今日の私にさようなら

ひだり

夜の隙間に咲いた華

 学校のテラスで作業をしていて、ふと気がつくとあたりが暗くなっていた。手元にあるプリントの文字も読みづらくなり、外に並んでいるビルの時計を見るともうすでに20時を過ぎていた。

 16時半に仕事を終えて、17時に学校に来たのにもう20時。年を重ねるごとに、時間の流れはどんどん早くなっていく。小さい頃は時間が無限にある気がしていたのに、そんなことはないと、空高く並んでいるビルの明かりと、わいわい言いながら明るい室内で作業をしている他の生徒を見て思う。その証拠に、わたしはひとり暗いテラスにぽつんと座っている。

 プリントにはたくさんの「あいうえお」が並んでいた。タイポグラフィーの授業で出された課題で、いろいろなフォントの骨格を探していたからだ。明朝体、ゴシック体、さまざまなフォントをなぞっていく。そうしていると、文字も人間と同じように、どのフォントも骨格が似ていることに気がついた。元はほぼ同じなのに、仕上がりはまったく違う。どんなことを考えながら制作したのか。作り手のことを作り手なりに考える。考えるけれども、わからない。理解しようとすることはできるけれど、理解することはできない。わかる、はわからない。わたしとあなたは一つの人間ではないから、すべてを共有することはできない。

 そんなことを考えていると、ぱらぱらぱら、ぱらぱらぱら、と空に音が響いた。線路を走っている電車の音とは違う。ペンを持つ手を止めて後ろを振り向くと、ビルとビルの隙間から花火が見えた。

「見て、花火だよ花火。やっぱり電車の音じゃなかった」

 室内で作業をしていた生徒たちもテラスに顔を出した。けれども、夜空に咲いた花が散ると途端に街は静かになり、もう終わり? あーあ、写真撮れなかった、と生徒たちは残念そうな顔をし、再び室内へ戻って行った。

『花火やってた』と、一枚だけ撮れた写真を添えてメールを送る。それから、『ぼちぼち帰る』と打って、テーブルに広げたたくさんの文字をかき集めた。

 明日はどんなことをしようか。どんなものを探そうか。どんなことを考えようか。時間には限りがある。待ってくれ、と頼んでも待ってくれるほど優しくない。もたもたしていたらすぐに置いていかれてしまう。

 もうすぐ終わる今日にさようなら。そして、もうすぐやってくる明日にはじめまして。

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