魔装勇者 ~魔王を装備したら真の勇者になれますか?~

浅門汰斗

第一部 起動編

第1話『遭遇 ~勇者よ、我を身に纏え~』前編

  *


 丸くみえる空の青に黒い煙が幾重にも重なり、異形であると一見でわかる無数の黒い影が、頭を突くような甲高い鳴き声を響かせながらそれを塗りつぶしていく。

 

 大樹の大穴の中で、簡素な布の服とスカートを纏った少女が膝を抱えて、小さく身を縮ませていた。


 しかし、魔物の声が徐々に遠ざかるのに気づくと、彼女は何とか体を動かそうとした。


 いつまでもここにいるわけにいかないと、訳もなくそう思った。


 節々は痛み、肉体的にも精神的にも、まるで限界だった。でも、生きようとする魂の力があれば、何とか動くことができる。


 手を、穴の淵にかける。そして、指に力をぐっと込めて、思い切り穴の向こうへ飛び込んだ。


 穴を抜けると、巧みな受け身でくるりと一回転して足で着地。そのまま、黒髪と服の裾を翻しながら立ち上がると


「――おじさん? 何処にいるの!?」と叫びながら、駆けていく。


行先は、黒い煙の出元だ。


 裏山に隠れたら、自分が戻ってくるまで出てはいけないと、昨日の晩に村を護る戦士である叔父に言いつけられたことなどとうに忘れていた。


 彼女は村――母親の故郷――へと向かい、裸足で坂道を駆け下りた。


 息が切れそうになった頃に、視認する。


燃え盛る家屋や、それぞれ苦しんだように身をよじり黒ずんだ性別もわからないような燃え滓や、ボロボロの布に包まれた塊を。


 それが、惨殺された村人達のなれの果てだと、すぐに彼女は理解した。


「――――!!」


 声にならない叫びが、響き渡る。


 しかし、その叫びを聞きつけて空の魔物が落りてくることもなかった。


 ただ、叫ぶ彼女の背後に、影が一つ大きく差す。

 

 その影は徐々に彼女へと近づいていき、彼女の背中に細く被ったかと思うと、空の魔物の散開と共に消えていく。


 その羽音に驚く彼女の背中と首の後ろに、黒い紋様がうっすらと残っていた。


 それから、十年余りの月日が流れた。


   *


 冷たい空気が漂う、深い森の中。一帯には朝もやが立ち込めており、木々の向こうは真っ白で何も見えない。


『勇者よ、我をその身に纏うのだ』


 巨大な単眼には、一人の少女が写っていた。


 その少女の体中には無数の血の線が走り、身に着けた赤いマフラーや布の服は血が滲んで汚れている。


 頭には、患部に薬草を当てた布の切れ端が巻き付いていた。

 

