最終話「 結 赤月の下のラブストーリー 」

 カツカツ…

 いつもよりも軽い足取りで彼はやってきた。

「よ。」

「やあやあ千明君遅かったじゃないか。調子はどうだい?」

「上々だよ。」

 彼がそんなことを言うなんてよほど良いことがあったに違いない。ならきっとそういうことだろう。

「咲ちゃんはどうなんだい?」

「さあな。でも話を聞くには良好らしい。あと少しで無菌室から出られるそうだ。」

「そっか。それは良かった。」

 とてもめでたいことだ。いけ好かないけれど、あの女が保証したのだから本当のことなのだろう。

「ので、今日は先にお前を出しに来た。」

「え?」

 そういうと千明君は急に手に布を巻き始めた。出す?ボクを?言っていることがわからなくて私はたじろいだ。

「ずっと、こうしたかったんだよな。」

 何を?

「下がってろ、怪我するぞ。」

私は言われたとおりに後ろに下がった。すると彼はこぶしを構えて。

「よっと。」

 バリン!

 アクリル製の私たちを隔てていた壁を彼は突き破った。

「ああなるほど…。って痛え!薄くてよかった。案外固いんだなアクリル板って。」

「???!!!」

 私は声も出ず彼が壁をバキバキと破壊しているさまを見ているしかなかった。

「よし、これで二人は通れそうだな。いやーこれうざったかったからちょっとすっきり。」

 彼は粗暴に運命の壁を壊したかと思うとそこから潜り抜け私のもとに来た。この約一年間、いや私にとっては十数年間閉じ込めてきた壁をあっという間に壊して、彼は私に手を差し伸べた。

「ほら、行くぞ。」

「…どこに?」

 もう何がなんだかわけがわからない。一つだけ言えるのが壁も隔てずに彼は、私の目の前にいるのだ。

「どこにって決まっているだろう?星を見に行くんだよ。」

 無作法に靴と彼のコートを着せられ、手を引かれた。ネットでしか見たことのない階段をのぼり、向かったのは屋上だった。目をつむらされ、何も見えない。ドアの開く音がして、その瞬間冷たい風が吹いてきた。

「ちゃんとコートかけておけ。」

「うん。」

「じゃ、せーのっ。ほい!」

 彼に上を向かせられ、閉じていた目を開いた。目の前には巨大な夜空が広がっていた。輝く星々が煌々と私を照らしている。

「綺麗…。」

 思い口に出たのはその言葉だけだった。この無数の星々の美しさをそれでしか表現できないことが口惜しい。けれどどれだけ言葉を重ねても、この無限に広がる世界を表すなんてできるわけもない。私が見とれていると彼が言った。

「こっちだ。座れよ。」

 屋上の真ん中あたりに毛布のじゅうたんが敷かれていた。二人で座ってみたが、星が見づらいので寝っ転がった。

「千明君。これが星なんだね。」

「ああ。」

「すごいな。気を抜いたら落ちてしまいそう。」

 そっと彼の手を握ってみる。温かい。彼は嫌がりもせず、私の手を握り返してくれた。

「そうだな。」

「千明君はもっと何か思わないの?「ああ」とか「そうだな」とかじゃつまらないだろう?」

 すると彼は言う。

「俺は目が悪いから、ぼんやりしていてよく見えん。」

 そしてこちらを向いてまた続ける。

「だからこれは全部、お前のものだ。」

 彼らしくない、包み込むような優しく落ち着いた声。彼の微笑みなんて初めてで、まともに顔も見れなかった。

「…なら、今ボクは世界で一番の大金持ちだね。」

 それからしばらく彼と星を見ていた。静寂が心地いい。隣に誰かがいてくれるだけで、静寂というのはこんなにも姿を変えるのか。なんて心安らぐものなんだろう?

