その駅

@and25

その駅

 その駅の四方は海にえぐられ、むき出しの土と雑草ばかりが広がっていた。あちこちに片付け切れない車体や家財の残骸が積み上げられていた。それでも、その路線は既に復旧し、麻子は震災からおよそ半年を経て、初めて訪れた。そして、実家のあった場所とその周辺を見定め、あまり時間をかけずに帰路につくため、再び駅のホームに入ったところであった。海は灰色だった。天候はあまり良くなかった。

 実家とはいっても両親は既に亡く、ただ一人の姉は神戸辺りにいるらしいが、麻子との連絡を取り合うことはなかった。

 麻子は腕時計を見た。次の列車の時刻まではまだまだ間があった。少し歩けば高台の方に『復興商店街』がつくられていることは知っていたが、わざわざ足を運ぶ気にはなれなかった。高校卒業後東京に出て30年近く、ほとんど帰省することもなかった。この町がこんな形で破壊されてしまう以前から、自分には、よそよそしく、何ら感興を呼び起こすものはなかった。

 麻子はもう一度時計を見やり、海を眺めた。その時だった。駅に向かう道を上ってくる一人の男に麻子は気付いた。こうも周りの景色が止まっていると、動いているものに自然に集中力が働く。見るともなく目で追っているうちに、麻子は「あっ」と小さく声を上げた。

「森君? 森君じゃないの?」

 太い眉、丸い健康そうな顔、小柄だが丈夫そうな体つきは昔のままだった。

 森は名前を呼ばれ、不思議そうにホームに上がって来たが、麻子の顔をまじまじと見て、ようやく「麻ち? そういえば麻ちによく似てる」と笑顔を見せた。昔と同じ、ニカッとした笑い方だった。

「似てるって、本人だもの。何年ぶりだろう?」

 自分の声が弾んでいることに麻子は気付いた。

「大変だったね。森君が消防士になったのは、町の広報で見て知ってたよ」

 それから、麻子は聞かれもしないのに東京へ出てからの自分の身の上を話した。何だか夢中だった。それから昔話。

「ねえ、覚えてる? 私、森君と向かい合って給食べてた時、むせて口の中の牛乳、森君の机にぶちまけちゃったことあったよね。それも2回も」

「それでも森君、『汚ねー』たか言わずに、黙って自分で机ふいてくれたんくれたんだよ。あの時私、この人は『男』だって思った」

 麻子は自分でも饒舌にすぎると思ったが、止まらなかった。森が昔の笑顔で聞いてくれることで、安心してしまったのかも知れない。

「時々、森君のこと思い出すことがあったんだ。今ではきっといいお父さんになってるんだろうなって」

 すると、森はほんの少しだけ首を傾けて、静かな口調で答えた。

「そんなにいい父親じゃ、なかったよ」

 麻子ははっと口をつぐむ。森の家は——。海を見る。遠くから列車が近付いてくる音が聞こえ始めた。

「俺は多分麻ちとは逆だから、これには乗らないよ。麻ちは東京に帰るんだろ? すごいな、麻ちは。女一人で東京でずっとやって来たんだろ? 頑張れよ。」

 森はまた、昔のような笑顔を見せた。でも昔とは違った彼がいる。

 別れて列車に乗った後、麻子は恥の心に苛まれた。

 あまり良い思い出のない故郷。津波に破壊されるのを映像で見ても、あまり心が動かなかった故郷。けれどずっとそこで、三十年近く、麻子の知らないところで必死に生きてきた人たちがいた。そして、本当は変わってしまったはずなのに、昔の笑顔を見せてくれた森。『やっぱり森君は〝男〟だな』。心の痛みの中でも、それを思うと、麻子は一人でほんの少し笑うのだった。

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