第73話 らじゃあ!

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「へえー、そんな事があったんだあ。唯は初耳だよー」

「今になって思い出すと私も爆笑したくなるような事もあったしー、逆にこっちが恥ずかしくなるくらいの事もあったけどさあ、拓真君、ホントによく頑張ってると思うよー」

「だよねー。たっくん、ホントに頑張ってるよー」

「拓真君に感謝の意を込めて、誕生日にはハッピーバースデーを全員で演奏してあげよう!」

「あー、それはいいかも」

「あ、でも拓真君の誕生日は夏休みだったわねえ」

「という事で今の話は無し」

「そうそう!」

「あれー、アイ、そろそろ焼き上がっていると思うけどー」

「あー、そういえば拓真君、時計は?」

 いきなり藍に話しかけられて俺は現実世界に引き戻されたけど、さすがに藍が言った言葉の意味だけは理解出来たから左手にはめた腕時計をチラリと見た。

「・・・えーとー・・・何だかんだで30分以上経ってるよー」

「うっそー!そんなに経ってたのー!?」

「さすがに私も時間を全然気にしてなかったなー。カフェオレも半分しか飲んでないから冷めちゃってるしね」

「そうだよねー。挽きたての意味がないねー」

「じゃあ、そろそろ行きましょう!」

「だね」

「拓真君、ゴミはちゃんとゴミ箱に入れなさいよ」

「そうだよ、環境保全は身の回りからだよ」

 はーーー、俺はとっくに飲み終わってゴミ箱に入れてあるぞー。まあ、藍も唯もちゃあんとカフェオレのカップもクリームどら焼きの包み紙もゴミ箱に入れるのは立派だけど。

 別にクリームどら焼きを取りに行くだけなら藍一人で十分だと思うんだけど、何故か唯も藍と並んで山田屋へ向かって歩き始めたから、俺は「あれっ?」と思ったけど、直後に唯が俺に目配せをしたから黙って二人の後ろをついて行った。藍はとっくに気付いてるけど唯にとっては今日のこれからの予定は秘密事項だ。だから藍が確実にいなくなるまでは波風を立てたくないという唯の判断は決して間違ってない。

 山田屋に行った時には店内に4、5組の客がいたけど、藍の分は既に焼き上がっていて紙袋に入れて用意されていたので、藍は箱の中身を確認したらお金を支払った。

 でも、大きい箱は紐で十字に結んだだけだったけど、小さい箱は御丁寧に紙で包んであった。それを見た瞬間、俺はピンと来た。どうして藍がクリームどら焼きを2つも箱で買ったのか、恐らく・・・

 俺たちは藍がクリームどら焼きを受け取ると店を出たが、店を出た丁度その時、店の前に黒塗りの高級車が止まった。その後部座席のドアが開き、そこから降りてきたのは・・・

「あらあらー、藍さんに唯さんに、それに拓真君ではありませんか?」

 黒塗りの車から降りてきたのは若い女性だったけど、俺も藍も唯も、その女性が誰なのかすぐに気付かず思わず首を傾げてしまったのだが、その女性の髪がだというのに気付いたから、俺はこの女性が誰なのか分かった!

「あ、絢瀬あやせ先輩!?」

「「えーーー!!! ( ゚Д゚)」」

 俺は思わず大声を上げてしまったし、藍も唯も目が点になっている!俺たちは制服姿の絢瀬先輩は見慣れてるけど、今の絢瀬先輩はいかにも高級そうな水色のワンピースを着てハイヒールを履いているから、普段以上に大人びていて、パッと見ただけでは絢瀬先輩だとは気付かなかったのだ!

 そんな絢瀬先輩は俺たちの反応を見て『ニコッ」と軽く微笑んだけど、普段以上に破壊力抜群で俺は思わず後退あとずさりしそうになったし、藍も唯も完全に及び腰だ。さすが『桜高の妖精』と呼ばれるだけの事はある。いや、もうここまで来たら妖精というよりは女神と言った方がいいかもしれない!

