3話目 Pedestrian

「もう6時半か」

 テレビ番組の右上に可愛らしいフォントで表示されている時間をふと見る.

 ちょうど番組ではメジャーリーグに行っている日本勢の活躍について言及されているところだ.


 最近のメジャーリーグは見ていて面白い.リアルタイムでは見れないのだが,いつもそのダイジェスト版をインターネットの動画サイトで見ている.

 2014年からはメジャーでも『ビデオ判定システム』というものが導入された.これは審判が際どいプレーをジャッジした結果に対して意義を申し立てて,そのプレーをビデオでスロー再生してから再度結果を出す.というシステムである.

 このシステムが導入されたり,申告敬遠なるものも導入されてきたりと最近のメジャー界で新しい制度を導入しようとする動きが見られている.


 個人的には昔と同じで審判が全ての判断を下す方が面白いと感じる.

 誤審をしてしまうこともあるが,機械が判断に介入しない分そこに人間のドラマが生まれたりすると思うからだ.乱闘などはその最たる例だろう.


 野球も日本は世界一位を勝ち取ったことが何回かあったが,選手の年俸は文字通り桁が違う.

 日本のプロ野球選手が多くとも3億くらいなのに対してメジャーはその10倍の30億ももらっている選手がある程度いるのだ.まさにアメリカンドリームというやつだ.


 30億もあったら自分なら何をするだろうかとたまに考えてしまう.

『30億をこの世界のどこかに埋めてきた!!』と宣言して世界中の人にお金探しをさせてみる.しかし実際は埋めてなどおらず自分が持っていて使い込んでしまったと死ぬ直前に発表してやるのも面白そうだ.


 どんだけクレームが来るんだろう.

 しかし実際は裏でユニセフに全額寄付していたとかだったら俺の株は天井知らずにあがるだろう.

 一回下げてから持ち上げる.これがコツだ.


 ピーピーピッ!!

 電動ポットも中のお湯が沸き上がったぞという挨拶代わりに音を出して知らせる.


「もうちょいボリューム下がらないもんかね,キミ.昨日今日,部屋に来たわけじゃあるまいし.」


 中古の家電売り場で買ってきた電動ポットくんは誰でも聞いたことがある有名なメーカーの製品だ.

 しかし前の持ち主に乱暴な扱いを受けてきたらしく(もしくはその前かもしれない),沸き上がったことを知らせる音の調整が効かない,塗装が所々はげている,それからやたらと振動する.

 従って定価10000円が97.5%offの250円になっていたこともうなずける.

 そう250円だ.


————


 何の気なしにフラッと立ち寄っただけなのだが何故か目に入り購入に至ったのが今から半年ほど前になる.


 250円!?


 2500円の間違いじゃないのか.

 始めはそう思ったが何度目をこすってみても『大特価!250円(持ってけドロボー!!)』のポップは変わっていなかった.しかしどう考えても250円は安すぎる

 後から『やっぱ2500円の間違いでした』といわれるのが怖かったので店員に聞いてから買うことにした.

 レジに持って行くとこちらが何か言う前に,ギャルっぽい,原宿にいそうな店員が

『これホントに買うんですかぁ?』

 と聞いてきた.

「買いますけど,なんか問題でもあるんですか?」

「いや,問題は無いんですけどぉー.今まで何人か返品しに来てるんですよねぇ.ひょっとしたら出るのかもぉ…」

 ギャルが肘を上げて両手を曲げて何かのポーズをしてくる.

「なんで店員さんが出てくるんだ.ひょっとしてこのポット買うとおまけでついてくんの?こう,付録的な?いや,でも俺の部屋めっちゃ狭い上にドラフターとテレビまであるから余計狭いんだよね.だから悪いけど…」

 ドラフターとは製図専用の特殊な机のことで,分度器や定規,それからアームなどが備え付けられてある.


「あたしじゃない!250円で買えるわけ無いでしょおぉ!百歩譲ってもポットをおまけにしてよぉー!」

 正直なところ正解は分かっていたがあえて聞き直した.

「じゃあなんですか?」

「お化けに決まってるじゃん!」

「そんなのいるわけ無いでしょ」

「いやでも実際に何人も返しに来てるしぃ.」

 信じない俺の態度が気にくわなかったんだろう.

「まあたぶん大丈夫ですよ.」

「マジでぇ?あたし知らないよぉ?返品することになってもぉ」

「まあたぶん大丈夫ですよ.じゃあはい,これで250円」

 嘘である.なんかあればすぐに返品しに来よう.

「はい確かに250円ねぇ.いやあ,にしても良かったし.店長も邪魔で仕方ないっていっつも言ってるしぃ.でもなんかお兄さんなら大丈夫そう」


————


こんな事があった.

 今思うと,やたらフレンドリーな店員だったが一応注意してくれたのだから根は優しいのだろう.ただからかいたいだけだったかもしれないが.


 そんな経緯で購入した電動ポットだが,この7畳ほどの小さな部屋に不釣り合いなほど大きな音を出すので,一番始めに試しに使ってみたときはちょっと焦った.

その時,なぜ他の人が次々に返品しに来るのかという事を理解した.お化けでも何でもない,単純に煩いからだった.


「ったく.前の持ち主にどんな扱い受けてきたのか知らないけどね.よそはよそ,うちはうちなんだよ.もうちょい気楽にいこうぜ.」

ポットを充電器から外し,そう言いながら台所に持っていく.


「こうして使ってあげてるんだから,感謝してほしいもんだ」

 コポコポ…とコーヒーの粉が入ったマグカップにお湯を注ぎこむ.


またニュースでも見るか.


そう思い,台所からテレビの前に座り込む.

その時,パジャマのポケットの携帯が振動し,メッセージの着信を知らせる.

「なんだって…『今日の口上頑張れよ.酒飲みながらマキと見ててやるよ』だと?ったく,完全に人ごとだな.対岸の火事とはこのことだ.今は…45分か.まだ3時間くらいあるな」


開会式はちょうど正午から始まるが,関係者各位は10時に集合する事になっていた.


「大丈夫.3時間後の俺がなんとかしてくれるはずだ」

 そう自分に言い聞かせる様に呟き,コーヒーを飲む.


 その手は小刻みに震え,飲むコーヒーの量もいつもより多かった.

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