飛び出すようにして走り出す。千切が舌を垂らしながら、動きを見逃す事なく追従していく。
『アハハアハ、出た、出てきた! そうこなくっちゃ、新しい日が差すまで時間はたっぷりあるんだから!』
「気の触れた者に付き合う気はありませんよ。予告した通り、首を撥ねてあげましょう」
千切の体が掻き消え、三分の時間稼ぎが始まる。小鼓音が耐えている間に敬明が知恵を絞る。なにか手はないかと、ここまできた一連の流れを思い返す。
握り込む八角の銅鏡に二度も助けられた。一回目はかけられた幻術を破るために。二回目は視認できない像を写し込むために。この鏡は揺るぎない万能の力を持っている。使い方次第で、必ず打開策を講じきれるはずだ。
ただし使用者がへっぽこではどうしようもない。だから脳の一部が焼き切れるような想いで、前方を見据える。千切が少しずつ逃げる小鼓音を追い詰めていく。
『つまらない、ああつまらない。さっきまでの威勢はどこにいったのよ、毒も腕力も脚力もない、大蛇にもならないじゃない。興ざめ、興ざめよ』
冷めた声が響き、振り下ろされた五本の爪が小鼓音の足に引っかかる。少し触れただけで小鼓音の太腿が裂けた。小鼓音がバク転したまま、両手で地面を押す。腕力で跳躍距離を伸ばして逃げ続けていく。
『なーによ、白蛇。そっちも枷がかかってんじゃない。チッ陰陽師系の奴は、本当に碌なのがいないわね。私から楽しみを奪うんじゃないわよ』
敬明が歯を食いしばりながら、小鼓音の傷を負った部分を遠巻きに眺める。不意に、前に二人で話したことを思い出す。
――これは信楽から受けた呪いです。サカは人の型をとっていますが、また違う姿になれるのです。アがかかっている呪いは姿を長時間変えることを禁じたものですね。
あった。そうだ、幻術を切って効果を打ち消すなら、もしかして呪いも切れるのではないだろうか。
「小鼓音、こっちに来てくれ!」
「無茶を言ってくれますね。全く世話の焼ける子です」
小鼓音が敬明に向かって駆け出す。追従するようにして、千切が口を全開にする。剣山の牙が真っ直ぐに突っ込んでくる。
チャンスは一度、試す時間もない。一か八か、心から叫ぶ。
「おっさんのかけた呪い、これで全部チャラだ!」
『あらぁ、鏡を味方に向けてどうするっていう――
スパンッ! と、鏡の中心から発生した細い線の光が、小鼓音の太腿を真っ二つに両断した。
「上出来です、敬明」
逃げていた小鼓音が振り返りざま、腕を横へ鋭く一閃する。千切の鼻部分から目元あたりまでを切り裂く。反撃を予想していなかった狐のサカが悲鳴を上げた。
小鼓音が敬明の隣まで走り切ると、白髪を靡かせながら半回転して姿勢を整える。次に来る千切の出方を確認すると、当の本人は狐の姿をといていた。人型に戻る様子を観察しながら小鼓音が目を鋭くする。
「敬明、小狐はだいぶ体力が尽きたようです。おそらく今夜はもう、変身するだけの余力が残っていないでしょう。しかし人の身なりでも、最初のように暴れまわることは可能です」
「あれだけ出来たら、でかい狐の時とほとんど変わんないじゃん。どっちにしろまずいでしょ」
説明を受けた敬明が、緊張から再び鏡を握り込む。下を向いていた千切が顔を振り上げた。
「あは、あはははは、なにそれ、すごいじゃないっ!? 呪いを消し飛ばせるなんて聞いたことない、これなら六道心の
千切が両手で、自身の肩を掴むようにして笑う。狂ったようにけたけたと。一しきりの行為を終えたようにして歓喜の顔を敬明に向けた。酷く機嫌がいい。つきものが落ちたように穢れなく清々しい表情だ。
いや、眉唾だ。後ろに隠れている本当の姿は、
「さあさあ、たかあきちゃん。今日は大盤振る舞いよ、女の恥部をさらしてあげる。対価として見えた呪いの痣を解いてちょうだい。この程度、たかあきちゃんなら簡単でしょう?」
ガラスが白熱して鈍く溶け出すような、妖艶の光を目から放つ。千切は自身が解呪で得られるであろう、縛りのない自由に焦がれている。
「私はサカとか天眼は殺せても、人間を殺せないのよ。一人でも殺せば、埋め込まれた呪いに食い殺される」
見えるでしょうと、胸の左寄りに墨で刺し込まれた一文字。記号らしきものを敬明に示す。小鼓音が遮るように前に立ち、ひどく得意げに
「良いでしょう、これ。アが先に見つけたのですよ? でですね、汚い雌の小狐風情ごときにです。お気に入りを取られたり、傷物にされては困る。これは、全部アのものです」
「いや違うし」
