第41話「お姉ちゃん」

 病室に着くと咲はベッドで横になっていた。最近はずっと発熱が続いていて、体にはところどころ青い痣が見えた。だがこちらが顔に出したところでどうしようもない。いつもの調子で話しかける。

「よう咲。起きてるか?」

「ん。起きてる。」

 咲はこちらに目を向けそう言った。血色の悪い顔から具合の悪さが見て取れる。今日は小説を読む余力はなさそうだ。起きようとするところをなだめて俺も椅子に座った。

「ねえ千明。」

「ん?なんだ?」

「ん。」

「ん?」

「ん!」

 そういって咲はこちらに手を差し出した。それが目に入ってなるほどとその手を握った。

「熱い。」

「外は残暑が大変なんだよ。歩いてきたらそりゃ熱くなるさ。」

「そ。じゃ、この手しばらく借りるね。」

「別に構わないけど、引っこ抜くとかやめてくれよ。」

「なら引きちぎる。」

「グロイのは禁止だっつうの。」

「それならこのままでいい。」

 咲はそういうと目を閉じた。やはり今日は調子が悪いらしい。仕方ないのでしばらくはこのままでいよう。


「やっほう。あ、咲ちゃんねてる?」

 鶴田さんがやってきた。以前までと違い声を抑えて咲に配慮をしているようだ。

「ええ、ちょっと前から寝てます。」

「あらあら、咲ちゃんねてるのにまだ千明君の手握ってるんだ。」

「…人恋しいのかもしれませんね。」

「そうだね。」

 具合が悪くなってからというもの咲は過剰とまではいかないがスキンシップを求めるようになった。他人とのスキンシップは嫌う俺ではあるが、彼女とは嫌悪感が皆無どころかむしろ嬉しかったりするので好きにさせている。

「千明君がこうして咲ちゃんといてくれるとお姉ちゃんすっごくうれしいな。ほんとは私も一緒にいてあげたいけど…。」

「…鶴田さんって咲のこと本当に大切にしていますよね。本物の姉妹みたいだ。」

 関係としては患者と看護師だろうに、咲と鶴田さんの接し方はそれ以上に思える。

「咲ちゃんってね、昔の私によく似てるんだ。だから余計に親しみがあるんだよね。」

「鶴田さんが咲とですか?えー、冗談きついですよ。」

「そんなことないよ。…そうだ、咲ちゃんが寝てる間少し私の昔の話でも聞いてよ。」

「別に構いませんが。」

 鶴田さんは俺の隣に座り、咲の頬を撫でながら話し始めた。

「私は生まれてすぐに母親って呼べる人はいなくなってね。顔さえ見たことがなかったんだ。父親も仕事ばかりでほとんど会えない。私は冷たい家政婦に育てられて大きくなった。小学生になるまではね、そんな生活が嫌で早く大人になって結婚して子供を産んで、幸せな家庭を作ることが夢だったの。」

 鶴田さんは一度言葉を止めると、息をゆっくりと吸って続けた。

「でもその時お医者さんに卵巣に異常があって大人になっても子供が産めないって言われたんだ。あの日に私の希望は崩れ去った。未来に何の価値も感じなくなって、死んでしまいたいと思った。」

 不妊、俺は今のところ子供が欲しいなんて考えたこともないが、いつかは必要だろうとは思っている。子供が欲しいと考えていた人がそうであったならその絶望は大変なものだっただろう。

「当然死ぬ勇気なんてなくて、惰性みたいに中学へ進学した。でもね、その時ちゃんと生活できたのは友達がいたからなんだ。親友のリズ、クラスメイトの洋子ちゃん、それに瞳先輩あと、一人の男の子。みんながいなかったらきっと生きる気力すらなくて野垂れ死んでいたかもしれない。当時はうっとうしいって思ってたけど、今は感謝しているんだ。」

 今感謝したいと思えるのなら、きっと素晴らしい友人たちだったのだろう。俺は中学の知人の名前なんてほとんど覚えていないので、大人になってもそう思える関係はうらやましくも思える。

「だけど私が高校生の時、瞳先輩は自殺してしまった。」

「…。」

「調べてみたらひどかったよ。父親からの性暴行、学校でのいじめ、財政的困窮。私の不幸なんて目じゃないくらい辛いものだった。私はあの人の明るさに力強さに救われて生きてこれたのに、私はあの人の何も理解できずに何もできなかった。それがすごく悔しい。きっと支えてあげられる人が一人でもいれば、先輩は自殺なんてしようと思わなかっただろうからね。」

「…。」

「だから咲ちゃんに初めて会った時、多分私と一緒だって思ったんだ。昔の私と同じ目をしてたから。そして力になりたいと思った。理由はそれだけじゃないけれど、私は咲ちゃんの本当のお姉ちゃんになりたいんだ。」

「…なるほどそういうことですか。」

 支えられて生きてきたこと、支えられずに後悔したこと、そんな人生が彼女を形作ったのだ。そして咲と出会って、こうして支えあっている。きっと鶴田さんがだけではない。咲も鶴田さんの支えになっているのだろう。

「たぶん咲ちゃんは愛に飢えているんだよ。だから私はもっと愛してあげたい。でも私だけじゃダメなんだ。咲ちゃんは千明君のおかげで満たされてる。千明君が必要なんだ。」

「…別に俺である必要はないでしょう。たまたま最初に会ったのが俺だっただけで。」

 必要…か。そう、俺でなければダメなわけでなないのだ。こいつほどの魅力的な者はそういないが、俺程度の男などいくらでもいる。俺は絶対的に必要ではない。

「でも最初に救ったのは千明君だよ。千明君に出会うまで咲ちゃんの笑顔なんて見たこともなかったんだから。その事実は千年たったって変わらないよ。そしてその日から、咲ちゃんに…ううん、咲ちゃんだけじゃなくて私にも、千明君はとても大切な人なんだよ。」

「ま、必要とされているならできる限り応えますよ。まだ今は暇ですし。」

「モー捻くれた弟だなあ。うりうり。お姉ちゃんに位もっと甘えていいんだよ?」

「事案になりそうなのでいやです。」

 お姉ちゃんか、俺は実の姉がいるのであまり姉願望はない。年が近いので甘えることなどしないし、むしろ喧嘩の方が多いだろう。のでおそらく鶴田さんの言うお姉ちゃんとは、そういう兄弟関係というよりは家族みたいに親密に互いに支えあえる存在ということなのだろう。俺は何をしたわけでもないのでその好意をどう受け取ればいいのかはわからないが、とりあえずリアル弟としては弟らしく姉に反抗しておこう。

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