「だから、アンタを装備するって、ソレ呪われるんじゃないの?」


 声を出来るだけ抑えながら、その相手に向かって出来る限りの不信感と不快感を表明する。


 巨大な樹木の影で息を殺して、周囲を注意深く窺いながら、ちらちらと足下を見る。


 彼女の足元には、一対の螺旋状の突起と無数の触手が生えたボロボロの丸い銀色の球体がぴくぴくと痙攣している。


 表面には、無数の切り傷が刻まれ、傷口からは透明な液体が流れ続けていた。


『さっきから言っているが、そんなことは断じてない! 早くしろ、このままでは両方死――』


「見つけた、ゾ……勇者モドキに、魔王!!」


 切れ長の眼で睨む彼女の背後で、耳をつんざくような爆砕音とともに大樹が中途からへし折られる。


 大樹の向こうで立ち尽くす黒い熊の毛深い巨体が彼女の体に大きく影を落とす。


「クソッ!」


 少女は身を翻しながら飛ぶように立ち上がり、勢いのままに手の棍棒を熊の胸板に叩き込む。


 その動きと共に、滑らかな黒髪が揺れた。


 しかし、熊の体を揺るがない。彼女の手がしびれただけで、一切の痛痒を与えられていなかった。


「このマッスルベアー様が、そんな『経験値ゼロ』の攻撃で痛痒を覚えると思うかァ!!」


「きゃあ!」


 左手の爪の一撃で胸の棍棒が白いもやの中に消え、もう一方の爪の一撃は白磁の如く美しい肌を切り裂く。


 少女の体は血の線を飛ばしながら首から地面へと弧を描いていく。


『い、いかん!』



 魔王と呼ばれた球体は、傷の痛々しさからは想像がつかないほど俊敏に動くと、彼女の首が地面に到達してへし折れる前に自身の体を膨らませるとその下敷きになった。


 娘の体が球体の上で弾む。


「ア、アンタ……大丈夫!?」


『げ、げぶ……それはこっちのセリフだ、勇者よ』


「というかアタシは勇者じゃない、勇者候補! それにアタシ自身にはれっきとした名――」


『そういう自己紹介は後だ。さっきも言ったが、このままじゃ両方死ぬ。貴様とて、旅に出てすぐに即死は嫌だろう?』


「そりゃあ……そうだけど」


 彼女がいる始りの森は、勇者候補なる初心者冒険者が最初に訪れるように命じられる場所だった。マッスルベアーはそんな冒険者を選別する最初の壁だ。


 話す二人めがけて、マッスルベアーは態勢を低くして突進をかけようとする。


『我を纏うのだ、勇者よ。そうすれば、この窮地を切り抜けられる。』


「……命には代えられないか。信じていいんだね、魔王?」


 少女はマッスルベアーが使ったそいつへの呼称で呼ぶ。


 魔王アムルゲートといえば、人間を苦しめる魔王軍の頭目であると伝えられていたはずだ。


 そいつが何故か首にだけになって部下に遭遇したのが、ほんの数分前のこと。


 旅に出てしょっぱなでそんなところに出くわした自分は不幸であるか、逆にとんでもない幸運かもしれない。


「……着るよ。アンタを装備して、アタシは戦う」


 だって、死にたくはないから。


「死ねぇい魔王! 貴様の亡骸は獣魔将軍ライオネルス様に捧げてやる!!」


 彼女の覚悟と恐怖に呼応するかのように、不可避の殺意が迫ってくる。だが、それは決して彼女の体には刺さらない。


『よくぞ決断した。では勇者よ、我を身に纏えアムル・ゲーション!!』


 銀色の球体の詠唱と共に、彼女の体を浮遊感が襲う。


 アムルゲートが分裂したアメーバ状の物体の何とも言えない不快感に全身を包まれながら、彼女は意識を喪失した。


「一体、何ガ……起こって、いるんダ!?」


 バレンティナを取り込んだ銀色の物体が大きく波打って形を変えていく。


 マッスルベアーはそれを茫然と見ていることしかできない。


 銀色の塊は、徐々に四肢を形作り、背中には節くれだった羽根が無数に生える。


 その容姿はまるで、別の世界における勝利の女神サモトラケのニケをかたどったような、細く美しい彫像のような肢体の、無機質な首なしの巨人であった。


 腹部に巨大な単眼が赤く光っていること以外は、この者が聖なる祝福の下に生まれたといわれても信じられそうなほど、美しく神々しかった。


 『――――』

 

 銀の女神は、美しい歌声をどこからか響かせながら、ゆらりと体をマッスルベアーに向けた。


 そこに構えのようなものはなく、その立ち姿は無防備そのもの。

 

 しかし、マッスルベアーはその美しさと異様さへの感嘆と恐怖とそれらがまぜこぜになった混乱のあまり、威嚇の唸り声以外を上げることもできずにいる。


 ゼエゼエと息継ぎをしながら、全身を震わせて、眼を何度も瞬きながらその姿を直視する。

 

