脅される彼女と脅す彼女

夜鳥つぐみ

第1話脅される彼女

Side F


優しい人だな、と思った。



「飲み会?」


「そう。深瀬行く?」



 同僚の神崎に誘われたのは、つい昨日の事だ。


 製薬会社の事務として働く私は、なぜかこの研究員の男と馬が合う。


 本来ならば接点などないはずなのに。


 確か自販機でアタリが出て、ちょうど近くにいた彼に一本プレゼントしたのがきっかけだったか。


 社会人らしくブラックコーヒーを渡そうと思ったら、焦ってお汁粉のボタンを押してしまった。


 よかったら、と言ってお汁粉缶を渡した時の彼の顔は、ちょっと忘れられない。



「メンバーは?」


「よく話してる奴いるじゃん。えーと、医者の」


「あぁ、外科医の女医さん」


「そうそう。どうも勤務が変わって、土曜が休みになったらしくてな。金曜も早め

に帰れるから、暇なんだと」



 だから、三人で。



「なるほど」


「気が合いそうだからさ、二人」


「趣味はあいそうね」


 どうもその女医さん、私と同じバンドが好きらしい。ついでに小説の趣味もなかなかいい線をいっている。



「どう?」


「一応旦那に訊いてみるか。多分大丈夫」



 一年前に結婚して、一応人妻だ。


 旦那は商社の営業職で、金曜はどうせ飲み会だ。



「男が一緒だとダメとか」


「ねーな」



 旦那はそう言うのはあまり気にしない質らしい。


 と、いうか。


 すでに私に対する興味を失っている様子だった。


 若干の寂しさはあるが、こちらも仕事やなんやで気は紛れている。


 おそらく他人が思うより、心は穏やかだ。


 昼休憩の時間だったのもあって、旦那からはすぐにメールが届いた。



『わかった』



 たった、それだけ。



「オッケーだと」


 スマホの画面を見せる。


 文面を確認して、神崎は頷いた。



「じゃ、明日……詳細はメールで」


「よろしく」



 そろそろこちらの休憩時間が終わる。


 手をあげて、二人とも仕事に戻った。



「そーなの!あのベース!ベースの癖にメロディを……」


「わかる!それを殺さない他のパートも凄いし!」


「歌詞の振れ幅はデカいけど」


「それがいい。気分によって聞き分けるから」



 酎ハイ片手に、目の前の美人と語り合う。



「ついでに顔がいい」


「わかる。顔がいい」



 そして、無言で握手を交わす。



「すっかり打ち解けてるな」


「おー神崎。すっごいよ!こんなに話が合う人初めて」



 神崎に興奮気味に言う。



「相田はどうなん」


「すごく楽しい。職場だって、こんなに話せる人いないし」


 医師の名前は相田と言った。


 バンドメンバーの顔を褒めたが、この相田も、だいぶん顔がいい。


 かっこいい美人、だ。


「何よりだな」



 神崎が笑った。



「もう一杯行くか」


「んー、じゃあ何飲もうかな」


「そんなに飲んで大丈夫なの?深瀬さん」


「大丈夫!最近飲んでないけど、結構強い方だから」


「そっか。あ、私はハイボールで」


「私はレモンサワーで」


「俺ビール」



 そうして、夜は更けていく。



「そろそろお開きにすっか。俺終電あるし」



 神崎がいった。


 確か、結構遠いところから通ってきていた気がする。



「んー、飲み足りない気も」


「お前が一番酔ってるぞ」


「そう?えへへ」



 久々ではしゃぎすぎたのは否めない。


 結構なペースで飲んでいた。



「深瀬さんは終電いつ?」


「あと一時間くらいかな」



 私は比較的近かった。



「じゃあ、神崎を駅まで見送って、駅の近くでちょっと飲もうか」


「相田」



 神崎が間の名を呼んだが、相田さんはにっこりとほほ笑んでいる。



「大丈夫。最悪私の家に泊まればいいんだし」


「近いの?」


「タクシーで10分くらいかな」


「えー、ここら辺って家賃高くない?」


「まぁほら、私医者だし」


「なるほど」



 彼女は高給取りの一人だ。



「相田、そいつ人妻だからな」


「知ってるよ」


相田さんが私の左手を見る。


薬指には指輪がはまっている。


「ちゃんと旦那さんには連絡するから」


「……じゃあ、行くか」


「おー。…お?」



 少し、よろけた。


 酔っているんだ。


「深瀬さん、ほら」



