モンスターウイルス

ポンコツ・サイシン

第一章 怪物退治①

第一章 怪物退治




 多くのビルが並立する都市の一角――。

 そこに一際高い建造物があった。

 灰色に光る太い大きな杭のような高層ビルが、暗雲の立ち込める天蓋を穿つように堂々とそびえ立つ。

 その建物の前の広場に、二人の男女が一台のバイクを挟むようにして立っていた。

 一見、バイクには車輪が存在せず、ハンドルとシート下部の機械の下にあるスタンドによって車体は支えられているようだった。

「今日はこの人数か……」

 濃紺色の防護スーツを纏った女性が力なき声で呟いた。

 女の視線の先には広場の中央を、列を成して歩く老若男女がいた。質素な装いで首には紫色の痣を作り、ビルの裏側へと入っていく。

 黒いローブを着た男は、列を眺めながら「素晴らしい……」とため息混じりに、

「これこそ日頃の精進の賜物でしょう、ロシリー殿。怪物化するという例のウイルス。暴れるより先に捕らえ、被害が拡大するよりは、十分ましな方だと思いますが」

 男は相対する紺色のスーツの女、ロシリーの横顔をそっと見つめた。

 金色に煌めくセミロング。前髪は額の中央で切り揃えられ、どこかあどけなさのある顔を華やかに飾りつける紺碧の瞳は宝石のようでもあるが、今は一心に列に見入っているようだった。

「何か気がかりなことでも? ロシリー殿……」

 ロシリーはローブの男に問われ瞑目すると列から顔を背け、無言を保つ。

 男はその様子にこう言葉を添えた。

「私たちの感染は、数ヵ月前のワクチン接種でなんとかなっています。それでも感染する確率はゼロというわけではありませんが、主な感染源は血液によるものと言われていますし、気をつけていれば何とかなるかと……」

 ロシリーの無言が、男にはウイルスによる懸念からのものと思っていた。ロシリーは小さくかぶりを振り、

「いや、心配事であるのは間違いないよ、ゼス殿。だが、あの列の中に子供がいるのが気になってな……。これからあの施設で治療を強制させられると思うと、見るに耐えんのだ」

 ロシリーは再び列に視線を戻した。ローブの男、ゼスもそれに吊られ列を凝視する。

 感染者には開発途上の薬物を投与される。副作用もひどいらしく、強い眠気や嘔吐、発熱などの症状が生じ、まるで監獄で過ごすような日々が待っているという。

「確かに子供となると、私も同情せずにはいられません。しかし、半年前に発生したウイルスによる被害は、その過酷な治療やワクチンの接種があってこそ最小限に留められていると言われています」

 ゼスは静かに言いつつ、目前を行く列を見つめ直す。

 それはロシリーの青い瞳の先にあるものと同じだったに違いない。ロシリーのその瞳の奥には感情の起伏がないようだったものの、これまでの台詞からいって、憂いの感情を含ませているようにゼスは感じていた。

「確かにモンスター化するという恐怖は、粗暴なここの住人たちにとっても、厄介なことなのでしょう……。ですが我々の使命は彼らの救済と、暴徒やモンスターの始末にあり、そうした結果は、ロシリー殿にとって厭わしむことではあるかもしれません……」

 と言いかけたところで、ロシリーが一言遮った。

「厭わしんでなどいない……」

「憐れんで……」

「憐れんでなどいない……」

「不憫におも……」

「不憫に思ってなどいない……」

「てってっ……」ゼスは口をつぐんだ。

 ロシリーの表情はいつも硬い。こうして見抜いたように思えても、同意することもままならない彼女の胸中とはいかばかりか。ゼスはこれまでロシリーと行動を共にしてきて、彼女の極めて無機的な表情に興味を抱いていた。

 もっとも、こうして心を垣間見ようとすれば、ロシリーからの強固な意思表示は、それ以上の追求を阻む。

 ゼスとしては、ロシリーの平坦な顔色の理由を内心、理解しているつもりでいた。

 それはこの街を治める治安部隊、ゲノフ騎士団の日頃の活動から見ても、そうした感情の欠落はやむを得ないと思っていたからだった。

「まあでも、私はロシリー殿のお気持ちを察しているつもりです」言ってゼスは首肯した。

「ゲノフのやり方は、彼らの自由を奪っているとみても間違いではないでしょう。子供の夢さえ奪うのです。もはや以前の時代のような自由奔放な生活というものは人々の間にはないのでしょうな……。しかし……」

 ゼスは首を小さく振り、

「私たちの仕事は、それしかありません。欲望を制御するのは、今の時代仕方のないことなのです。私たちはゲノフの直属の組織にいる、いわば選ばれた人間です。各個人の欲望を抑えることで、人はみな等しく生きていられるのですから……」

 ロシリーはゼスに視線を向けた。

「ゼス殿が言うように、私にだって彼らに同情する気持ちくらいはある。だが……」

 ゼスはじっとロシリーの横顔を見つめ、彼女の声に聞き入った。

「そんなものは捨て置かなければならない。それもこんな時代だから、こんな世界だからだ……」

「その通りです」ゼスは深く顎を引いた。

 耳に装着している無線に通信が入った。二人は音声に耳を傾ける。

「西地区に未確認生物を確認。例のウイルスによるものかと思われる。急行せよ」

 二人は首元にずらしていたゴーグルを目の前に被せた。ゴーグルは両目から耳と後頭部を覆い、通信も可能で、耳の小型無線機とワンセットになっている。

 ゼスとロシリーは、バイクに跨がり現場へと向かった。

 ひび割れた道路の上をゼスとロシリーを乗せたバイクが走る。

 走行中のバイクは、タイヤの代わりに、円形状の光を発して空中を滑走する。

 ゼスが固有の回線でロシリーに話しかける。

「ロシリー殿の世代『ニューエイジ』専用の車種……。私には『光の力』というもので操作するといわれるこの乗り物がどうも異次元のものに思えてならないのです……」

「私たちにとっては、ゼス殿の世代の人たちが乗る電動バイクの操作方法とたいして変わりはないと思っているのだが……」

 車輪の存在しない特殊なこのバイクのシートの下には、エンジンの代わりに、ニューエイジという世代が扱う光の力をバイクの動力源として変換できる機械があった。

 かつて人々の体内に観測されてきた、微小な光子を、意図的に操ることを目的とした研究が行われてきた。やがてニューエイジと名付けるにふさわしい、特殊な人種が誕生した。光子をその肉体を通じて外へと放出させることで、光子に電子を付加させることが可能となったのだ。電子とは原子を作り上げる原子核との電磁相互作用によってできるものだ。原子や電子、電磁相互作用などは、古くから人間の体を形作る物質として認められてきたが、″光の力″とは体内の光子を、意図的に多く体外へ放出、電子との束縛状態になることを意味する。そしてそれはこの場合、ニューエイジのみ携行する銃器や、バイク、剣の柄などといった武器や機器――変換器――を通すことで、それぞれの用途に見合った状態に変化させることをいう。

 ゼスがバイクの後部座席にまたがりながら周囲に目を向けた。

 窓ガラスもほとんどない高層ビル群が林立する。中には傾きかけたビルもある。

 二人を乗せたバイクが街中を滑走していく。

 時おり、目的地と思われる場所から逃げてくる住民を見かける。

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