第72話 去年の5月その④・・・砂漠の中で一粒の宝石を見つけ出すような途方もない夢

 た、たしかに武道館でコンサートを開くなどというのは、アーティストなら誰もが憧れる、まさに夢の舞台だ。でも、たった一言で、どうして唯が・・・


 あっ・・・


 そう言えば・・・


「・・・そうだ、あのベースギターは・・・」

「どうやら拓真君にも意味が分かったみたいね」

 藍はそう言うとクールな笑みから自然な笑みに変わったけど、視線は俺を向いてない。むしろ遠くを眺めている・・・

「今から20年前、最初で最後の武道館のコンサートを最後に5人組ロックバンドATTアフタヌーンティータイムは解散した。お母さんはそれを最後に芸能活動からも退いたけど、バンドリーダーだった平澤さんは、今でもソロで芸能活動を続けているのは拓真君も知ってるわよね」

「うん・・・」

「平澤さんはね、いつかATTの復活コンサートをやりたかったみたいだけど、お母さんがこの世にいない以上、ATTそのものの復活は既に諦めてるみたいだけど、私は平澤さんに頼る事なくメジャーデビューして、いつかは武道館でコンサートを開けるようなアーティストになりたいなあ、っていう、ホントの意味で砂漠の中で一粒の宝石を見つけ出すような途方もない夢を持ってるのは事実なのよねー」

「・・・・・」

「だけどさあ、私自身はお母さんのようなソプラノからテノールまでの音域を全て歌えるような真似は出来ないし、このベースギターの腕だって、所詮は素人に毛が生えた程度だってのは自分でも分かってる。無謀な挑戦だと分かっていても、それが他人から見たら阿保らしい事だったとしても、何も目標を持たずに日々ダラダラと過ごすよりも、何十倍も素晴らしい事だと思ってるよ」

「・・・・・」

「でもね、お母さんだって平澤さんだって、ATTを結成した当時はホントに素人同然で、ある意味、偶然が重なってメジャーデビューできたけど、最初から最後まで『素人バンド』を前面に押し出して活動してたのは事実だし、平澤さんは今でも自分の事を『芸能界最低のギタリストだ』と口癖のように言ってる。武道館でコンサートするのは一流の証だけど、ATTは素人バンドにも関わらず武道館でコンサートをした、ホントに摩訶不思議なバンドだけど、私にとっては雲の上の存在だよ。だから、贅沢な注文かもしれないけど、素人でもメジャーデビューできるというのを証明してみたいなあという、我ながら無謀な事を考えてるのも事実なのね」

「・・・・・」

「まあ、ATTには山中さんという凄腕マネージャーがついてたのは事実だけど、山中さんだってATTのマネージャーを始めた時は三流大学の普通の大学生で、本当は父親の跡取りとして家業を継ぐつもりだったけど、これがキッカケで大手芸能事務所からスカウトされて、今では日本最高の音楽プロデューサーの名を欲しいままにしてる程だよ。山中さんの父親は雑誌のインタビューで『当然、家業を継いでもらえるとばかり思ってたから、最初は怒鳴りつけた位で、ある意味ガッカリしてたけど、今は別の意味で嬉しい』とも言ってるから、決して家業を継ぐ事だけが親孝行じゃあないと思うよー。むしろ、いい意味で期待を裏切ってくれたお陰で親子の関係が良くなったと言ってたから、山中さんにとってもATTのマネージャーになった事は人生の転機だったかもしれないよ」

「・・・・・」

「もちろん、お母さんは・・・」


 藍の話はそれから暫く続いたけど、俺は話の後半は殆ど上の空だった。

 藍の話の中に俺の心の中に響く物があったから、いや、激震が走ったような気がしたからだ。

 俺が藍を、いや、唯も含めて武道館へ・・・俺ならやれるかも・・・それこそ自己満足かもしれないけど、それが俺の止まっていた心の針を動かし始めた・・・


 次の日の7時間目、臨時ロングホームルーム冒頭で俺と藍は桜高祭ブロッサム・フェスティバルでのF組のクラスイベントの提案をしたけど、藍が『桜高の女王様』の顔を持ち出す事もなくアッサリ承認された。というより、藍を除く19人の女子全員がメイド服の写真を見て「可愛い!」「最高!」とか言い出して、メイド喫茶以外を提案した子もメイド喫茶賛成派になった事で、アッサリ決まってしまったからだ。蛇足だけど唯のクラスのE組は大荒れの展開になり、7時間目どころか放課後1時間以上も居残りでホームルームをやって、ようやく決着となり、唯は日が暮れるまで頑張って企画書を作り直したほどだ。いや、1年F組を除く他のクラスの実行委員も唯とほぼ同じ状況だった。