「いやー、ホントにわたしもこんな場所で同じ学校に通っている人に会うなどとはこれっぽちも思ってませんでしたよ」

「そ、それは私も同じです」

「三人でお買い物ですか?」

「いえ、買ったのは私だけです。これからちょっとお寺へ・・・」

「そうですか・・・三人で行かれるのですか?」

「あー、そうじゃあなくて、ホントに偶然、この近くで会って、そのまま3人で山田屋へ行ったんだけど丁度品切れになっちゃって、さっきまでセブンシックスで時間を潰してたんですよー」

 藍は普段以上に謙遜しながら絢瀬先輩と話してたけど、絢瀬先輩は普段と全然変わらない、いや、普段以上に大人びているというか、学校で見る絢瀬先輩とは別人みたいだ。

 そんな絢瀬先輩だけど、さっき、一瞬だけ悲しそうな目をしたのに俺は気付いた。だけど、それは一瞬だけで、その後は極々普段の絢瀬先輩そのものだった。

「ところで、絢瀬先輩も山田屋のクリームどら焼きですか?」

 藍はあくまで低姿勢で絢瀬先輩と話しているけど、絢瀬先輩は普段と同じにように『ニコッ』としながら軽く頷いた。

「そうなのよねー。わたしも山田屋のクリームどら焼きには目がないから、ちょっと寄り道したのよねー」

「やっぱりクリームどら焼きは最高ですよね」

「そう、最高よね!」

「毎日食べても飽きないくらいに最高よね!」

「わたしもそう思いますよ。こういうと失礼かもしれませんが、学校の購買に山田屋のクリームどら焼きを置いてくれたら、毎日クリームどら焼きを食べたいくらいに好きなんだけど、ここでしか買えないのがホントに残念なのよねー」

「絢瀬先輩のお爺さんのお口添えで、是非とも学校の購買に置いて欲しいなー」

「あー、さすがにそれは無理!お爺様といえども、出来る事と出来ない事がありますからね。桜岡高校の購買に直接影響力を行使できないですよー」

「残念だなー。こうなったら紬さんにお願いしちゃおうかなー」

「あー、あの1年生の琴木さんですよね。彼女ならやれるかもしれないけど、さすがに春花堂の会長さんが、自分の会社が独占販売している購買の売り上げを削るような事を認めるとは思えないけどなー」

「そ、それもそうですね」

「まあ、のが辛いわよねー」

「絢瀬先輩でもボヤくことがあるんですね。私は初めて見ましたよ」

「そりゃあ、わたしだってか弱き乙女ですからね」

「私は絢瀬先輩は完璧超人だと思ってましたから、まさか先輩の口から『か弱き乙女』というセリフが出てくるとは思いませんでしたー」

「ちょ、ちょっとー、それはちょっと暴言よー」

「あー、これは失礼しましたー」

 藍と絢瀬先輩はそう言って笑い合ったけど、それにつられる形で俺も唯も一緒になって笑った。たしかに俺も絢瀬先輩には『究極のお嬢様』『完璧超人』というイメージが強いけど、今の絢瀬先輩と藍の会話は、それこそ気の知れた女の子同士が話してるようにしか見えなかったからなあ。

「・・・それじゃあ、また連休明けに学校で会いましょう」

「そうですね、また連休明けに」

 それだけ言うと絢瀬先輩は店に入り、俺たちは逆に山田屋の店の前からバスターミナルに向かって歩き始めた。


 さすがの藍も、これ以上は俺と唯を引き留める気はないようで、真っ直ぐバスターミナルに向かった後はサッとバスに乗り込んだ。俺はさっきの藍と絢瀬先輩の会話で藍がクリームどら焼きを買った真の理由に気付いたし、藍もジッチャンやバッチャンを長々と待たせるのは失礼だというのが分かっている以上、俺と唯にかまけている余裕はない。

「・・・じゃあねー」

 藍はそれだけ言うとバスに乗り込んだけど、当然だけど俺と唯はバスに乗らないから手を振って見送った側だ。

 俺と唯は藍が乗ったバスが発車するまで残っていたけど、バスが発車したのに合わせて軽く右手を上げたし、藍もバスの中から軽く右手を上げた。


 という事で・・・


 俺は2時間以上かかって、ようやく唯と二人になれたあ!


「じゃあ、行こうぜ」

「らじゃあ!」

 

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