シュセンドー!

いまひとちはみ

1-1 適材適所



「はァ、ハァ、やめ……っ!」


 脅威から逃れようとした少年の手が空を切り、その視界を反転させた。背後にはひとりの男。背丈は少年の倍ほどもあり、一般的な成人男性よりもずっと長身だった。すらりと伸びた脚が少年の足を引っ掛け、その進行を邪魔していた。


「逃げ回るな、『怪力乱神』だろう。まぁ、ただの子供にしか見えんが」


 うつ伏せに倒れ込んだ少年は頭の後ろからつぶやく男の言葉に恐ろしげな雰囲気を感じ取り、即座に仰向けになった。男は切れ長の冷たい目で少年を見下ろしていた。少年はこの男が自分を殺しにきたのだと理解した。なぜならば、男の言う怪力乱神というのが自分のことで間違いはなかったからである。


「それを知ってるなら……無力な子供を演じるのはやめるよ……!」


 あどけない少年の姿でありながら怪力乱神などと称されるのは、彼の特異な体質にあった。現代社会において伝説や神話の中などでしか存在しないはずの魔物――彼らは確かに存在していた。そしてその血を引くものは、多くは人の姿を保ち、人の世に溶け込んで何事もなく生きている。少年もその内のひとりであり、変身(ヴァリアンス)することで真の姿とその力を発揮させる!


「ほう……?」


 少年は伸縮したファーコートをそのままに、みるみるうちに肥大化した。先程までの少年の面影はどこにもなく、膨れ上がった両腕は極太の丸太のようだった。叩きつけられれば、並の人間などひとたまりもないだろう。しかし振り抜かれた腕をひょいと避けてみせた男は、その風圧と背後の大木がへし折られたのを見て感心したふうにうなずいた。ただただ、ほくそ笑むようにして。


「だが、俺に魔物の力は通用せん」


 少年――怪物の懐に潜り込んだ男は、そのまま天に向かうようにして腹に拳を叩き込んだ。風穴が開きそうなほどの衝撃を受けて、少年は声もなくヴァリアンスを解いた。元の小さな男の子の姿に戻った少年は、がくりと膝をつく。けれど頭の中では『どうして』という文字列がぐるぐると回っていた。少年は手を抜いた覚えはない。ヴァリアンスを解いた覚えもない――。


「俺の前に立つものは何であれ力を失う。人ならざるものは只人となるのみ。そして俺は、人が相手ならば負けることはない。絶対にだ」


「そ、そんなこと、あっていいはずがない……! うぁぁあッ!」


「現実を直視しろ! 馬鹿力ッ!」少年の姿に戻ってなお、狼狽えながらも繰り出した拳を真っ正面から掴み、男は反対の手を握りしめてその顔面を貫いた。相手が子供だろうと容赦のない、顔の輪郭をも歪ませる全力のパンチである。少年は小さな呻き声を放り出しながら、その体を地面に幾度か弾ませた。


 魔物の力を封じ込める特殊な力を持つ彼の前では、正真正銘、少年はただの人間。それもひ弱な子供でしかなかった。それでも少年は立ち上がろうとする。力を封じ込めても、その耐久性まで失われるわけではないからだ。頑丈な魔物の体は、直接的なダメージを最大限まで抑え込んでいた。けれども膝を土塊でまみれさせるのが精一杯で、とても再度歯向かうほどの気力はなかった。


「小僧、ひとつ話を聞け。その力、利用価値がある」


「くそ、いっそ今すぐ殺せ……!」


「何やら勘違いをしているようだな。俺はおまえを殺しにきたわけではない。役に立ってもらうため、それを見定めるために来た。そしておまえは合格だ」


「なんだって……?」


 戸惑う少年に人差し指で『ついてこい』と示した男は、そのまま踵を返して村の方へと向かった。このまま背後から少年が襲いかかってもおかしくはない状況だったが、先程の圧倒的な暴力を目にした少年からすればそのような行動に出るのは愚の骨頂に思えた。それに、彼は腰に剣を佩いていた。わざわざ拳だけで闘い、とどめを刺さずに背を向けたことを考えれば、それが信頼してもらうための行動だというのは容易に推測できることだった。何よりも、少年は彼の言う『役に立ってもらう』という言葉の方に惹かれていた。


 少年はずっと独りで生きてきた。魔物の血を引いていることを知ったのはこの世に生まれ落ちて幾年月だったかもわからないほど幼い頃。それは飼っていた猫が野犬に襲われたときだった。少年は自分のペットである猫を救おうと必死だったことだけは憶えている。しかし結果として、気づけば猫ごと殺してしまっていた。そのときにはっきりと物心がつき、少年はヴァリアンスした自分の姿を知ることとなった。そして、自分が人間とは違う『何か』であることを理解した。それを見た少年の両親は、最初こそどうにかしようと奔走していたが、幾数年が経った頃に彼を置いてどこかへと消えてしまった。


 少年は、それがどういうことなのか理解しようとはしなかった。しかし幸か不幸か、魔物として覚醒した少年の脳はそれを即座に理解させた。恐ろしい姿をした自分に耐えられなくなったのだと。自分に恐れをなして逃げ出したのだと。それから己の姿を自在に変えられるようになるまで、疎まれ、石を投げられ、居場所を奪われ、それでもどうにか独りで過ごしてきた。そんな自分が『役に立てる』というのだ。救いのない人生を歩んできた少年にとって、彼の言葉は僥倖に思えたのだった。

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