「…なんで、ボクをここに連れてきたんだい?」

「お前を殺すためだ。」

「そっか。」

 勝手に彼と腕を組む。やっぱり嫌がらない。ただこの美しい夜空を眺めていた。

「風の舞うー空。流れるくーもを、目を開き、手を広げ、天をー仰いだー♪」

「何歌ってんだよ。」

「いやあ、ちょうど歌詞にあっている気がして。」

「あれは昼や日中を想定していたんだよ。」

「じゃ、真逆じゃんかー。」

 前に彼が歌ってくれた彼の作った歌。歌ってくれたのはあの日一度だけだったけど、天才な旭ちゃんはすべて覚えてしまった。そしてなぜかここで歌いたくなったのだ。

「過ぎ去る日々のなーかで、すでに明日は、遠い過去の日―♬次千明君。」

「…僕はー、何をー、残したーだろう?誰かをー傷つけてはーいないか?」

 彼が言うにはもともとこの歌はデュエット曲として二人で歌う歌だという。二人の思いが交差しながら書かれた歌だ。

「伝えたいー溢れる、昨日にーもがく君に…♩」

「伝えられ―ない…時がたつごとに重みが増す…♬」

「高鳴るむーねに、思いをのーせて、悲しみに、おぼれてる、君を包んで…。」

「何もない僕…見つけたひーかり、守りたい、助けたい。明日をー未来をー♪」

 彼はこの歌がチープで好きじゃないといったけど、たぶん彼の理想なんだと思った。互いに支えあって、守りあって、与え合って、愛し合って、何年も何年も生きていく理想の生き方。

「旭。」

 彼は起き上がると私に言った。

「何?」





「お前のことが好きだ。」






 そして急にそんなことを言ってきた。彼は私をまっすぐ見て言葉を続ける。

「お前のしゃべり方が嫌いだった。いつも裏があるような、見透かしたような話し方だったから。」

 本当に急に言ってきた。

「お前の笑みが嫌いだった。いつも何かを隠しているような、あきらめたような笑い方だったから。」

 不意打ちだ。

「ちなみにロングヘアより、ショートヘアの方が好みだ。」

 言い返したいのに言葉が出ない。

「まあでも、お前と話していると楽しいし、いなくなると思ったら悲しかった。幸せになってほしいと思ったし、そうできたらいいなと思った。ので…」

 彼は言う。私の目をしっかりと見て、少しばつが悪そうに。


「ラノベ風に言うと、


「俺はお前に恋をしている」


んだと思っている。」


 綺麗な夜空の屋上で、こんなにもロマンチックな場所なのに、ロマンのかけらもないような告白だ。嬉しくない!全く嬉しくない…のに…






「なんで、なんで今、そんなこと言うんですか!」





 涙があふれて止まらなかった。

「私は今日死ぬんですよ!?なんで、なんで今更死にたくなくなるようなこと言うんですか!!?」

 彼が言ったのだ私を殺しに来たのだと、どちらにせよ私はもうすぐ死ぬ運命だ。今年中に私は死ぬ。それはどうしようもないことだ。どうしようもないことだと、覚悟を決めていたのに…。すると彼は鼻で笑っていった。

「ふん。いやがらせだ。」

 小馬鹿にしやがって!最低だ!クズ!人でなし!!人に命を何だと思ってるんだ!!!

「馬鹿!バカバカ!!千明君の馬鹿!!!」

 私は両手で彼をたたいた。こっちが言わないでやったっていうのに君がその気なら私だって言ってやる!










「ボクだって好きだ!目つきは悪いし、背も高くないし、浮気者だし、全く好みじゃない!でもボクは君と話したい!触れ合いたい!!ずっと一緒にいたい!!だからボクは君が大好きだ!!!」















 

 出せる声の限界で叫んだ。誰かを好きだなんて言ったのは初めてだ。一世一代の大告白でだ。なのに彼はまた鼻で笑った。

「はっ。信用できないな。吊り橋効果でおかしくなっているだけだろ。」

 こいつ!なんだと好き勝手言いやがって!何様だよ!涙があふれてくる。告白をしてされたはずなのになんでこんなに悔しいのか。何か言い返してやろうと考えていると彼は私を抱きしめた。

