第14話 『投げる精密機械』・小山正明

抜けていました。この人が・・、忘れていました、最後がオリオンズだったので…ごめんなさいと謝っても、お前、阪神ファンか!と言われそうです。今も元気でTVで解説をされています。 球場以外でも見かけました。私の店が神戸北野にあったので、坂道でよくスレ違いました。いい女性をマンションに?映像では細いのですが、実際に見るとがっしりしてやっぱり長身です。北野に行きつけのステーキ店があったようです。


針の穴を通すと言われた絶妙のコントロール。天覧試合で長島・村山のシーンばかりが流れますが、その前、8回途中まで投げていたのが小山投手です。村山と違ってあまり力を入れていないような、綺麗な投げ方でしたが、それでも球は速く抜群のコントロールときたら打てません。 藤本定義監督の下、小山、村山で優勝しました。私が知るタイガースの初めての優勝でした。翌々年に村山、バッキーで優勝しています。


当時のタイガースは、投手陣はいいのですが、如何せん、打てません。それで、オリオンズの4番、山内選手と小山選手がトレードとなりました。当時世紀の大トレードと騒がれたものです。当時、そのチームで骨を埋めるのが普通と考えられた時代、トレードはトラぶったものでした。山内も、小山も大人でした。世紀のと言われた割にはスムースにいきました。トレードの新しい時代を感じさせました。小山はオリオンズに行ってからもエースとして活躍し、金田選手に次ぐ勝利数を上げました(米田投手に後年抜かれますが)。


兵庫県は高砂市の出身で、お父さんが漁師さんで、中学の時から船の櫓をこぐ手伝いをし、足腰が丈夫になったと聞いています。神様、稲尾様も同じだったといいます。 詳しい記録は今やネットがありますので調べて下さい。 写真に一緒に写っている選手は、これも抜群のコントロールを誇った渡辺省三投手です。若い人はご存知ないでしょうが、村山選手が入る前は、剛球派の西村(いっこう)、大崎、制球派の小山、渡辺と豪華投手陣でした。小山投手はその制球の大切さを先輩・渡辺投手に習ったと言っています。渡辺選手のお嬢様が「二人はライバルであると同時に仲が良かった」とFBで知らせて頂きました。お互いテスト生上がり同士だったこがそういう関係を作ったのでしょう。今のタイガースの投手陣にあのコントロールを見習って欲しいと思うのです。


小山選手は解説でご存知と思いますが、渡辺選手は、現役引退後は、二軍投手コーチ、一軍投手コーチ、スカウトとして活動され、特にスカウトとしては、新庄剛志・野田浩司・仲田幸司・遠山奬志・亀山努らを発掘されたのを知られれば、若い世代の方も身近に感じられるでしょう。テスト生からという苦労が隠れた逸材を見つけ出す目を作ったのでしょう。 懐かしきタイガースです。


参考:小山選手の320勝は歴代3位、290完投は歴代5位。 渡辺投手は1956年、22勝、防御率1.45で最優秀防御率のタイトルを取っています。珍しい記録は9回を70球で無失点に抑え、最小投球数の日本記録71球を下回るも、延長戦に突入して、結局13回を投げ切り完封勝利を収めたものの、最少投球数記録は参考記録となっています。これは哀しきタイガースですね。

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