セカンド・Cycle・サード

蒸し芋

第1話


 夢をみている。

 後姿だけ見える少女が、みずからの血を全身にかぶって死んでいた。

 くつ先の鳴る音が一つだけ。広がる血だまりをみつけるようにして、煙草を加えた男が死体を見下ろしている。白い雲を口から吐きだしながら、確実にやれたかチェックしているのだ。

 残酷ざんこくな現場を遠巻きに眺めている三人目の男は、あごをしゃくって近くにいた荒銀あらがね 敬明たかあきに問う。

 なあ、遠くない未来に起こることなんだが。なんとかしてくれないか?

 怖気ずくこともなく、敬明は間髪入れずに聞き返した。

 「どうすれば、助けられる」と。


     ◇


 この世には限られた人間にしか、開けられない場所がいくつも存在する。例えば近所のお店のスタッフルーム、あれは店の関係者しか開けてはいけない。自宅にある玄関のドアの鍵、これは家族かそれに近い者しかあつかえない。個人だけがもつ大事な金庫、それは本人にしか開けられない。

 敬明たかあきたましいは特別なかぎだ。当人にしか開けられないものが、いくつも存在する。今回は夢でお願いされた人助けのために、わけもわからないまま初めて自身の力を行使した。

 よって、わけもわからないまま敵に囲まれていた。

 人気のない山の森深い場所では、助けなどくるはずもない。周りにいるのは一人ではなく一体、一体ではなく八体。人ではないし、生き物ですらない。

 微かな金属音がいびつに鳴り、冷えた無機質がするどさを放つ。胴体内で巻かれるバネらしきものが、歯車のきしむ音がする。全身甲冑ぜんしんかっちゅうをまとったカラクリ式らしき武者が、こちらを底なしに暗いくぼみで見ていた。

 目は無い。目の変わりになるようなものも見当たらない。だが、向こうの意識は、明らかにこちらもとらえている。両手でたずさえている、人間をなます切りできそうな大太刀おおたちが鈍い輝きを放つ。

 街中で見れば、ハローウィンであっても逃げたくなる。

 そんな身の丈にして二メートル弱ありそうな強固な規格外の集団は、現在にして圧倒的不利な状態になっていた。

 巨大なしめなわがのたうつようにして、はっていた地面から飛び上がる。カラクリ武者が一刀両断に切ろうとするが、やいばが一ミリも食い込まない。逆にはがねのようなうろこにおおわれた巨大な尾、それが上からすり潰すようにして踏みつけにしてしまう。

 ズシンッ!! と激しく地面をゆらす反動に、えぐれた土がホコリをまき散らす。

 サメの歯のように並んでいる口元を大きく広げきると、あっという間に二体目のどう体に噛みつく。持ち上げてから散々に空中でふり回すと、ちぎれたカラクリ武者の下半身があさっての方向へと投げ捨てられた。ちぎれた上半身を吐き捨てて、縦に連なった二つ目の大蛇がごきげんそうな声で笑う。

『あくびが出てしまいますね。いくらおもちゃをあつらえられても、わたしの寝覚めをあやすには物足りません』

 少女と動物の合成音のような声だ。残りのカラクリ武者達が油断なく構えをとる。もはや最初に処断しようとした敬明のことなど、眼中にないらしい。さっきから尻餅をつきっぱなしだった。ずっと前から路傍の石でも扱うかのように、大太刀の切っ先が離れている。標的は大捕り物となる大蛇の一点のみ。

「なあ、おっさん。これって、俺が助ける必要あったのかよ……」

 夢に見せられた光景がうその様だ。きげんよく暴れ回るくじらみたいな化物を見て、敬明は呆れしか呟けない。三日前に見せられた夢は、一体なんだったのか。

 鉄クズのスクラップは勢いよく増えていく。反対にカラクリ武者は、どんどんと仲間の数を減らしていく。

 大蛇はカラクリ武者の二体を長い体でぐるりと囲い込む。瞬間、釣竿のリールを巻くようにしてとぐろをつくる。嫌な音が連続で鳴り響く。魚のように一本釣りされた二体は、中身の骨格にいたるまでを粉々にされた。

