紋白蝶

佐藤 田楽

気持ちが浮遊霊

 たった今、自ら命を断ちました。

 間違いなく、確かにそのはずなのに…

「なんでまだ立ってんのよ」

 私はまだその足で立っていました。

 見たことがない場所ではあった。

 しかし妙に現実味があるというか…とても冥界やら三途の川とは言えないような生き生きした森林が目の前に広がっている。

 いや、案外ここが死後の世界というものなのかもしれない。

 知った口を叩いても実際に死んだ後どんな所に行くのかなんて死んでみないと誰も分からない。

 露骨に禍々しかったり、魂みたいなのがウロウロしていなくてよかった。

 そういうのは怖いから嫌だ。



 最期に崖から飛び降りたのは覚えている。

 どうせなら最期までこの世を見てやろうと地面にぶつかる寸前まで目を開けていた事も。

 ということは間違いなく死んでいる。

 うん、そんな気がする。

 さて、私はどうすればいいんだろう。

 案内みたいなのもなくただ森があるだけ。

 なんか印みたいなのがあるのだろうか。

 と、進もうとすると足元になにか気配を感じた。

「ひっ!」

 下を見るとそこにあるのは頭部が潰れた女性の死体だった。

 まだ紅い鮮血がじわじわと広がっていっている。

 私はこの女性に見覚えのある。

 というかその下を向いた景色一帯に見覚えがあった。

 背筋に寒気を感じながらバッと後ろを振り向く。

 後ろにあったのは高く聳える崖だった。

 頭から血の気がひく。実際にはそんなわけないのだがそう表現するのが1番近い心情だ。

「ははは…」

 力無い笑いが込み上げる。

 私、成仏に失敗した。

 この崖は私がさっき飛び降りた崖だし、この岩の地面は私が最期に見た光景と同じだ。

 そしてこの仏さんは私自身だ。

 どうしよう。というかどうすればいい。

 死後の世界でどうすればいいのかなんて知らないが、成仏できなかった時どうすればいいかなんてのはもっと知る由もない。

 つまり私は幽霊になってしまったのだ。

 この場合はなんなのだろう。

 地縛霊?浮遊霊?

 こんなことなら幽霊について勉強しておけばよかった。

 幽霊でわかることなんて塩に弱いことと、写真に写り込むことと、この世に未練があるから居るという事くらいだ。

 取り敢えず自分から盛り塩にアタックすれば勝手に消えてくれるだろうか。

 または未練を消化すれば成ぶ…

 ん?待て?私の未練ってなんだ?

 まずい、特殊ラブコメに出てくる記憶喪失系幽霊になっている。

 記憶は確かにあるんだ。

 名前も生まれも覚えているし自殺の理由だって忘れていない。思い出したくはないが。

 でもこの世に未練なんて無かったはずだ。

 捨てるもんは捨てたし遺書も書いてきた。

 死のうかどうか悩んで勢いで死んだわけではないし、自殺に作法なんてないはずだ。

 …ないよな?

 取り敢えず落ち着こう。

 今は霊体だ。時間はたっぷりある。

 たとえタイムリミットで消えてったとしても、なんならそれでいい。

 そうだ。霊体だ。

 自分の体を見下ろす。

 幽霊といったらこう透けてる感じの…

「全部ある…透けてないし浮いてない…」

 体はもちろん、足の指先までくっきり見える。

 感触がある時点で大方察してはいたが、まさか透明度0%とは思うまい。

 ということは残念ながら浮遊霊ではなかった。

 なにが残念かは知らない。

 というか浮遊霊ってそういう意味なのだろうか。

 着ている服も死装束とかじゃなくてここに転がっている死体と同じ、白いワンピースだ。

 まぁこれはこれで幽霊っぽいか。



「……」

 いくら時間があるとは言えここで黙ってるのはなにか勿体ない気がする。

 日本人らしい社畜精神の賜物だろう。部長死ね。

 取り敢えずここから移動したい。

 自分の死体とはいえこんな生々しいグロは気持ちが悪い。

 そうだ、幽霊といえば浮遊や物体貫通じゃないか。

 心霊写真でもよく浮いてるからあれは出来るはず。先輩幽霊さん誰か教えて。

 と呼んでも来る訳なし、独学で浮くしかない。

「んん〜〜!」

 まず「飛びたい!」という強い意思の元、両手を上にあげて踵を離しながら全身で伸びてみる。

 浮かない。

 まぁそれはそうだ。

 これぞ独学というもの。

「飛びたい〜!!」

 もしかしたら浮遊は呪文かなんかが必要なのかもしれない、と意思を虚空に伝えてみた。

 変化なし。こんなに強く想っているのに。

 うむぅ…どうしたものか。

 色々試して見るつもりだがノーヒントはさすがにダルい。

 このまま背伸び作戦で行くべきか否か…

 よしっ、変えよう。直感がそう云っている。

「えいっ!」

 思いっきりジャンプしてみた。もちろんお得意強い意思セットで。

 と、体に衝撃がない。

 視界は落下してないのに足が自由だ。

 下を向くと私の死体がちょっと遠くにあった。グロ。

 あと慣れない浮遊感がある。

「成功しちゃったよ…」

 浮いていた。試行回数わずか3回。

 これは独学の世界記録確実。

 …手本はないから独学じゃないなこれ。


 あとは簡単だった。上に伸びれば上昇して足に力を入れれば下降する。平行移動も体重移動でいける。

 目的達成。まずは人気のあるとこに行くことにしよう。

 崖に沿ってどんどん上昇していく。

 ちょっと前に自分が落ちていった空間を今度は逆登っていくのは些かへんな気分だ。

 と、あらかた上まで来たので視線を平行線に直してみる。

「わぁ」


 それは随分と綺麗で幽玄な景色だった。

 渋緑の森にゆっくりと着地を始める夕暮れ。

 飛び降りる際は一切気付かなかったが、目の前には雄大の意のままが遠く広がっていた。

 確かにここは自殺の名所である、と共に名の知れた観光地でもあったのだ。

(こんなに綺麗な所なのに身投げの名所なんて呼ばれて、なんか勿体ないな)

 寂しげにそう思ってからそれが自分への皮肉なんだと気付き、誰にも見えないはずなのに居た堪れなくなって私はその場から逃げるように浮いた踵を返した。

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