 相田さんが、手を差し伸べてくれる。


 優しい、人だ。


 私はその腕に、無遠慮に抱き着いた。



「甘えん坊だ」


「たまにはいいでしょ」



 笑いかけると、笑い返してくれる。


 まるで、長年の友のようだ。



「じゃーな」


「また月曜に」


「おー」


「気をつけて」


 神崎を見送る。


 スマホが振動する。



「あ」


「ん?」


「旦那、今日は帰らないって」



 絵文字も何もない、文面だけのメッセージ。



「そっか。じゃあ、家に泊まっていきなよ。心配だし。パジャマとかは貸すからさ」


「でも……」



 今日あったばかりの人に、いきなりそこまで甘えてしまうのは申し訳ない。



「私、飲み足りないし。家にいても一人だから、寂しいのよ」



 ね?と私の手を握る。



「……ん」


「やった!」


「ありがと」


「なんでそこでありがとなのよ」


「なんとなく」 



 きっと相田さんは、私が寂しくないように提案してくれたんだ。


 付き合いは長くないけれど、それくらいはわかる。


 優しい、人なんだ。



「じゃ、タクシー捕まえよ」



 相田さんに手を引かれて、タクシー乗り場まで行った。


 そして。



「このマンション……億ションってやつでは」


「大げさね」



 目の前のマンションは、防犯ばっちり、高級感の溢れるマンションだった。


 そして相田さんは、億ション、という言葉を否定はしなかった。


 それから怖気づきながらもマンションに入り、相田さんの部屋へ行き。


 新たにワインをあけて、愚痴やらなんやらを聞いてもらって。


 そこから、記憶がない。




 朝、アラームの音で目を覚ました。


 朝食を作りに行かなければ。



「ん……。ん?」



 目を開けると、見慣れない天井だった。


 そう言えばこのベッドの感じも、いつもと違う。



「おはよ。まだ寝てよ?」



 隣には旦那、ではなく。



「……あー」



 そう言えば、昨日知り合ったばかりの相田さんの家に、泊まったんだった。


 で。厚かましくもベッドを借りたんだな。



「おはよう」


「おは……よう」



 回らない、寝起きの頭で考える。


 ついでに二日酔いか、頭も痛い。


 だからって、一緒に寝るか?


 そして、



「私達は、何故裸なんでしょう」



 二人とも、裸だった。


 パジャマ、なかったのかな。



「覚えてない?すごくかわいかったよ?優江」


「……ん?」


 なんとなく、嫌な予感がする。


 嫌な汗がでる。



「ほら、これ」



 そうして、見せられた相田さんのスマホの画面。


 そこには……そこには……!



「…………あはは、は」


 乾いた笑いが漏れる。



「冗談、でしょ」


「言ってなかったっけ?私、レズだって」


 言ってない。



「……言ってないっけ。私、既婚者」



「略奪愛もオツよね」


「おい」



 余裕な態度の相田さんに、何故だか強く出られない。


 そもそもアレな写真を撮られている時点で、強気な態度が正解かもわからない。



「昨日の事は……その」


「それなんだけど、さ」



 相田さんがにじり寄る。



「また、来てよ」


「え?」


「セフレってやつ?また、しよ」


「……え」


「拒否権が無いのはわかってるよね。拒否したらばら撒く。ばらしてもばら撒く」



 スマホの画面をちらつかせる。



「……相田さん」


「なーに?」


「なんていうか」



 そう、本来なら、そんな思考になるのがおかしい。



「優しい、ですね」


「……え?」



 私の言葉に、相田さんは目を丸くした。


 優しい、人だと思ってしまった。


 写真があれば、私は断れない。


 脅されている。


 そう、であるならば。


 私は、過ちを犯したという罪悪感よりも。


 仕方がない、と、被害者でいることができる。



「……何言ってるの。馬鹿な子ね」



 そう言って笑った相田さんが、ちょっと。


 泣きそうに見えた。



「お人よしって、よく言われます」



 けれど、私はそうとしか生きられない。


 だから、相田さんは私にとって。



 とても、優しい人。

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