 考えられる生き物なら、ここで格上とわかりひるんで逃げだすだろう。しかし、カラクリ武者に心は存在しなそうだ。残った四体はかまえをとかず、突撃しか選べないようだった。

 ふいに、大蛇の顔がぐるりと敬明のほうを向く。縦に長い眼が二つ、口を開けて先の割れた舌を出しながら喋る。気さくに話しかけるさまは、一時の殺ばつさを忘れさせた。

『ああ、そうそう。信楽しんらくからことづてを預かっていました。なんでも、まぬけにアの後始末を任せるだとか』

 まぬけとは誰を指すのか、後始末とはどういう意味か。

「誰がまぬけだよ、あのおっさん」

 敬明がつぶやくや、もうれつな砂ぼこりと騒がしい音にかき消された。


     ◇


 敬明はここ最近として、ふらふらとさまよう夢を見る時がある。ぼやけた視界の中を歩くと、万華鏡まんげきょうのようにどの方向でも見える、木のはりと白いしっくいのかべ。ふすまは障子の戸で区切られ、まるで武家かお化け屋敷の中を歩いているようだ。

 あたりは暗い。

 左右に続く柱には、申し訳ていどにろうそくの火が灯る。一〇メートル先からは晴れない心のように、くすんだ景色が続くばかり。またかよと思うのは、いつものこと。

 この不思議な迷路はあてもなく先を歩いているようで、おのずと正解の通りをたどっているのだ。やがて見える前方左側の障子の戸がずれ、きしんだ音を立てた。

 少し毛の深い腕が、ぬっと廊下に向かってはえてくる。敬明はいったん歩調をゆるめると半眼で見すえ、かわいた笑いを浮かべながら近づいていく。のんびり手招きをよこすさまにあきれ、少し開いていた障子の戸をさらに横へと引いた。

 六畳もないほどのうす暗い室内では、無精ひげを生やした壮年の男が茶をすする。ぼろの袈裟けさを着てノミでも跳んでいそうなあたり、生臭坊主なまぐさぼうずと呼ばれても全く問題がなさそうだ。

 この風体の男にも名があり、から 信楽しんらくと呼ばれていた。手前には敬明の茶も用意されている。信楽がのんきな様子であごをしゃくり、軽い口調で報告をうながす。

「まあ座れや。やっこさん、ごぶさただったかね?」

「おいおっさん、話ちげーし。どういうことだよ? あいつ、小鼓音さことのやつ大暴れして、カラクリ武者の化物を全部ぶっこわしちまったぞ」

 敬明が文句を垂れながら座り込む。小鼓音とは敬明の前で暴れまわっていた、白い縦に二つ目の大蛇のことだ。

「はて、そんなものを用意した覚えはないが。あ~、さてはあいつか。用心深いのは良いことだが、危うくワシを殺すところだったじゃないか」

「あいつって誰だよ。つうかワシじゃねえよ、殺されかけたの俺だし」

「いや、お主はワシの来世だろう。つまりはワシだな」

「だから違うだろ、ふざけんなよ」

 敬明はあぐらを両の腕でつかみ込むと、間を空けずに文句をまくしたてていく。信楽は相づちをうちながら茶をすする。

「おっさん、あの少女を助けたいかって聞いたよな。ガワは確かに女の子だったよ、最初だけな。なんだよあれ、変身したら大蛇じゃねーか、俺まったくいらねーじゃん。あのカラクリ武者の前じゃ、全く役にたたないし」