「そう、俺は他人を信じれない。でも一瞬の夢だったとしても、好きだって言ってもらえたのは嬉しいよ。」

「今日の君は意地悪だ。ひどいよ。」

「そりゃそうだ。今までさんざんコケにされてきたんだ。今日くらいいいだろう?」

 慣れた手つきで背中を撫でられる。落ち着く。誰かに抱きしめられるだけでこんなにも安心するものなのか。いや、きっとその誰かが彼だからだろう。

「…千明君もしかして、咲ちゃんにも同じことしてた?」

「ご名答。よくわかったな。」

「浮気者。」

「知るかよ。ほれ。」

「むぐっ!」

 口によくわからないものを入れられた。いくつか飲み込んでしまったじゃないか。残ったこの丸い何かはとても甘い。

「ラムネっていう砂糖菓子だ。甘いだろう?」

 確かにとても甘い。私は泣いたせいでちょっとしょっぱいけど。でもなんだかすごくすっきりしたなあ。

「千明君はさ。これからどうやって生きてくつもりなの?」

「どうやって?ずっと変わんないよ。俺は俺のために生きていくんだ。」

 嘘だ。彼はいつも他人のために動いていた。

「咲ちゃんや、ボクを助けようとしたことも自分の為ってこと?」

「そりゃあそうだ。俺が死んでほしくなかったから、それだけだ。」

「そっか。そうだよね。」

 彼はとても愛情深いから、きっと誰かも自分のように大切にできるのだろう。私が死んだらたくさん悲しんでくれて、きっと咲ちゃんは私の分も愛されるのかもしれない。

「咲ちゃんがうらやましいな。ほんとジェラシーだよ。」

「知らん。」

 でも欲張りはいけませんよね。今一番愛されているのは私なんだから。それだけでいいんだ。さあ、歌い切ろう。

「時間は、ながれ、私も年を取る。近い明日に、誰がーいるのでしょう?♬」

「…僕は何を手に入れただろう?君ーに何を、送れた、だろうか?♫」

「幸せなー日々が、過ぎるたび♪」

「明日がー怖く、なるけれど♬」

「嵐が来ても、私がいーるよ、絶対に一人じゃない。さあ前を向いて♪」

「漂うくーもは風にふかーれて、雨の日の悲しみもきっと、晴れる♩」

「高鳴る空の下走り続けて、いま、君のことを思う。」

「君に出会えたこと。」

「共に過ごせたこと。」

「そのすべてに。」

「「ありがとう。」」


「確かに恥ずかしいポエムだよね。これを書いたのがボクだったらもう真っ赤っかだよ。」

「るっさいわ。若気の至りだっての。誰にだってそういう時期はあるんだよ。」

「でも、ボクこの歌大好きだよ。きっとずっと忘れない。」

「そうかよ。」

 照れている君の肩に頭をのせてみるとまたすごく温かくて気持ちがよかった。しばらくして段々と眠くなってくる。

「もう眠いや。ねえ千明君。最後はお休みのキスで終わりにしよっか。ちゃんと大人のキスをしよう。」

「なんだそれ?…なら、こっち向けよ。」

 彼は私の頭を抱くと私にキスをした。もう、やっぱり咲ちゃんともキスしたんだろうな。でも、きっと迫ったのは彼女だろう。そのくらい簡単に許してくれるほど彼は優しい。本当に困った浮気者だ。けれどこのラムネのせいか甘いキスは私の生まれて一番の幸せな時間だ。涙が流れるくらいに幸せだった。


 そして時間が来た。彼は私の首に手をかけゆっくりと締め上げる。私は空を見上げてみた。きっと見納めの夜空だ。あの大きくて赤い月は私たちをやさしく照らしている。彼の光に照らされて彼の手で私は殺される。なんて幸せなんだろう。首にかかった、愛する人の手は相変わらず、温かかった。







































「大好きだよ。千明君。」












































「またな。旭。」


































                赤い月の下で ~白い一室での物語~ 🈡

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