小鼓音の言い分に敬明が突っこみをいれてしまう。耳をそばだてていた千切が、両の頬を上気させながら喋りだす。
「だったら私のものになりなさい。たかあきちゃんの寿命が果てるまで、ずっと可愛がってあげる」
「嘘つけよ」
口元で見え隠れする歯が、まるでトラバサミを連想させる。瓦礫の山を背にして陽気な千切に対し、小鼓音が腕を変化させていく。鋭利に尖る爪を並べ立てながら、再び傷一つない真新しく白い鱗が形成された。
「小狐、望み通りにもう一戦してさしあげましょう。アの勝ちは揺るぎません、次は完全に臓物を体中の穴から取り出してあげます」
「蛇にはもう興味ないわ、私はたかあきちゃんが欲しいだけ。邪魔するなら排除するだけよ。わかったら、とっととそこをど――
千切の背後からそれは突然に現れた。満身創痍から来るナチュラルハイのせいで、気づけなかったのかもしれない。怒髪天の形相をした杜崎が、ドロップキックを千切の腹部へと見舞う。プロレスラーファンが喜びそうな綺麗な一撃を食らい、全裸の人間が一回転して後方に吹き飛んだ。
「誰もかれも身勝手ばっかり! 本来、その立ち位置は私の筈でしょうが!?」
「綾子、どういうつもり!?」
「うっさいわね、
まさかの仲間から受けた不意打ちに、千切が手で脇腹を抑えつつ叫ぶ。杜崎は中指を立てながら、眉間にしわを寄せてやけくそ気味に喚く。
「なに勝手に先行して話進めてんのよ! 一緒に動く取り決めを破った挙句、一般人への被害、住居の火災、私有地への不法占拠及び器物破損! 穏便に都合がつきそうだったのに、全部台無しじゃない! この後の収集つけんの、あんたがやりなさいよ! 始末書、お詫び行脚に最後のけつもちまで!」
ご立腹のからの仁王立ちに、火を噴きそうなほどの勢いがある。遅れて辿りついた加賀野が、僕は赤の他人ですといった顔をしていた。関わりたくないですといった表情が、ありありと浮かんでいる。
「なにいってるのよ、ここに人間は綾子だけじゃない。たかあきちゃんは天眼なんだから、別に捕縛したって問題ないでしょう?」
「馬鹿も休み休みにしなさい、彼は一般人よ! この前会ったときに霞と確認済みに決まってるじゃない!」
「嘘よ。だってそれじゃ、天眼の力を行使できた説明がつかない!?」
混乱する千切をからかうように、小鼓音が敬明に寄りかかった。面白がるようにして、正解を教えてやる。
「嘘じゃありませんよ。無知で無恥で無智な小狐に、良いことを教えてあげます。敬明は間違いなく人間ですよ、特別なのは魂のみ。敬明が呪いを切れたのは、敬明の魂だけに反応する専用の道具があるからです」
「関係ないわ、どっちだって構わない。私は欲しい、今すぐに!」
千切が動こうとして一歩を踏み出すと、加賀野が小鼓音と敬明を庇うようにして間に入る。明らかな敵対行為へ千切が眉間に
「千切、既に俺らの方が悪い立場にあるのよ。なんでこっちから手をだしてんの? どうせまた、やんなくても良い挑発したんでしょ」
「私は確かにかに一度の確認をしたわよ。取り決めを破った覚えはないわね」
「引く気はないと。じゃあ、四対一で勝てる見込みがあるならどうぞ?」
綾子さんは怒らせない方がいいよと、加賀野が諭すようにいう。しばしの時間、全員が固まったように動かなかった。千切が不利を悟ったらしく、戦意をといて嬉しそうに笑う。
「たかあきちゃん、また別の機会に会いましょうね。私はしつこいわよ?」
千切の体が沈み込むようにして、景色へと溶け込んでいく。顔へ翳していた手を離すと、ほぼ全てが消失した。最後は楽しそうに手を振ると、それも同化していった。今回の騒動を起こした元凶が去ると、杜崎が土下座して謝りだす。
「お怪我させたこと、ご迷惑をおかけしたこと、本当に申し訳ありません!!」
敬明が吃驚して、余りの勢いに一歩引いてしまう。小鼓音は見下げるような視線だけを向けていた。
「いやちょっと待ってくださいよ。確かに酷い目にあったけど、別に杜崎さんからなにか受けたわけじゃないし」
「甘いですね、敬明。ここまでされたのです、落としどころは必要でしょう」
「気持ちはわかるけど、それはあいつにさせるべき――
敬明の視界が逆さまになって、耳に何も音が入ってこない。腕を動かそうとする前に、テレビの電源を落としたようにして、何も見えなくなった。
セカンド・Cycle・サード 蒸し芋 @raporuto
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