現実からの逃避

綿麻きぬ

現実逃避

 僕は今、朝の混雑した駅のホームに立っていて、これから会社に出勤する。


 周りにはイヤホンをした人、スマホをいじっている人、何もしていない人、様々な人がいる。そんな中、僕は列の先頭に並んでいる。飛ぶタイミングを見計らいながら。


 不意打ちでアナウンスが鳴り響く。今日こそ飛ぼうと思い、足を前に出そうとする。けれど体はいつもと同じように動かない。


 そして電車はこれまたいつもと同じように駅に停車する。普段と同じように周りの波に呑まれて僕も電車の中に入る。


 電車の中は混雑している。汗の匂いが充満し、空気が蒸し暑い。


 少し落ち着いた僕はふと子供の頃、電車が悪魔のように見えたことを思い出した。


 それは同じような大人たちが同じような電車に同じように吸い込まれて行って、どこかへ運ばれていくことに。


 子供のころの僕はそれが異常に怖かった。まるで死へ誘う悪魔のようで。その大人たちはまるで個性がなく、いささか怖かった。


 そんな大人になりたくない、と思いつつも今の僕はそんな大人だ。


 個性など潰されて、努力など無駄になり、夢などただの空想で。


 あぁ、個性など元からなかったんだ。


 あぁ、努力なんてしてなかったんだ。


 あぁ、夢など見てなかったんだ。


 そう思い込んで、自分を責めて、なんとかなんとか自分を保ってた。


 そんなときにさ、友達から言われたんだよ。


「おかしくないか、そんなの。自分を殺してまでの現実なんて異常だよ」


 知ってるよ、知ってるよ、でも、でも、それでも僕は、僕は、何を求めている?


 その疑問が脳裏に横切ったその時、会社の最寄り駅に着いた。そして僕はいつものように駅に降りた。


 だけど降りてから、僕の足は動かなった。周りの人間は動くが僕は動かない。


 あぁ、答えが見えた。


 僕はこの現実からの解放を求めている。


 こんな子供のころに夢見させられた現実などないこの現実から。


 アナウンスが流れた。


 僕は分かる、今飛べることを。


 僕は勢いよく足で地面を蹴った。


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現実からの逃避 綿麻きぬ @wataasa_kinu

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