 いら立ちながら抗議し、ズビィと音を立てて茶を飲み干す。怒りは収まらず、頭の前を思い切りかく。ヒートアップしていることに、本人は気づかず貧乏ゆすりが始まっている。

「しかもよくよく話を聞きゃ、昔におっさんが封印したらしいじゃねぇか。目が合っただけで言われたよ、三〇万日ぶりですねとか。おっさん、どんだけ恨まれてんだよ?」

「おなごのしっと深さは怖いというが。なるほど、八〇〇年そこらも覚えられてるのは、まさに男冥利おとこみょうりだ」

 信楽は楽しそうにひざを叩き、飲みきった器を畳に置く。笑ってんじゃねぇよと、敬明は恨めしそうに吐きすてた。

「しかも俺を見てまぬけって言ってたよ。これは当時のあんたが、俺に伝えとけってことらしいし。それって、どういうことだよ?」

「封印を解くのはワシの魂でしかできぬと伝えたら、蛇がいくときでも待つといったのだ。ご免こうむりたいので、のちに解くまぬけがいたら任せることにした」

「おっさんが俺に開けさせたじゃねえか。おい、舌だしながら、しまったじゃねえよ」

 信楽が自身の額を平手で鳴らす。

 どうせ夢の中での出来事だ、知ったことか。

 敬明は持っていた器を横へ投げ飛ばした。障子を突き破って見えなくなり、割れる音も一切しない。部屋の外はシンメトリになっており、廊下を挟んで同じつくりの障子部屋があるはずだ。おもしろ空間の構造に、思わず開けた障子の穴を凝視してしまう。

 見える範囲に変化はない。信楽がわざとらしくせきを打って、ほつれた話を戻す。

「まあだ。敬明のしたことは大きいぞ。ワシが見せた血ぬれの男は、蛇よりも強いからの」

「えー、まじで? いや、それもあるけど。本命になってんのはカラクリ武者じゃなくて、男の方だとしてもさ。はっきり言って、俺じゃなんの役にも立たねえよ」

 敬明でなかったとしても、誰がギャアギャア怪獣大決戦のような場へ混じりたいと思うのか。二メートル以上の高身長をともなったカラクリ武者、刃物が一切通じない白大蛇。片方に狙われただけで、とても生きていられないだろう。

 信楽に頼まれたことを思い出す。血ぬれの男は更に強く、白大蛇である小鼓音を殺していた。

ごうは蛇に頼めばいいだろうて、じゅうは敬明だな。しかしだ、もっとふかんして核を見定めてみよ」

「どういう意味ッスか?」

「男が蛇を殺すためには封印を解く必要性がある。そのためにはワシの魂が必要だ。後はまあ、考えるまでもあるまいに」

 全身にぞっとしない悪寒が走る。何らかの理由があって小鼓音を殺すには、まず封印を解かなければならない。必要なのは信楽の魂、すなわち敬明の体だ。

「じゃあ、結局なにもしなくても、俺は巻き込まれてたってことなの……」

「ほどなくな。ワシが主に見せたのは、一種の予知だ。先に男の足元で転がってた者のが違ってても、まあおかしくはなかろうさな」

 信楽は首を鳴らしながら、目を細めていく。場に軽い緊張感が生まれていく。

「ところで敬明はよく生きてここにこれたな?」

「それだよそれ、おっさんのせいで殺されかけたよ」

 敬明は小鼓音との出会いを反すうするように思い出す。身がすくみ、冷や汗がみけんの辺りから垂れ下がる。

 当時が人型へと戻った小鼓音から仰向けに張り倒され、両腕を踏まれながら馬乗りされたのだ。顔を隙間なく詰められれば、縦に割れた黄色く光る二つの眼が空恐ろしい。

「言われたよ。眼の奥におっさんの魂が混じってるってな。面白いからしばらく生かすだとさ。そんでもって、契約させられた」

「契約?」

「アの名は小鼓音さことといいます。敬明の魂のみ価値は尊く、尊いがゆえに狙われる。しかして三つの約束を守れば、アが貴方を護ってしんぜましょう。

 一つ、アに謹厳きんげんを尽くすこと

 一つ、アに衣食住を施すこと

 一つ、アに今世のことわりを説くこと

 以上が、アからの交換条件です。どうでしょう、破格の待遇ですよ。なにせ、時の執権北条氏さえも、アの討伐をあきらめたのですから。だとさ」

 信楽が眼を丸くした後で、大笑いしだす。腹がよじれたらしく、畳を叩いていた手でさすっていく。敬明は他人事じゃねーかと、相変わらずの呆れた視線だけを向けた。一しきり場が落ち着くと、信楽は飲み干した湯飲みを持ち上げて逆さに置きなおした。