 そのまま数瞬後――


「魔王に人間! 覚悟――」


 マッスルベアーは、とうとうしびれを切らして両手の爪を振りかざした。


 凶刃が、目の前の銀の女の腹部にある単眼を捉えんと流星の如き速さで向かっていく。


「なっ――」


 その爪は、銀の体には届かなかった。


 がっちりとマッスルベアーの両手首を握ると、そのまま力いっぱいに捩じり上げる。


「ウギャアアア!」


 焼けるような痛みにのたうつマッスルベアーの頭部を右手で力いっぱい掴むと巨人は頭上高くにその巨体を持ち上げる。


 『愚かだな、マッスルベアー』


 無貌の女神の体から、低いダミ声が響く。アムルゲートだ。


『だが、もう終わりだ。我を装備した勇者によって貴様は死ぬのだ』


 頭部を掴んだ手が、勢いよく地面へ叩きつけられる。


「い――」


 べきり、と骨が折れる嫌な音が、森中に響き渡り、マッスルベアーはあらぬ方向に首が曲がった格好で動かなくなった。


『……目に見える脅威はもう確認できないな』


 銀の巨人は、ぐにゃりとそのシルエットを歪めると、巨大な銀色の球体となり、そのまま先程の少女を地面へと吐き出した。彼女の体中の傷は、何故か完全に消えていた。


 少女は亡骸を指差しながら恐る恐る隣の単眼を窺う。


「アタシが、やったの……これ?」


『正確には、主導権を握った我がやった。貴様の意識は喪失ロストしたからな』


「え、そうなの……?」


『貴様の経験値がなさ過ぎて、我の力に振り回されていたの過ぎない。だが――――』


 銀色の球体は大きな単眼をよりぐぐっと大きくして少女をじっと見る。


『そのまま我に吸収されずに、今ここにいるというのは我を使う資格があるということだ、勇者よ。今はまだまだだが、経験値が溜まればそういったこともなくなるだろう。前後不覚になるのが嫌ならば、精々強くなることだ。さすれば、真なる勇者への道は開かれるだろう』


「ちょっと待って。『使う資格』とか『今はまだ~』とか、もしかしてアタシについていくつもり?」


 少女は後ずさり、警戒の目を向ける。


『肯定しよう。はっきり言えば、マッスルベアーごとき一人で倒せない貴様は、我がいないとあっという間にくたばるだろうし、我も先程のように、貴様のような我を使える人間がいない限りはただの不気味なシルバーボールでしかない』


 酷い暴言だと彼女は思ったが、否定は全くできない。


 彼女は冒険者としては初心者もいいところで、魔力を使う術も知らず、武術もからっきしだ。


 勇者候補となれたのも、座学試験を満点でパスしたことによる特例なのだ。それ故か納得しがたい目には合ったが。


「おっしゃる通りだよ。アタシは勇者候補になったかと思ったら武具の支給もなしにここまで連れてかれたんだ。棍棒だってどっかに飛んじゃうし、アンタがいなければ丸腰同然だ」


 これからこの森を探索して金銭や他の武具が手に入ればいいが、現時点で頼れそうなものは近くには見当たらなかった。魔王を纏ったことによる心身の不調も感じなかった。


「魔王様が頭だけになって魔物に襲われてるのもわからないし、なんか面倒事に巻き込まれてる気もするけど、その時はその時だ――」


 彼女は自身の右手を、球体に差し出した。それは、彼の提案を受け入れるということだった。


「アタシはブレイブ王国に認定された勇者候補、バレンティナ・オクトーだ。これからよろしく頼むよ、大魔王様」


『我は、魔王アムルゲート…………だったモノだ。詳細は後程する』


「オッケー」


 魔王はその身体(?)から生えた触手を彼女の掌のに握手の代わりと軽く添えた。


『……さて、いざ共に進むならば、あるべき姿を取らなくてはな』


 単眼をギラリと輝かせると、球体は眼の意匠が各所にあてがわれ、瞳の部分には魔法石が配置された銀色の美しい鎧に姿を変え、ころんと草原の上に転がった。


「さっきの姿じゃダメなの?」


『今の貴様の装備は見れば、まずは防御を固めるのが先決であろう? それにあの姿を晒したら大騒ぎになる』


 確かに顔そのものは、人々がよく知るアムルゲートのままだったか。


 それもそうだと納得すると、バレンティナはその鎧を身に纏い、芝の上に転がった棍棒を拾い上げて森の中を更に進んでいった。


 いつのまにか白いもやは晴れ、暖かな日差しが森を明るく照らしていた。

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