「・・・おーい、藍」

「ん?どうしたの?」

 俺は帰りのショートホームルームが終わると同時に藍に声を掛けたけど、当然だけど藍は第二音楽室へ行くつもりだったから怪訝な顔をした。

「俺も第二音楽室へ行く」

「はあ!?」

 いきなり藍が大声を出したから、F組に残っていたクラスの連中が一斉に俺と藍に注目した。

「だーかーら、俺も第二音楽室へ行く」

「そ、それは分かったけど、第二音楽室へ何をしに行くの?」

「ん?俺のやりたい夢が第二音楽室にあるからさ」

「まさかとは思うけど『俺を同好会に加えてくれ』などと言い出すつもりじゃあないでしょ?」

「それは絶対にない。俺は『軽音楽鑑賞同好会』のメンバーだからな」

「はあ!?」

 藍が再び大声を上げたのは言うまでもなかった。


 でも、その日、第二音楽室に来たのは先輩と藍だけだった。というより、唯と琴吹先輩、梓先輩は桜高祭ブロッサム・フェスティバルの企画書作りに時間を取られ、第二音楽室に行く事が出来なかったからだ。

 当たり前の事ではあるが、先輩が来たのは俺たちより後だ。

「・・・あれー、藍ちゃーん、どうしてここに男子がいるの?」

「さあ、それは本人に聞いて下さい。私だって正直意味不明ですから」

「まさかとは思うけど『先輩、やっぱり俺は先輩と一緒に同好会をやりたいです!俺もこの同好会の正規メンバーに加えて下さい!!』とか直訴しに来たの?いや、そうに決まってる!!!いいや、そうに決まった!!!!」

「律子先輩、それはちょっと違うような・・・」

「藍ちゃん!ぜーったいに後輩君はこの田中律子さんと一緒にバンドをやりたがっているけど、悲しいかな、この同好会は男子禁制の伝統があるから、あたしが部長の梓先輩に頼んで、彼を我が同好会のマネージャーとして採用してあげるから安心していいよ。藍ちゃんもあたしの為に後輩君を引っ張ってきてくれて、ホントに感謝してるから、今日はあたしが特別にコーヒーを入れてあげるよ!」

「その事ですけど・・・律子先輩、コーヒーを買ってきましたか?」

「へ?・・・・」

「コーヒーが空になったから、琴吹先輩からコーヒーを買ってくるように頼まれてましたよねえ」

「・・・・・ (・_・;)」

「はあああーーー・・・その表情を見る限りでは完全に忘れてますね」

「い、いやー、そのー、アハハハハ」

「まさかとは思いますけど、拓真君に『マネージャーはコーヒーを買ってこい!』などと言うつもりじゃあないですよね」

「そ、それは・・・」

 結局、その日は藍と先輩しかいないから解散となり、3人でマイスドに行って2時間以上、あーだこーだ喋っていた。あ、そうそう、この時の支払いは各自で払うという事になり、俺と先輩はWAANで、藍はmomocoで払った。というより、藍は俺以外にはデビットカードの存在を言ってないようだった。


 6月最終週に行われた桜高祭ブロッサム・フェスティバルでは、俺たち1年F組のメイド喫茶は第二音楽室(こっちの方が普通教室より広いし、電気も大量に使えて調理がやりやすい)を使って開店し、オープンと同時に大勢の人、正しくは桜高の男子生徒だけでなく他校の男子生徒と思われる若い男子が殺到した。あまりの混雑ぶりに、俺はクラス担任と相談して急遽『お一組さま20分以内』という時間制限をした程だ。これで回転率が上がって混雑解消にはなったけど同時に売り上げ急増の原因になって、2日分として用意した材料をほぼ1日で使い切る緊急事態となり、仕方なく俺は亮太爺ちゃんのケータイに電話を入れて「何とかして欲しい!』と泣きついて(?)亮太爺ちゃんがメーカーの支店と問屋に掛け合って急遽追加納入をしてもらう事態になったほどだ。

 藍は調理係として表には殆ど出なかったけど、宣言通り(?)1時間だけ、それも土曜日の最後の1時間だけメイドとして店に登場した。だけど、これは失敗だった。大勢の男子が店に殺到した挙句、藍と写真を撮れなかった男子が閉店時間を過ぎても居残る騒ぎとなり、風紀委員会が乗り出す事態にまでなったからだ。まあ、藍自身は指導の対象にはならなかったけど、かなり大勢の男子が後で反省文を書かされることになった。

 俺たち1年F組は圧倒的大差でクラスイベント投票で優勝し、売り上げ高も凄まじい額になったけど、当たり前だが食材を追加注文した事は厳密にいえば学園祭規則違反なのだ。でも、理事長自身がメイド喫茶を気に入って土曜日も日曜日も客として足を運んだ事もあり、理事長が追認の形を取った事で無罪放免となった。

 あー、そうそう、俺が格安で手に入れたメイド服だけど、欲しがったので、クラス委員である茜さんの提案でサイズ別にで決めた・・・けど、言い出した張本人の茜さんはメイド服をもらえなかったので拗ねたのが正直笑えた。

 

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