 毎回の話し合いだが、この動作が話のお開きとなる合図と化している。初めてのときは互いを認識し合うだけで、かなりの時間を浪費した。今回はスムーズに終わりが近づく。

「血ぬれの男が来るまで、ゆうよはそれほどない。努々用心ゆめゆめようじんに勤めることだな。蛇とはよく話し合っておくことだ」

「もちろん相談するよ。話してみたら、割と脳筋じゃなかったしな」

「それは僥倖ぎょうこう

 信楽が突然に自身の膝を叩く。なにか思い出したらしく、両手で輪型を作る。

「これくらいのな、鏡をついでに収めておいたのだが。蛇が封印された近くに落ちてなかったか?」

「さびの酷い八角やすみの金属版だろ。小鼓音にふところへ、後生大事に持ってろっていわれたよ」

「金言だな。言われた通りにしておくが吉だ」

 単なるガラクタじゃん。なんの意味があるんだと思うが、小鼓音と信楽がいうのならばもっておくしかない。敬明はため息を吐きつつ、しょうがなく意見を受け入れた。

「そういやさ、おっさんとはあと何回くらい顔合わせすることになんの?」

 質問された信楽はぼりぼりとあごをかきながら考え込む。三本の指が無精ひげの一本ずつをオルゴールの針のように引っ掛け続ける。数秒経つと、気の抜けた返事だけが返ってきた。

「この数奇なたわむれも先は短い。ざんしに過ぎぬゆえ、いずれ消える運命だ。ふむ、会えてあと一回といったところか。らんちき騒ぎが終わったら、また会うとしよう」

 ふっと煙が如く、信楽の体がかき消えた。


      ◇


 薄暗く静かな部屋で乾いた音が鳴る。

 初老の女性は動かしていた筆を止め、左手の指先で確かめるように後頭部をなぞる。原因は木でできたかんざしに、ひびが入ったものだとわかった。

女性は二重の意味で驚きを隠せずに困惑した。これから荒事が始まる。内心での喜びと一つのため息をついて、机の上にある鈴の玉を鳴らす。

大僧正だいそうじょう、お呼びでしょうか」

 部屋の外で待機していた側付きが、障子の戸を引いて伏目がちに顔を覗かせる。

「代々と厳重に閉じていた封が、一つ破られました。調査を含め、至急手練れの者たちを送ります」

「承知いたしました。どの者をお呼び致しますか?」

 女性は胸に指をあてながら、数秒を思考して答えを出した。半端な者をさしむけてたところで返り討ちにあうだろう。なにかあった時に化者サカと呼ばれる人外の生死を問うことは、度外視すべきだと。

千切ちぎりをここへ、警察のれいへも要請を」

「お言葉ですが、あれは感情に正直すぎます。零課の者とは違い、周りへの配慮には欠けておりますが」

「相手は安倍晴明が生きていた時代に暴れていた、二頭姉妹と呼ばれる化者サカの片割れです。今よりもが化者サカがばっこしていた時代、晴明のちの最も力のあった陰陽師たちが封印しかできなかったのです。この意味、貴方ならわかりますね」

 暗に考え直してほしいと言った、側付きの目じりが引きつる。ことの大きさを見あやまっていたと、手を床について一礼のちに障子を静かに閉めた。歩く音が遠ざかっていくのを聞いていた女性は、肩の辺りを軽く叩く。ここから数週間は、累卵るいらんの危うき日が続きそうだと予感して。

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